第26話:私控えは、嘘をつかない
ヴィンケルの私控えを、わたしは、詰所の卓にそっと広げた。
黄ばんだ粗末な紙。けれどそこに記された字は、几帳面だった。長年、受入の記録を付けてきた者の、癖のある、正直な字。
「これは……あの晩、あなたが公式の目録とは別に、ご自分のために控えたものですね」
「へえ」ヴィンケルが掠れた声で頷いた。「受入係はなにかあったとき、身を守るために私控えを取るんでさ。……あの晩はなにか、恐ろしいことが起きると、勘がそう言うたんで」
わたしは、私控えの一行ずつを、指で追った。
——「亥の刻。副総裁ドロテウス様、来庫。お連れの一名、頭巾。古庫の鍵、お持ち」。
——「子の刻。古庫より正本一枚、持ち出し。目録には『整理のため一時移送』と記させられる」。
——「同刻。古庫へ別の一枚、納め。棚は十七番」。
棚、十七番。父の符牒の覚え書きの、あの数字。
「殿下。……三枚が繋がりましたわ」
わたしは、卓に三枚を並べた。父の符牒の覚え書き。公式の受入目録。そしてヴィンケルの私控え。
「父の覚え書きは、『棚十七から、正本が抜かれた』と符牒で残しています。公式の目録はその晩、棚十七に出入りがあったと記している。——ただし『整理のための一時移送』と、偽って。そしてこの私控えが」
わたしは、ヴィンケルの一行を、指した。
「『整理』ではなく、副総裁ドロテウスが頭巾の人物とともに、正本を持ち出し、別の一枚を納めさせた——その、真実を記しています。三枚は別々の場所で別々の人が書いた紙。なのにぴたりと重なる」
ライナルト様が、三枚をじっと見た。
「一枚の嘘は繕える。二枚の嘘は口裏を合わせられる。だが……別の三人が、別々に残した紙が、同じことを語るなら」
「ええ。それはもう嘘では覆せません。——私控えは、嘘をつきませんの。書いた本人が身を守るためだけに、正直に書いたものですから」
わたしは、三枚を灯にかざした。父の符牒は色褪せた薄紙。公式の目録は、院の朱印の入った、格式ある綴り。ヴィンケルの私控えは、粗末な黄ばんだ紙。——身分も、格も、まるで違う三枚。それが棚十七という、たった一つの数字で、固く結ばれている。
「殿下。真贋は細部に宿ります。けれど真実は——繋がりに宿るのですわ。一枚では揺らぐものが三枚、別々の手から重なれば、もう動かない」
「……あなたはいつも、そう言うな」ライナルト様が、低く言った。「偽物は細部に真実は繋がりに。……執行局の官吏に聞かせてやりたい言葉だ」
父は原本を紛失したのではなかった。父は、この抜き取りを、見つけた。棚十七から王家の古い婚姻の取り決めが、抜かれ、偽の一枚がすり替えられた——それを告発しようとして、逆に「原本紛失の咎」を着せられ、失脚させられた。
(お父様。あなたは盗んだのではない。盗まれたのを見つけたのです。……十年、罪人と呼ばれてきたあなたの背中に、やっと無実の光が差しますわ。)
けれど。
わたしは私控えの、「頭巾」の二文字を、指で押さえた。
「実行したのは、ドロテウス。それはこの三枚で動きません。……ですが、頭巾の人物は、顔が見えない。古庫の鍵を持つその黒幕は」
「モルゲンシュテルン、だな」ライナルト様が、低く言った。「だが証しがない。鍵を持つ家はあの家だけだが……『頭巾の男が鍵を持っていた』では、名指しはできん」
「はい。黒幕の顔を暴く証しは——おそらく、古庫のいちばん奥。あの開かない扉の向こう」
わたしは、息を吐いた。
「今日、この三枚で届くのはドロテウスまで。父の名誉を回復し、ドロテウスを、完全に失脚させる。……そこまでですわ。奥の扉の主にはまだ指がかからない」
「悔しいか」
「いいえ」
わたしは首を振った。
「一度に全部を暴こうとして、無理をすれば、三枚とも握り潰されます。……届くところまで確実に。奥の扉はいつか、目録がもう一行、語ってくれるまで待ちますわ。父もそうやって、十年、待ったのですもの」
ライナルト様は、わたしを見ていた。
「……欲をかかぬのだな。あなたは。あれほど、父上を嵌めた相手だというのに」
「欲をかいた者から紙は、こぼれ落ちますの。銀鉱山を二度担保に出した侯爵家も、情けの一行に加筆した金貸しも、みな欲をかきました。……わたしまで欲をかいたら、この三枚は宙に浮きますわ。父の十年が、また、無になる」
わたしは、三枚を布に包んだ。壊れ物を扱うように。
「今日はドロテウスまで。それで父の名は雪がれます。……それだけで、十分、過ぎるほどですわ」
その晩、王命の再調査は、結審の場を公開の審問と定めた。
父ゲルハルトの失脚の真偽を、公衆の面前で検める。二十七年ぶりの公開審問に続く、二度目の。——ドロテウスの、十年の細工が、白日の下に晒される日が、決まった。
「ヴィンケルさん」
わたしは、老人に向き直った。
「怖い思いをもう一度、していただくことになります。……公開の場であの晩のことを、証していただけますか。あなたとあなたの私控えを執行局が、命に代えて、お守りします」
老人の肩から、震えが引いた。それから十年、初めて、背筋を伸ばした。
「……ゲルハルト卿はわしのような下役にも、いつも丁寧なお方だった。あの方に罪を着せたまま、死ぬのは……寝覚めが悪すぎまさ」
父の符牒・公式の受入目録・ヴィンケルの私控え——別々の三人が別々に残した紙が、同じ真実を語る。「私控えは、嘘をつかない」。父は原本を盗んだのではなく、盗まれたのを見つけて嵌められた、と紙で固まりました。
ただし黒幕(頭巾=モルゲンシュテルン)の顔を暴く証しは、開かずの扉の向こう。ユスティーナは無理をせず「今日、届くのはドロテウスまで」と線を引きます。欲張って三枚とも潰されないための、公証人の抑制です。
いよいよ、父の失脚を検める公開審問へ。ただしその前の夜に、こちらの足を止めに来る手があります。三枚の紙が同じ一点を指す形に痺れた方、ブックマークで審問までお付き合いください。




