第14話:審問は、公開でお願いします
符牒の覚え書きは、燭台の下で、静かに息をしていた。
抜き取られた正本が十七。書き替えられた登録簿が九。お父様の遺した、細工の地図。——けれど、これは地図でしかない。原本庫の現物と突き合わせて、初めて、証しになる。
夜のうちに出した使いに応えて、ライナルト様は、夜明け前の鐘と同時にお見えになった。
「——正当な方法が、ひとつだけある、と聞いた」
「ええ、殿下」
わたしは、卓の上の一枚の紙を、指先で押し出した。公証院への、正式な届けの下書き。
「資格審問ですわ。ドロテウス様が、ご自分でわたしを、院へお呼びくださいましたの」
「審問は、奴の土俵だぞ。非公開の、院内の手続きだ。主宰も、裁くのも、奴だ」
「ですから、土俵のほうを、造り替えますの」
わたしは、下書きの一行を示した。
「院則第五十二条。『名誉に関わる審問において、審問を受ける者は、その公開を請求できる』。——被審者の、権利ですわ」
ベンノ爺が、あっ、と小さく声を漏らした。
「……旦那様は、それを、なさらなかった」
「なさらなかったのではありませんわ、ベンノ。させてもらえなかったのよ。請求の紙を出す前に、辞任へ追い込まれた。十年前の筋書きの、いちばんの急所は、そこ」
(非公開の部屋でなら、紙は握り潰せる。人の目の前では——潰せない。)
「同じ轍は、踏みませんわ。彼の庭で裁かれるのなら——庭ごと、人前に引きずり出すまでですわ」
「そのうえで、殿下。あなたに、ひとつだけお願いがございます」
「言え」
「審問の場に、執行局長として、立ち会っていただけますか。……そして、わたしが審問の場で照合請求をしたら——先の検分の先例どおり、原本庫を、開けてくださいませ」
書庫が、静まった。
わたしは、続けた。誤魔化しは、この方への礼を欠く。
「重いお願いですわ。執行局が、公証院の審問に踏み込む。相手は副総裁。しくじれば、殿下のお立場ごと——」
「あなたの紙なら、迷わず執行できる。……言ったはずだ」
即答、だった。
灰青の目は、揺れていなかった。ただ、いつもの事務口調の底で、押し殺した何かが、一度だけ覗いた。
「私は昔、偽りの紙を見抜けず、無実の家をひとつ、潰した。……以来ずっと、考えていた。執行とは、何のためにあるのかと」
「殿下……」
「原本庫は、開ける。あなたが請求した、その時に。職を賭ける——と言いたいところだが、訂正する。賭けるまでもない。これが、執行局長の職務だ」
それから、事務口調のまま、こう付け足された。
「万一、院が席上の照合を拒んだ場合は、その場で公開検分を布告する。……先例は、あなたが作ってくれた。二重の鍵だ」
(……この方は、ほんとうに。)
(口説き文句のひとつも仰らないで、いちばん重いものを、いちばん軽い顔で、置いていかれるのだから。)
翌朝、公開請求の届けは、正式に院へ出された。
——そして、三日。返事は、なかった。
「受理の報せが、まだ?」
「はい。窓口では『総裁室にて検討中』と。……それから、お嬢様。今朝がた、院の役人と名乗る方々が『院の検め』だと申して、書庫の錠と窓を、検めていきました」
ベンノ爺の手には、もう一通。封も署名もない文。——曰く、老いた書記が余生を静かに過ごしたくば、古い話を口にせぬことだ。
「怖くはなくて、ベンノ?」
「四十年前に、旦那様から給金をいただいた日から、この身は紙側の者にございます。……それに、お嬢様。脅し文というものは、書き手が怯えている時にしか、届かぬものですよ」
(受理を遅らせて、審問の日切れを待つ。その間に、証人の口を塞ぐ。)
(十年前と、寸分違わぬ手際。——けれど、慌てているのはそちらのようですわね。)
(結構。そちらがそのおつもりなら——)
と、算段しかけた、そこへ。
「お嬢様ーっ!」
ミルテが、市場の方角から駆け込んできた。頬を真っ赤にして、手には刷りたての触れ書き。
「わたし、やっちゃいました!」
「……何をかしら」
「公開請求の写し、王都の触れ書き屋さんに持っていきました! そしたら、ほら!」
差し出された刷り紙には、大きな文字が躍っていた。
——偽造を暴いた検認人、こんどは院に裁かれるらしい。被審者は公開を請求せり。院はこれを、受けるや否や。
「市場じゅう、この話でもちきりです! みんな怒ってました、『あのお嬢さんを裁くなんて』って! だって、悪いことしてないのに隠れるの、変です! みんなに見てもらえばいいんです!」
聞けば、触れ書き屋の親父は請求の写しを一読して、銅貨も取らずに刷り上げたのだという。「こいつは売れる」と笑いながら——けれど帰り際、ミルテの頭に手を置いて、こう言ったそうだ。あの検認人には、うちの店賃の証文を救われた、と。
叱るべき、なのでしょうね。届けの写しを、勝手に持ち出したのだから。
(でも——非公開の部屋で握り潰すはずだった紙が、王都じゅうの壁に、貼り出されてしまった。)
(もう、握り潰せませんわね、副総裁様。人の目は、封のできない登録簿ですもの。)
「ミルテ」
「は、はいっ。ごめんなさ——」
「上出来よ」
夕刻、院から使いが来た。公開請求、受理。審問は予定の日取りのまま、公証院大広間にて、公開で行う——。
その晩、書庫には市井のお客様が、入れ替わり顔を出した。ハンネス親方は、弟子を三人も引き連れて。
「嬢ちゃん。おれたちも聴きに行きやすぜ。紙のことは分からねえが——どっちが嘘つきか見る目なら、ある。金物を四十年、検めてきた目でさ」
「まあ。心強い、検分のお仲間ですこと」
「礼を言うのは、こっちでさ。泣き寝入りするしかなかったおれたちの紙を、あんたは一枚ずつ、拾ってくれた。……今度は、おれたちが席を埋める番でしょうが」
笑い声が、書庫の天井にまで届いた。十年前、お父様が独りで追われた道を、わたしは、こんなに賑やかに歩いていく。
(泣きそうになるのは、審問に勝ってからに、いたしましょうね。)
皆が引き上げた夜更け。わたしは検分箱を開け、黒檀の印章と、符牒の覚え書きを、静かに納めた。
拡大鏡。物差し。針。そして、お父様の印。——十年前の、あの晩の続きを、この箱ひとつで受け取りに行く。
「お嬢様。お髪を」
ミルテが、櫛を手に待っていた。ベンノ爺は、明日の装いを——喪服のように黒い、けれど襟だけ白い検認人の装束を、皺ひとつなく整えて。
(独りで参りますと言ったら、この子たちは怒るのでしょうね。)
(お父様。あなたの地図で、あなたの箱で、参ります。今度は——庭ごと、明るいところで。)
蓋を閉じる音が、思ったよりも高く、鳴った。
——審問、当日の朝。
公証院の大広間は、開門と同時に人で埋まった。職人、商人、触れ書きを握りしめた野次馬たち。壁際には、灰青の目の執行局長が、事務の顔をして立っている。
わたしは検分箱を抱え、広間の中央へ進み出た。そして上座には、深い臙脂の官服。金の鎖。柔和な、笑み。
「さて——では、はじめましょうか」
お読みいただきありがとうございます。非公開の審問を、院則の「公開請求」で人前に引きずり出す回でした。十年前、お父様が奪われた一手を、今度こそ。
そしてミルテの触れ書き屋への持ち込みが、握り潰しを完全に封じました。悪いことしてないのに隠れるの、変です。
次話、いよいよ公開審問——決戦です。ブックマーク・評価で応援いただけると、とても励みになります。




