第25話:消えた受入係
ヴィンケルという名の老人を、王都で探すのは、藁の山から針を探すようなものだった。
院の名簿からは、十年前に消えている。住まいの記録も、辿れば、二度、三度と移り、途中でぷつりと途切れていた。逃げ隠れするように。あるいは逃げ隠れさせられるように。
「役人の伝手じゃ無理でさ」
ハンネス親方が、太い腕を組んで言った。詰所にはいつのまにか、市井の顔ぶれが集まっていた。金物の親方、パン屋のマレーネ、触れ書き屋の親父。みな、かつてユスティーナの一枚に救われた人たちだ。
「けどよ、検認人さま。役人が探せねえ人ってのはたいてい、おれたちの側に沈んでるもんだ。裏の路地にゃ、裏の路地の人別ってもんがある」
「触れ書きにゃ、しにくいがね」触れ書き屋の親父が、顎を撫でた。「顔と歳と昔の役目をそっと回してみらあ。刷り物じゃなく口から口へ。……その手のことは、お上よりこっちが早い」
「あたし、西の路地なら、竈のお得意さんに、訊けます」マレーネが身を乗り出した。「年寄りのことは年寄りが知ってますから」
「わたしもいいですか!」ミルテが、手を挙げた。「院の古いお仕着せのことなら。……昔の受入係が、どんな襟の服を着ていたか、覚えているお婆さんが洗い場に」
「洗い場のお婆さん、とは、いいところに目を付けますこと」
わたしは思わず微笑んだ。役人の名簿は名前しか覚えていない。けれど市井の人たちは、顔を覚え、襟を覚え、癖を覚えている。人が人として生きた跡を。
わたしは胸の奥がじんと熱くなるのを覚えた。
(紙に泣かされてきた人たちが、いま、紙のために動いてくださる。……これがわたしの耕してきた庭ですのね。)
三日後。答えを持ってきたのは、マレーネだった。
「検認人さま。……いました。東の川べりの、貧しい長屋に。もとは院のお役人だったって、こっそり言うお爺さんが。人をひどく怖がっていて」
わたしはミルテだけを連れて、川べりの長屋を訪ねた。役人の一団で押しかければ、あの晩の恐怖を、もう一度、味わわせることになる。
川べりの長屋は、湿った木の匂いと、どぶの匂いが混じっていた。かつて、公証院の受入所で上等な羊皮紙と、封蝋の匂いに囲まれていた男が、いまこんな場所に。
戸を叩くと痩せた老人が、怯えた目で隙間から覗いた。ヴィンケル。かつて、公証院の受入係を務めた男。いまは川の湿気に蝕まれた、粗末な部屋で身を縮めて生きている。皺の刻まれた指だけが、昔、几帳面に記録を付けた名残を、とどめていた。
「な、なんの用だ。わしはなにも、知らん。なにも見ておらん」
「ヴィンケルさん」
わたしは黒檀の印章を、見えるように掲げた。
「これに見覚えはございませんか。——先代法伯、ゲルハルト・フォン・ヴェッセルの、印章です」
老人の怯えた目が大きく見開かれた。唇がわなわなと震える。
「……ゲルハルト、卿の。あんたまさか」
「娘です。父の名誉を取り戻しに来ました」
老人は顔を覆って、崩れるようにしゃがみ込んだ。十年、抱えてきたものが、堰を切ったようにあふれ出した。
「わしは……わしは見た。あの晩。副総裁が古庫の鍵を持った、身なりの良いお方を伴って、夜半に庫の奥へ入られた。翌朝にはゲルハルト卿が、原本紛失の咎で、捕らえられて……わしは口を封じられた。『見なかったことにすれば、暮らしは立ててやる』と」
「……そのお方のお顔は」
「見えなんだ。頭巾を深く。……ただ鍵を。古庫の鍵を当たり前のように持っておられた。副総裁ですら、その方の後ろを歩いて、おられた」
副総裁ドロテウスが、後ろを歩く相手。古庫の鍵を世襲で持つ家。——モルゲンシュテルン。
「あの晩からわしは夜が、怖い」老人の声は掠れていた。「戸を叩く音がするたび、口を封じに来たかと……十年、ろくに眠れなんだ。ゲルハルト卿には済まないと思うても、わしのような下役になにができよう。妻子もいるのだ」
「よく生きて、いてくださいました」
わたしは静かに言った。責める気持ちは、微塵もなかった。強い者に紙をねじ曲げられ、口を封じられ、それでも生きのびてきた。それは恥ではない。
「けど、検認人さま。わしの見た話など、証しにはなるまい。年寄りのたわごとと言われれば、それまでだ」
「ええ。お話だけでは、弱い。……ですが、ヴィンケルさん」
わたしは尋ねた。
「口を封じられたとき、なにか、握らされませんでしたか。……お金か。証文か。あなたの沈黙を買った証しを」
老人はしばらく震えていた。それから寝床の藁の下から油紙にくるんだ、小さな包みを取り出した。
「……これを持っていることが、いつか、わしの首を絞めると思うて。けど捨てられなんだ。あの晩のたった一つの、証しだから」
老人の皺だらけの手が、震えながら、油紙の結び目を解いていく。長い間、開けられずにいたその紙は、湿気を吸って、端が波打っていた。
「あの晩、公式の目録には、副総裁に言われるまま、嘘を書いた。……けどわしは受入係だ。四十年、正直に記録を付けてきた。嘘の目録のその裏でほんとうのことを、こっそり、控えずにはおられなんだ。……性分だ。もうどうにもならん性分でな」
油紙が開かれる。中から出てきたのは——一枚の、私控えだった。几帳面な、けれどあの晩の恐怖に、少し乱れた字で真実が記されていた。
消えた受入係ヴィンケルを探し当てたのは、役人ではなく、市井の人たちでした。ハンネス親方、マレーネ、触れ書き屋——かつてユスティーナの一枚に救われた人々が、今度は紙のために動く。「これが、わたしの耕してきた庭」。B4「紙が弱い者を守る」が、実を結ぶ回です。
十年、恐怖に縮んで生きてきた老人。あの晩、副総裁の後ろを歩き、古庫の鍵を当たり前に持っていた頭巾の人物——そして、藁の下から出てきた一枚の「私控え」。次話、その紙が、扉の向こうを語ります。救われた人たちが今度は紙のために動く形にじんときた方、評価で一押しを。




