第39話:口述の試問
書式の検めは、通った。起草の実技も、通った。残るは、口述の試問だけだった。
公証院の小審問室。窓が一つきりの、昼でも灯の要る部屋だ。長卓の向こうに、三人の審査官が並んでいる。真ん中はヴァルター師。総裁代理を預かる、気の弱い老公証人。左は、王宮から出た記録官。そして右に、見覚えのない老人が座っていた。
「グレーゼ師でございます」
ヴァルター師が、及び腰で紹介した。
「長らく、南の管区で総務をお務めであった」
(——南の管区。ドロテウスが、印章の割り当てを握っていたところだわ。)
グレーゼ師は、わたしを見なかった。手元の書付をめくりながら、いきなり始めた。
「院則第十二条を、述べよ」
「免状なき者の単独起草を禁ずる、と定めております」
「そなたは、十年、それを犯してきた」
ヴァルター師が、あわてて口を挟もうとした。グレーゼ師は、掌でそれを止めた。
「答えよ」
「犯しておりません」
「ほう」
「院則第十九条。登録された検め印を持つ起草補助者は、名義人の監督下において起草しうる。わたくしの検め印は、十年前に父ヴェッセル法伯が登録いたしました。監督は、父の名義において受けております」
「その名義人は、十年、王都におらぬ」
「監督の要件に、居所の定めはございません」
グレーゼ師の羽根ペンが、止まった。
「詭弁だな」
「院則の文言でございます」
「文言。文言、な」
グレーゼ師は、書付を一枚めくった。めくる音が、わざとらしく大きかった。
「では訊こう。そなたの検め印を登録した名義人は、その十年、そなたの起草を、いつ、どこで、何通、監督した。日と場所と数を述べよ」
答えられるはずのない問いだった。答えられねば「監督は無かった」と記録に残る。
「述べられません」
「ほう」
「述べる義務が、院則に定められておりませんので」
わたしは、顔を上げた。
「第十九条は、監督下において起草しうる、と定めるのみで、監督の記録を課しておりません。課していない記録の不存在をもって、監督の不存在とすることは、できかねます。……もし課すべきとお考えなら、それは審査の場ではなく、院則の改正でお願いいたします」
「文言のとおりに読めば何でも通ると思うておるのか、小娘が」
小娘。この半年で、二度目に聞いた。
(——ああ。同じ工房の、同じ癖だわ。この方も。)
「グレーゼ師。文言のとおりに読めなければ、公証は成り立ちません」
わたしは、両手を膝の上でそろえた。
「わたくしが文言を曲げて読んでよいなら、副総裁も曲げてよいことになります。曲げてよいなら、十年前に父の紙は曲げられ、半年前にはわたくしの紙が曲げられました。……曲げなかったから、いま、わたくしはここに座っております」
長卓の向こうで、誰かが咳払いをした。
「では、次だ」
グレーゼ師は、話を変えた。変えたということは、負けたということだ。
「不在の公証について、述べよ」
背筋が、ひやりとした。(——用意して、いらしたのね。)
「或る文書が、或る場所に存在しないことを、公証人が検めて証する紙でございます」
「要件は」
「三つ。第一に、存在すべき場所が定まっていること。第二に、その場所の出入りを記した紙が、独立に存在すること。第三に、その紙自体が、公証院の管理下にあること」
「三つとも述べられる者は、近ごろ少ない」
グレーゼ師は、初めて顔を上げた。
「では訊く。不在の公証は、その場所を開けずとも、出せるか」
この人は、わたしが何をしようとしているか、知っている。知っていて、ここで「開けねば出せぬ」と答えさせ、記録に残そうとしている。試問の答えは、公証院の記録に綴じられる。綴じられれば、わたし自身の言葉が、わたしを縛る。
わたしは、少しだけ、笑いそうになった。(——なんて、丁寧な罠かしら。紙で人を縛る。……嫌いではありませんわ、その手口。)
「出せます」
「根拠を」
「院則第四十条をご覧ください」
「四十条は、係争中の者は検認に立てぬ、という条だぞ」
「はい。逆から読みます」
わたしは、目を伏せずに続けた。
「四十条は、検認に『立つ』ことを制限しております。すなわち院則は、検認とは現場に立って行うもの、という前提を置いていない。立つことが要件なら、立てぬ者を除く条は要りません。除く条があるということは、立たずに行う検認が、院則の想定内だということでございます」
記録官の羽根ペンが、猛烈な速さで動いていた。
「……屁理屈だ」
「では、実務でお答えいたします。沈んだ船の積荷。焼けた蔵の証文。海の底や灰の中を、公証人は開けに行けません。それでも不在の公証は出されてまいりました。百年、ずっと」
わたしは、息を整えた。
「開けられぬ場所のためにこそ、この紙は在るのです。開けられるなら、開ければよいのですから」
長い沈黙があった。ヴァルター師が、そっと洟をすすった。
グレーゼ師は、書付を閉じた。閉じる音が、思ったより大きかった。
「……以上だ」
審問室を出ると、廊下でヴァルター師が追いついてきた。老公証人は、袖で額を拭いていた。
「ユスティーナ嬢。……いや、その、なんだ。わしは、口を挟めなんだ」
「存じております」
「グレーゼ師は、南で長い。あの方の後ろには、まだ、いくらか、その」
ヴァルター師は、そこで言葉を切って、廊下の左右を見た。この人は、いつもそうだ。怖い。怖いけれど、不正はしない。わたしの嘱託停止を解いてくれたのも、この人だった。
「ヴァルター師。ご無理をなさいませんよう」
「……面目ない」
「いいえ。あなた様が、あの椅子に座っていてくださることが、いまはいちばん助かっております」
老人は、しばらく口を開けて、それから、ひどく赤くなって去っていった。
去りぎわに、ヴァルター師は一つだけ言い足していった。長卓の脇の傍聴席は、空いていたのではなく、空けてあったのだと。執行局長が座れば口添えを疑われる、とご本人が仰って、院の門で引き返されたのだと。
わたしは、しばらく廊下に立っていた。
三日後、詰所へ、封書が届いた。
封蝋は、公証院の正印。押し目の左肩は、沈んでいなかった。
ミルテが、封を切るわたしの手元を、息を止めて見ていた。
口述の試問です。グレーゼ師は新しく出てきた顔ですが、拠って立つものは第一部の敵と同じ——制度を私物化してきた側の残りです。
この回のいちばんの罠は、「開けねば出せぬ」と本人の口から言わせて記録に綴じること。紙で人を縛るやり方を、ユスティーナはむしろ好ましく思っています。同じ土俵だからです。
院則第四十条を逆から読む。制限する条があるということは、制限される行いが想定されているということ——ユスティーナの読み方は、いつも、書いてあることより「書いてある形」を見ます。
封蝋の押し目の左肩は、沈んでいませんでした。次話、その封書を開けます。




