第36話:新しい王政
――“管理されない幸福”を前提とする統治へ。
春。
王都に風が戻る。
読めない風だ。
だが、人々はそれを嫌わない。
観測塔は、もはや国家を縛る塔ではない。
中央水晶は沈黙したまま保存され、
代わりに広間には円卓が置かれている。
数値は出ない。
出さないと決めた。
管理官が言う。
「本日をもって、国家安定値制度を正式に廃止します」
静かな拍手が起きる。
歓声ではない。
覚悟の音。
——
大広間。
王太子は玉座の前に立つ。
だが座らない。
象徴の椅子は、空のままだ。
重臣、民間代表、学院生、商人。
身分を越えて人が集まっている。
法務長官が読み上げる。
「新統治原則――」
「国家は、幸福を定義しない」
ざわめき。
「国家は、幸福を保証しない」
さらにざわめき。
「国家は、選択の場を維持する」
沈黙。
それが、新しい王政の骨子。
幸福を管理しない。
感情を統一しない。
数値で縛らない。
ただ、選ぶ場を守る。
——
王太子が前に出る。
「私は、象徴を捨てた」
「だが王であることは、逃げない」
彼は民を見渡す。
「これからの統治は、不安定だ」
「正解は毎回変わる」
「だが」
一拍。
「それを皆で選ぶ」
聖女が続く。
「私は装置ではありません」
「ですが、祈ることは続けます」
「強制ではなく、希望として」
人々の間に、小さな頷きが広がる。
——
庭園。
式典の後。
レディアナは一人、風の中に立つ。
足音。
王太子が近づく。
もう、象徴の光はない。
ただの一人の青年。
「終わったな」
「ええ」
「安定は消えた」
レディアナは微笑む。
「最初から、なかったのかもしれません」
沈黙。
風が揺れる。
遠くで子どもたちが笑う。
商人が値段で揉めている。
誰かが歌い出す。
整っていない。
だが、生きている。
王太子が言う。
「私はずっと、決められてきた」
「恋も、役割も、未来も」
レディアナは静かに聞く。
彼は続ける。
「だが今は違う」
「何も決まっていない」
不安。
だが、自由。
レディアナはまっすぐに彼を見る。
「幸福は、選ぶから意味があるのです」
その言葉は、柔らかい。
だが制度より強い。
王太子は目を閉じる。
かつてなら、ここで共鳴が起きただろう。
甘く、整えられた未来。
だが今は、何もない。
保証もない。
結末も決まっていない。
彼は目を開く。
「ならば私は、初めて選ぼう」
それは告白ではない。
誓約でもない。
未来を確定させる言葉でもない。
ただ。
“選ぶ”という宣言。
レディアナは微笑む。
答えは言わない。
選ぶのは、彼だけではないから。
——
王都。
国家安定機構は解体される。
水晶は歴史資料として保管される。
学院では新しい講義が始まる。
「自由意志と統治」
市場では値段が揺れ続ける。
祈祷室では、祈りが自由に交わされる。
数値はない。
だが、声がある。
不安はある。
だが、笑いもある。
——
最後の場面。
城壁の上。
王太子とレディアナが並んで立つ。
夕陽が沈む。
赤く、不規則な光。
王太子が言う。
「この国は、揺れ続けるだろう」
「ええ」
「それでもいい」
「ええ」
二人は手を取らない。
抱きしめない。
未来を約束しない。
ただ、同じ風の中に立つ。
国家は、もう感情を管理しない。
幸福は、保証されない。
だが。
人は、選ぶ。
その瞬間。
制度は、人の下に置かれた。
物語は、恋愛成就では終わらない。
自由意志が、制度を越えたその瞬間で、
静かに幕を閉じる。
—— 完 ——




