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長命エルフの小さなカフェ〜今日はなに飲む?〜  作者: 藤 野乃


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雨と絵描き


 正午だというのに、明かりをつけてもなお薄暗い店内。

 窓から外を眺めれば、雷鳴を含んだ黒い雲が急速に広がっていく。

 砂漠には滅多に雨は降らないが、降ればほぼ確実に災害になる。

 乾燥した硬い地面や砂は雨水をあまり吸収しないので、水が低い場所へ流れ込みやすい。

 雨量によっては、鉄砲水や大規模な洪水を引き起こすのだ。


「前に降ったのはいつだったか……」


 メモを見返すと、数十年ぶりの雨だ。

 まだ降ってはいないが、風は強い雨の匂いを運んできている。


「パラっと降ることはたまにあるけど、今回みたいな豪雨は滅多にないな」


 低い声で黒衣の男性が呟いた。

 黄色いスカーフが差し色でスッキリ決まっている。


「そうね」

 

 私の返事は短く、それを聞いた絵描きのヒューゴーは諦めたように肩を竦めた。


「地形的にこのあたりが水害に遭うことはないけれど、出歩かないほうがいいわね……宿まで送るわ」


「送ってもらえるなら一杯飲んでいくよ。ミントティーをくれ」


 しばらく茶器が立てる小さな音、漂う湯気が静かに店内を飾る。


「……絵、飾ってあるんだな」


「ちょうどシーズンだしね。よく描けてるし」


 私の言葉に、ヒューゴーは妙な顔をした。

 以前会ったのは三十年ほど前だろうか……随分と若く見える。

 ヒューゴーの種族は人間だけれど、片方の親がエルフ。

 その恩恵もあり、寿命は平均より長そうだ。

 おそらく二百年ほどあるだろう。


「……実は、見たことがない」


「そうなの? え、本当に?」


 ヒューゴーは頷き、ニヤリと片方の口角を上げた。


「人に……何人もの人に聞いて描いたんだ。当時付き合っていた彼女に監修してもらいながらね」


「へえ……見たことがないのに、本物より本物らしく描く……画家って凄いわねぇ」


 透けるほどに薄い白い花弁は縁が仄かな桃色。

 少しくすんだ色で無骨な曲がった茎、肉厚で小さな丸い葉──匂い立つような幻桃香花の絵。

 想像で描いたものとは聞かなければ絶対わからないだろう。


「ありがとう。この絵を君が破格で買ってくれたから、旅も続けられたし画材も良いものが買えた」


 懐かしそうに壁にかかった自分の絵を眺め、ヒューゴーは微笑んだ。


「良いものにはちゃんとお金を払う主義なの、私は」


「だろうな。カップもだが……棚もカウンターも椅子も。床材も無銘だろうが、素晴らしい。君は見る目があると思う」


「エルフだもの。長生きしてれば目も肥えるってものよ」


 店内はいっそう暗くなり、屋根を雨がやかましく叩き始めた。

 窓ガラスを流れ落ちる豪雨を見つめ、ヒューゴーは情けなさそうに肩を落としてため息をついた。


「今年こそは、と思ったんだがなぁ……この雨じゃあ咲いた花も散るだろうな」 


「そうね、砂漠の花は水に弱いから」


「縁がないんだなぁ、とつくづく思うよ」


「……幻桃香花が嫌がってるのかもね? 絵のままに美しいイメージを壊したくないとか」


「ははは、花が僕を嫌っているのか。それは是非追い回さないとだな」


 物を考えない花がヒューゴーを避けているとは考えられないけれど、彼は本物を見ないほうが良いかもしれない。

 幻桃香花の描かれていない茎の下、その砂の下には……。

 本物の幻桃香花の下には必ず人間や獣人、それらのサイズに近い動物や魔物の遺体がある。

 ツアーで「見るだけ」なのはそのせいだ。

 掘り返して出たのが動物の骨ならいいけれど、違ったら大騒ぎになりかねない。


 (花を摘んでいくだけなら問題ないけれど、ツアー客全員分の花があるわけでもないし)


 花は一つだけしか咲かないし、花弁は五枚しかないのだ。


「いつか見られると良いわね」


「そうだな」


 雨はなお一層強く屋根を打ち、滝のように窓ガラスを伝っていく。

 ヒューゴーは惚けたように窓ガラスを眺め、スケッチブックを取り出して流れ落ちる雨水を描き始めた。


「小さい頃から、雨水がガラスを滑っていくのを見るのが好きだったんだ」


「見てて飽きないのはわかる気がするわ」


「くっつきそうで、くっつかない水玉、合体して急に落ちていっちゃったりな」


 そう言うと彼は無言になり、鉛筆が走る音だけが店内を漂い始めた。

 私は邪魔をしないよう、音を立てずに食器を洗い少し離れた場所からヒューゴーの背中を見守った。

 外は雨、時間はたっぷりある。

 好きなだけ、好きなものを描けばいい。

 

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