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婚約破棄? ご自由に。ただし違約条項は執行させていただきます 〜「地味な文書係」と捨てられた令嬢、その婚約契約書を書いたのはわたしです〜  作者: 白石アリア


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第47話:執行局長の椅子

 返しは、三日で来た。二通、同じ朝に届いた。


 一通目は、公証院から。わたしの免状に対する異議申立てが、正式に受理された旨の通知。申立人は、グレーゼ師。理由は、審査における口述の答えが院則の解釈を逸脱している、というもの。


 二通目は、王宮から。契約執行局長ライナルト・フォン・エーベルヴァイン大公について、十年前の執行の件につき、査問の要ありとの奏上があった旨の、事前の通知。


「……ミルテ。灯を消して、戸を閉めて」


「え」


「今日は、誰にも会いません」


 わたしは二通を並べて、机に置いた。同じ日に、同じ朝に届く。偶然ではない。


 わたしの免状を止めれば、不在の公証は宙に浮く。ライナルトの椅子を揺らせば、執行局の後ろ盾が消える。二本の脚を、同時に払いに来ている。


(——数が読めるだけでは、扉は開かん。……ええ。そういう意味ですのね。)


 夕刻、執行局へ回った。ライナルトは、いつもの椅子にいた。机の上には、いつもの封札の控え。何も変わっていないように見えた。


 変わっていないように見せているのだ、と分かるまでに、少しかかった。


「来たか」


「……はい」


「座れ」


 わたしは、座った。座って、言葉が出てこなかった。


「十年前の織物商の件だ」


 ライナルトが、先に言った。


「借用証も、副本も、印章も、偽造だった。俺はそれを見抜けず、執行した。家は潰れ、主は首を吊った。……査問で問われるのは、その一点だ」


「殿下は、あの件で、すでに一度」


「一度、裁かれた。減俸と、一年の謹慎だ。……だが、蒸し返せぬわけではない。新たな事実が出れば、いつでも開ける」


「新たな事実など」


「作れる」


 わたしは、言葉を失った。偽の借用証を作れる者たちが、偽の新事実を作れないはずがない。この二年、わたしはずっとそれと戦ってきたのに自分の側に向けられると、こんなにも簡単に足が竦む。


「怖い顔をするな」


「……しております」


「知っている。俺も、している」


 短かった。この人はできないことを長く説明しないが、できることも、長く説明しない。


「……殿下」


 わたしは、机の縁を握った。


「わたくしが、あの写しを偽と証さなければ、この二通は来ませんでした」


「そうだな」


「わたくしが、席を数えなければ」


「そうだな」


「……申し訳、ございません」


「なぜ謝る」


 ライナルトが、顔を上げた。灰青の目が、まっすぐこちらを見ていた。


「あなたは、正しい紙を書いた。正しい紙を書いて謝る公証人がいたら、この国はもう終わりだ」


 喉の奥が、熱くなった。


 そのとき、扉が叩かれた。絹の物腰の男が、そこに立っていた。


「執行局長閣下。ならびに、公証人どの」


 ケルナーは、以前と何も変わらない顔をしていた。主に切り捨てられた男が、まだ、主の使いをしている。


「侯爵より、言伝を預かってまいりました」


「聞こう」


「——査問の奏上は、取り下げうる。免状の異議も、取り下げうる。当家が望むのは、ただ一つ。古庫の開扉に、公証人どのが異を唱えぬこと」


 言い終えて、ケルナーは、ほんの少しだけ首を傾げた。条件が軽いでしょう、と言いたげな傾げ方だった。


 軽い。たしかに軽い。開扉に異を唱えるな、それだけ。庫が開いたら、中身は誰にでも見える。見えるなら、こちらに損はないはずだ——そう思わせる形に、わざわざ整えてある。


 わたしは、目を閉じた。取引だ。古庫の前で足を止められた、あのときと同じ形の。


 あのときは、父の名誉だけ取れ、庫の奥は探るな、と言われた。父は十年前、同じ取引を蹴って嵌められた。わたしも蹴った。今度は、蹴る相手が、わたし一人ではない。


「お断りいたします」


 声は、思ったより、ちゃんと出た。ケルナーは、少しも動じなかった。動じないということは、断られると分かっていたということだ。


「では、もう一つ。これは、侯爵ではなく、わたくし個人から」


「……なんですの」


 ケルナーは初めて、ライナルトのほうを見なかった。わたしだけを見た。


「公証人どの。あなたさまが、あの方のお隣にいらっしゃること自体が、あの方の枷になっております」


 部屋の温度が、下がった。


「あの方の十年前の傷は、もう塞がりかけておりました。それを毎度こじ開けているのは、正しい紙を書き続ける、あなたさまでございます」


「ケルナー」


 ライナルトの声が、低くなった。ケルナーは深く一礼して、それを受け流した。


「わたくしは、事実を申し上げただけでございます。……お二方の、幸多からんことを」


 絹が音もなく、去っていった。扉が閉まってから、しばらく、どちらも口をきかなかった。


 ライナルトが、封札の控えを一枚めくった。めくっただけで、読んではいなかった。


(——枷。)


 わたしはその一文字を、胸の内で何度も裏返した。嘘だと言い切れないから、刺さる。わたしがこの人の隣にいるかぎり、わたしの書く紙は、この人の古い傷を毎度、明るいところへ引き出してしまう。


 それでも書くのをやめるなら、わたしは、公証人をやめることになる。


 やめれば、隣にいる意味も、なくなる。

二通の紙が、同じ朝に届きます。免状の異議と、ライナルトへの査問。二本の脚を同時に払いに来る手際は、これまででいちばん速いです。

 「正しい紙を書いて謝る公証人がいたら、この国はもう終わりだ」。ライナルトの賛辞は、いつも業務評価の形をしています。この人は、こういう言い方でしか、優しくできません。

 そしてケルナー。主に切り捨てられたのに、まだ主の使いをしている男が、最後に一つだけ、自分の言葉で刺していきます。第二十七話でも同じ傷を抉って、あのときは退けられました。今度は、ユスティーナに向けています。

 いちばん効く嘘は、本当のことです。

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