知らない世界を書き綴る狐獣人
「あら、お久しぶり」
カフェの扉を開けたのは狐獣人のクロウさんだった。
同じ国、同じ城下町に住んではいるが彼が来るのは一年に一度か二度くらい。
もっとも、私の店は城下町のさらに郊外のはずれにあるのだけれど。
「ふう、相変わらず砂漠は魔欠けにはきつい気候だけど……先日の大雨のおかげでちょっと出歩きやすかったから」
「あ、そうね。少しだけ暑さが和らいでる感じがする」
「そうだろう? なので今日はお店に薬湯を飲みに来たんだよ。毎月持ってきてもらえるのは嬉しいけれど、やっぱりお店がいいからね」
「それはそうかも。気分と体調が良ければ、歩くのもいい運動ですものね」
クロウさんはメニューに目を落とし、少し驚いた声を上げた。
「来てみて良かったな。軽食を始めたんだね、薬湯のあとにチキンのサンドイッチを頼もうか。飲み物はリンデンのハーブティーで」
「最近始めたのよ」
私はいつもクロウさんに作っている薬湯の材料を揃え、洗って水気を拭き取り刻み始めた。
魔イラ草、ローズヒップ、ハイビスカス……貧血に効果がある薬湯だ。
クロウさんは体質的に万年貧血だから、気に入って何年も注文してくれている。
「そうそう、家の魔導冷蔵庫をやっと買い替えられたよ、これで薬湯を多めに保存できる」
「それは良かったわ」
この世界は魔法でいろいろ賄える便利な世界だけれど……時折、クロウさんのように魔法が全く使えない人も生まれてくる。
魔力の源である臓器、魔臓が欠落しているのだ。
魔臓が生産する魔力がないと、一般的に出回っている魔道具は反応すらしない。
「はい、どうぞ」
「ありがとう、まずは薬湯を飲んでしまおう」
──とは言っても、魔法が使えなくても排斥されたりはしない。
病気や事故で魔臓を失う者も少なくないから。
生まれつき持ってないのは稀有だけれど。
「魔欠けが使う魔道具はオーダーだから大変よね」
魔力がなくても動くように、流通品とは違う規格で作られているので壊れたら一大事なのだ。
生活はちょっと不便程度で済むことだが、魔法で身体を強化したり防御は出来ない。
なので、魔欠けに身体が弱い人が多いのも事実。
「うん、オーダー品が無いと僕たちは生活していけないからね。親は実家に帰ってこいって言うんだけど、田舎じゃオーダー品が買えないから」
「確かにある程度都会じゃないと難しいのよね。調整技師さんは街にしか居ないし」
クロウさんは密度の高い毛で覆われた大きな耳をピクピクさせながら、頷いた。
私はさらにサンドイッチを乗せ、リンデンのハーブティーと一緒にカウンターの上に置いた。
「わあ、美味しそうだね。仕事も一段落したし、これは全メニュー試しに通いたいなぁ」
クロウさんは思春期前の児童向けの小説家で、人気のあるシリーズ本を出している。
この前店に来た、見たこともない花を描き続ける絵描きと少し似ている。
家からあまり出られないクロウさんが書く本の主人公は世界各地へと旅をし、謎解きや神秘に出会っているのだ。
「うん、美味しい。次の本はね、まだ構想段階なんだけど……海底を冒険しようと思ってるんだ」
「へえ。海底……ワクワクするわね」
「うん、僕と違ってルークは魔法が使えるから、どこにでも行けるから楽しみだよ」
「魔法は万能じゃないわよ、便利だけど」
クロウさんはそれに同意しながら、ポットに残っていたハーブティーをカップに注いだ。
「そうだね。でも色々出来るのは楽しいと思うんだ。僕は作家の自分に満足してるから、魔法は諦めたけどね」
「見て、あの壁の絵」
「うん、すごく素敵な絵だね」
「見たこと無いんですって」
「え?」
「本物の花、見たこと無いんですって」
クロウさんは立ち上がり、壁にかけられた月桃香花の絵をしばらく無言で眺めた。
先端が白いもっふりとした大きな尻尾が、ゆらゆらと揺れている。
「すごく、きれいだ」
「そうね」
静かな店内に、クロウさんの息遣いが微かに空気を震わせた。
「見たことがない花を……手を伸ばしたら触れそうなのに」
「あなたの本もね。ルークは居ないけど、本の中には確かに存在している」
「そうだね、うん。本当に」
薬湯を三本手提げ袋に入れたクロウさんは、また来ると言って扉の外へ出て行った。




