3-5 ラナンキュラス~蛙~その2
もうおしまいだ。
きっと香菜さんはすごく怒ってる。
こんなに情けなくてみっともない姿では言い訳もできない。
「今日はあなたがラナンキュラスね」
近付いてきた香菜さんがぽつりと言った。
「ラナンキュラス?」
かつて『香菜さんはラナンキュラスのようだ』と言ったのを思い出した。華やかで美しく愛らしい。
「あら、花屋のくせにラナンキュラスの語源を知らないの?」
彼女の声がとても冷たい。
僕は頭をフル回転させて思い出した。
たしかラナンキュラスの学名はラテン語でrana + culus。
「あ」
ranaはカエル、culusは小さい。
「僕、カエルですね」
「カエルを通り越してオタマジャクシだわ」
ああ、やっぱりそうだ。
彼女をとてもがっかりさせてしまった。
もう、ダメだ。僕はまた捨てられる。
「くしゅん」
小さなくしゃみが聞こえて、するりと僕のコートの中に手が入ってきた。
「あったかい」
香菜さんの声が胸の上で響く。
混じっていく体温と共にゆっくりと預けられる体の重み、どうして僕はこれを忘れられると思ったんだろう。
境内が薄暗いのをいいことに、僕は彼女を抱きしめていた。
◇ ◇ ◇
「落ち着いた? お茶でも飲もうか」
さすがに寒いのでケンジをカフェに誘った。
本当は二人きりで静かに話した方がいいんだろうけど、それではこのオタマくんは本格的に泣き出してしまいそう。
カフェの店員さんまで気を遣って、店の奥の隅っこの席に案内してくれた。バレンタインに痴話げんかをしたカップル、しかも私が一方的に悪者と思われたに違いない。
「ごめんなさい」
「私を何だと思ってるの? 恋人に盗聴器を仕掛けるような女よ。こんなことじゃ驚かないわ」
ケンジは一瞬笑顔を見せたけれど、やはり情けない顔で俯いた。
「嬉しかった」
「え?」
「だって私を探してくれたんでしょ」
ケンジは頷いたがそれきりまた俯いてしまった。
「でも、私はフラれたと思ったんだけど」
「それは…」
「女と付き合うと甘えが出るとか、作品が落ちるとか偉そうなこと言ってたじゃない」
「そんなこと言ってませんて」
「Gが出てくる部屋でひと晩中震えてたのよ。それなのにあなたは眠っちゃって、そのうえ『カナカナ』ってずっと耳元でうるさいし」
ケンジが耳まで赤くなった。
やっぱり気付いてなかったんだ。
「起こしてくれればよかったのに」
「セミか! って何度もおでこ叩いたわよ。でもぜんぜん起きないし」
「セミ? あ、ヒグラシ」
「子供の頃カナカナゼミってからかわれたの、虫が嫌いだったからすごくイヤだったの」
「ぷ」
「笑うな、オタマって呼んじゃうぞ」
「それはカンベン」
やっとケンジの表情が戻ってきた。
笑うと…ほんっと可愛い。




