3-1 ディオネア(ハエトリグサ)~Gショック~ その3
桜井氏の部屋は表参道から20分ほど電車に乗った地下鉄の駅近くにあった。電車の中では不機嫌そうだったが、駅からアパートまでの間は私の肩を抱き守るように歩いてくれた。優しさからというより、この辺りはあまり治安が良くないということらしい。
アパートは木造2階建てでもちろんオートロックなどない。
「大きな声は出さないでくださいね、壁が薄いので」
案内されたその部屋は20平米ほどのワンルームで予想に反してびっくりするほど何もなかった。キッチンにはケトルとテーブル、椅子がひとつずつ。椅子を私にすすめ、足元の小型ストーブを点けると彼はベッドの上に座った。灯りはストーブとベッドサイドのスタンドだけだ。
「ミニマリスト?」
「違います」
「でも、あのお花屋さんのお給料ならもっと広い部屋に住めますよね」
「家元制とは違いますけど、フラワーアレンジメントもいい先生についたり、留学して力を付けないと上には行けない。それなりに費用がかかるんです。だから無駄なお金を使いたくないし、お嬢さんの気紛れに付き合う暇もないんです」
「気紛れじゃ…」
ストーブのゆらめく光の中で彼は首を横に振った。
「ここ、なんにもないでしょ。あるのは借金だけ」
「借金?」
「元カノなんで取り立てには来ないですけど、意地になって返してます」
(ウソ、またやっちゃった?)
元カノに借金があっていまはカツカツの生活ってこと? それじゃ、私はまたもやクズ男を引いたのかしら。いや、踏み倒してないんだからクズではない…よね。
「バリキャリの彼女ができて、一緒に夢を叶えようって言ってくれて。でも僕が甘えすぎたんです。花にかかる費用だけじゃなくて生活費まで頼るようになって、それが当たり前って思ってました。さすがに彼女も怒っちゃって…」
「生活に困らないなら花に集中できたんじゃないですか?」
「そういうの、作品に出るんですよ。独りよがりで傲慢。俺には才能があるって思い込んで自惚れて、認められないのは世間が悪いみなたいな言い訳してました」
「そんな風には見えないですけど」
「いまならわかります。僕に何が足りなかったか、何がいけなかったか。でもトラウマになってしまって、だから女の人にお金出してもらうのはナシで」
「例え私のせいで払う羽目になったホテル代でも、払ってもらうのはイヤなんですね。でも私はあの時、あなたにいて欲しいと思った直感は正しいと思ってます」
「気持ちは嬉しいです、でも寂しいときに上辺だけでも優しくしてくれる人ならいくらでもいるでしょ。僕はそういうのに向いてない」
「私のこと褒めてくれたのは上辺だけですか?」
「いいえ、あなたは素敵な人です、才能があってお金持ちだ。僕なんかよりいい人はすぐ見つかる」
「僕なんかって言うのやめてください、好きになった私がバカみたいじゃないですか」
「香菜さん、変わりましたね。私なんかって言わなくなった。今は充実してるんじゃないですか、僕に関わる必要はないでしょ」
(何故、わかってくれない?)
もう泣くまいと思っていたのに涙が溢れてきた。タカシの前では吐くほど苦しくても出なかった涙が、何故この人の前では簡単に流れてしまうのだろう。
ごめんなさい、これは最後の賭け。もう一度だけ『泣き落とし』を使わせてもらいます。
そう思って彼を振り仰いだとき、その肩越しの壁に黒いものが動いた。
「イヤァ―――――――――――ッ!」
「ちょ、ちょっと、大声はだめって、警察呼ばれます」
「だって、あれ、Gでしょ、Gは無理無理無理無理、早く! なんとかしてっ」
「えええっ、ちょっと待って」
必死で追いかけ回したがGは行方不明。
泣きながらベッドの上に避難した私を「大丈夫、僕が守るから」と言って抱きしめてくれたが、気が付くと彼は眠ってしまい私は一睡もできなかった。




