4-2 チェリーブロッサム~桜咲け~その1
(くそっ)
なんだってあんなミスをした。
たかだか枯れ葉一枚で全部台無しだ!
せっかくセミファイナルまで進んだのに。
(よかった、香菜さんが来てなくて)
予選で落ちたらカッコ悪いと思って来て欲しくなかったんだけど、なんだよ、彼女がいないとこのザマか。切りくずを一枚見逃すなんてあり得ないミス、いままで一度もやらかしたことないのに。
さっきから気分が悪い、脂汗が止まらない。全部吐いても胃が縮んだままだ。水も受け付けないなんて。
ちくしょっ、こんなところを誰かに見られたら惨めすぎる。
「オタマッ!」
薄暗い廊下の方から声がして、フロアに反響した。
このフロアは今日は使ってないから誰もいないはず、って僕をオタマって呼ぶのはあの人しかいない。
なんで? なんで来ちゃったんだよ。
仕方なく僕は廊下へと歩き出した。
「香菜さん、ここ男子トイレですけど」
「知ってるわよ、青い顔してどこかへ行っちゃうから具合が悪いのかと思って様子を見に来てあげたの」
「いや、あの、なんでここに?」
「応援に決まってるじゃない、朝の一次選考からずっと見てたわ」
「そ、それなら声を掛けてくれれば」
「だって気が散るんでしょ」
いまさら取り繕っても仕方ない。実際、彼女の顔を見てものすごく安心してる。
「お腹空いたんじゃない? おにぎりとサンドウィッチがあるけど、ゼリーの方がいいかしら」
「いえ、食欲がないんで」
「大丈夫? この後のステージがもたないわよ」
「え?」
「トシくんが言ってたけど、ファイナルに残ったって」
僕は慌ててスマホを取り出した。
確かにトシくんからメッセージが入っている。
「ああ、奇跡だ」
両手で顔を覆って笑いと涙を堪えた。
誰もいないフロアのベンチに座ると香菜さんは公園でランチするみたいにコンビニの袋を開けた。さっきまで石のように硬かった内臓がほどけ、ウソのように食欲が出てきている。
「おにぎり食べる? 昆布と鮭があるよ」
「昆布で」
「渋いよね」
「ばあちゃん子なんで」
僕の好きな具を覚えてくれてる、そんなことがいまはとても染みる。
「落ち着いた?」
「ほんと情けないです、あんな初歩的なミス」
「でも逆に減点されてもファイナルに進んだってすごくない?」
「終了ギリギリでゴミを拾ったんでセーフだったかもしれません」
「じゃあ、作品自体は自信があったんだよね」
「はい、あっ」
僕がぽろぽろと米粒を落としたのを見て、香菜さんが手を取った。
「冷たい!」「暖かい!」
同時に言った二人の低い笑い声がしんとしたフロアに響く。
「すごく手が冷たいわ、緊張しすぎじゃない?」
「両棲類なんで」
あははと笑った香菜さんは掌で僕の手を包んでくれて、二人の体温が同じになっていく。その間、僕は子供のようにもぐもぐとおにぎりを頬張っていた。和太鼓のように鳴り響く胸の鼓動を聞かれやしないか心配しながら。
「どう? 私だって役に立つでしょ」
「いつもはこんなに緊張しないのに、地元の花屋さんが出場してるせいかアウェイ感がものすごくて」
「愛知って花卉市場の本場だものね。夫婦で参加してる人もいたし」
「応援なんて本番中は耳に入らないんで気にならないですけど、いま僕は…香菜さんのために賞を獲りたいと思ってて、他にも余計なことばかり考えちゃって」
「私のためになんて思わなくていい。これはあなたの夢なんだから」
そう言えば、コンテストで賞を獲りたいって言い出したのは自分だ。いつの間にか香菜さんのためなんて目標をすり替えてる。
「誰も作れないあなただけの花を作ってよ、私はそれが見たいだけだよ」
彼女の顔が目の前にあった。
頭にカッと血が上るのがわかった瞬間、彼女は口の端に付いた米粒を唇で取るとぺろりと舌を出した。
僕を包んだ淡い香りはラベンダー、香菜さんが好きなコロンの香り、すぅっと鼻から染みていく。
ああ、どうしてこの人は僕の不安を根こそぎ持って行ってくれるんだろう。
◇ ◇ ◇
ケンジは元気を取り戻すと急いで控室に戻って行った。
まったく世話が焼けるオタマだこと。
(さて)
私はゆっくりと後ろを振り返った。
私とケンジの二人だけと思われた4階フロアだったが、じつはもう一人いるのに気付いていた。
「柱の影の人、何かご用ですか?」
声を掛けるとその人は太い柱の後ろから姿を現した。
ほっそりとしたシルエット、女性だ。だがその顔を見て私は次の言葉が出せなくなっていた。




