幻桃香花と吸血鬼のお嬢さん
『水を汲みに行く』──時折、閉店の言い訳にそういうことにしている。
実際は友人と会ったり、必要なことをする為だけど不定期営業ということにしておいた方が都合がいい。
水を汲みに行く、というのはカフェの店主なら……と納得してくれるいい隠れ蓑。
「ふうん、お水汲みの言い訳かぁ」
今日のお客さんは人間ではないお客さんだ。
名をネモフィラと言う。
スケルトンの父と吸血鬼の母を持つ。
見た目は人間と大差ないし、穏やかな子なので閉店の札は掛けていない。
「聞いてよ、お父さんったら私の誕生日なのちびすけの所に行っちゃって……」
「ちびすけ?」
「ああ、うん……お父さんが連れてきた子供でフレスベルグって言うんだけど」
ネモフィラはレモンスライスがたっぷり入った果実水を一口飲み、頬を膨らませた。
察するにフレスベルグというのは、義理の弟らしい。
会ったことがないので知らないけれど。
「ずっと?」
「ううん、すぐ戻ってきたけどさぁ」
ネモフィラは母親の種族を受け継いで生まれたので、吸血鬼。
上と下にはスケルトンの兄弟がいる。
どちらか一方の種族でしか生まれないのがこの世界の理だ。
私の友人はネモフィラの父親である、ネモ。
その彼の養い子で、末っ子のような立ち位置にいるのがフレスベルグと言う子供らしい。
「ならいいじゃないの」
甘いクッキーを小皿に乗せ、吸血鬼としてはまだまだ幼いネモフィラの前に差し出す。
「おかげで予定してた旅行が遅れちゃったんだよ」
「あらまあ……」
「フレちゃんが朝に底なし沼にハマっちゃって、お父さんとお兄ちゃんが助けに行ったの。あ、さっきの話だけどなんで水汲み?」
「カフェでは必ず水を使うでしょう」
「うん」
ネモフィラの淡い水色の髪が、サラリと顔の前に流れ落ちる。
それを無造作にかきあげ、もう一度果実水に口をつける様子はどう見ても拗ねた女の子だ。
「私はエルフ、エルフは高魔力」
「うん」
「つまり──私が魔法で水を出すと、どう頑張っても魔力水になる。すごく不味い」
「あ、そういう……」
「洗い物には影響しないけれど、飲用にはちょっとね」
実際は美味しい水をいちいち汲みに行かなくても、時空庫に大量にストックしてあるのだけれどね。
「そっかぁ。私、数日はこの辺に居ようと思ってるんだけど」
「数日? いったい何でまた……」
私は自分もクッキーを食べながら、ネモフィラを見た。
「もう、街で宿は取ってあるの。砂漠の幻桃香花を採りに行こうと思って」
「香水の材料か。数日でタイミングよく咲いたものが見つかるといいけれど」
「あ、あったかいたんぽぽコーヒーちょうだい。ミルク入れて」
私は炒ったたんぽぽの根を取り出し、すり鉢で粉砕して小鍋で煮出し始めた。
「いい匂い。やっぱり数日じゃ無理かなぁ」
「一年に一晩しか咲かないからね」
ネモフィラの足元から音が聞こえる。
足をバタバタさせているのだろう。
「もうちょっと宿屋を延長しておこうかな」
「それがいいんじゃない? でもよくネモが女の子の一人旅を許可したわね」
ネモフィラは首を傾げてから、頷いて付け加えた。
「フレちゃんも居るから。でも寝坊したから置いてきちゃった。夜には着くと思うけど」
「なるほど、弟と一緒にってことね」
「うん、カルミラおば……お姉さんの誕生日だから、幻桃香花の香水を作ろうって、ちびすけが言い出したのにさぁ……寝坊したとか酷くない?」
「ふふ、手伝ってあげるんだ? ネモフィラはしっかりしたお姉さんねぇ」
ネモフィラはふんぞり返って、椅子から転落したが何事もなかったように座り直した。
「お砂糖もいっぱい入れて」
二十分ほど煮出したたんぽぽコーヒーを濾して温めたミルクと半々で割り、大さじ三杯のお砂糖。
ネモフィラは華奢な手を伸ばしてマグカップを受け取り、口をつけた。
「あ、美味しいー。これどうやって作るの」
ネモフィラは材料や処理の仕方をメモして、満足げに笑顔になった。
「気に入ったから自分でも作る」
「それは良かったわ」
ネモフィラはメニュー表を見返し、小さな青い革の巾着から銀貨を二枚カウンターに置いた。
「また来るね」
私は小鍋を水に浸け、彼女を見送るためにドアに向かった。
「気をつけるのよ」
「うん、ありがとう」
扉が小さな音を立てて閉まり、店内は無音になった。
(幻桃香花か……あれは確かにいい香りよね)
見つかることを祈っておこう。




