第8話:王命干渉前夜
王城・高塔の私室。
夜は静かだった。
だが、王太子の内側は静かではなかった。
机の上には、観測報告書。
《第十二式 不成立》
その文字が、何度読んでも意味を持たない。
不成立。
国家恋愛機構が設立されて以来、初の失敗。
原因――
レディアナ=フォン=アルセリア。
王太子は書類を閉じる。
胸に残るのは、あの問い。
“それは、殿下の感情ですか?”
あの瞬間。
彼の思考は、ほんの一瞬だけ空白になった。
台本が途切れた。
言葉が選べなかった。
それは屈辱だった。
王太子としてではなく。
“選ばれる側”であるはずの自分が、問い詰められたことが。
彼は立ち上がる。
窓の外、城下の灯り。
国家は安定している。
共鳴は正常。
聖女の波も整っている。
唯一の歪み。
――レディアナ。
「……従わない」
その事実が、彼の中で形を持ち始める。
従わない。
揺れない。
欲しない。
焦がれない。
王太子に対して、当然あるべき感情が存在しない。
それは拒絶よりも強い。
“無関心”。
彼は初めて理解する。
自分が欲しているのは、愛ではない。
確認だ。
自分が選ばれる存在であるという、絶対の証明。
彼女だけが、それを与えない。
だから。
欲しくなる。
高塔の扉が開く。
側近が一礼する。
「殿下。観測塔より進言が」
「申せ」
「対象アルセリア嬢に対し、軽度の王命干渉を提案。法的拘束力を伴わない形での接触強化――」
王太子は沈黙する。
王命干渉。
王家権限を用いた、感情誘導補助措置。
強制ではない。
だが拒否は困難。
対象の行動範囲、交友、発言機会を制御できる。
いわば。
“環境による矯正”。
理屈は理解している。
国家安定のため。
不確定因子の矯正は必要。
それは王太子として、正しい選択。
だが。
彼の胸に別の声が生まれる。
それで、彼女は揺れるのか?
権限で囲えば。
逃げ場を奪えば。
従わせれば。
それは――
“選ばれた”ことになるのか?
沈黙が長引く。
側近は視線を下げたまま。
王太子はゆっくりと口を開く。
「……準備を進めろ」
声は低い。
「ただし公にはするな。形式は学術交流。私的接触の機会を増やす」
「はっ」
扉が閉じる。
部屋に一人。
王太子は息を吐く。
これは支配ではない。
矯正だ。
国家のため。
彼女のため。
そう思考を整える。
だが。
胸の奥で、別の衝動が熱を持つ。
彼女が揺れる瞬間を見たい。
あの静かな瞳が、初めて乱れる瞬間を。
それは、王太子としての責務か。
それとも。
一人の男の執着か。
彼自身、まだ判別できない。
同時刻。
アルセリア邸。
レディアナは書斎で古文書を読んでいた。
干渉波理論の初期論文。
制度成立以前の記録。
彼女はふと手を止める。
胸騒ぎ。
何かが、近づいている。
圧ではない。
波でもない。
意図。
「……来ますね」
小さく呟く。
恐怖はない。
むしろ静かな確信。
制度は、次の段階へ進む。
そして王太子も。
選ぶだろう。
“権限”を。
夜空の星が揺れる。
観測塔では赤い灯がともる。
《王命干渉:準備段階》
国家が動き出す。
それは表向き、穏やかな措置。
だが実質は。
自由意志への圧力。
翌朝。
王城に新たな予定が掲示される。
“王太子特別研究会設立”
参加者筆頭。
レディアナ=フォン=アルセリア。
物語は、静かに軋む。
前半の対立は、
王子 vs レディアナ。
だが今。
形を変え始める。
王子の執着は、
制度の権力と結びつく。
支配欲は、正義の仮面を被る。
そして。
干渉の夜が、近づいていた。




