勇者殺しを仕組んだ者
イザベラ・シャリエルは聖都大聖堂の廊下を歩いていた。
大司教に呼び出され、ガディフ将軍捜索の任が解かれた、その帰り道だ。
彼女本来の仕事とはかけ離れていた任務なので、ひと区切りついたのは喜ばしい。
しかし対象が国外へ逃亡したとの結論には疑問を抱いていた。
(本当に、将軍は逃げおおせたのでしょうか?)
聖都の城門を突破した幌馬車はどの地区でも目撃されていない。
魔族の助力があれば可能であると、聖王と大司教が判断したのなら口を出せるものではないが、煮え切らないものがあった。
大聖堂内にある執務室へと入る。
机に向かい、一枚の紙にペンでさらさらと書き記した。
九名の貴族の名を、高位な者から順に並べていく。
その一番上と一番下に二重線を引き、中ほどにある名――ドノバン・ガディフに横線を一本入れたところで、ペンを置いた。
しばらく紙面をじっと凝視していると、ドアがノックされた。
「シャリエル司教長、お客様をお連れいたしました」
「どうぞ、入ってください」
紙を持って立ち上がり、開いたドアへ顔を向ける。
「やあ、イザベラ。私を呼びつけるとは、君も偉くなったものだねえ」
入ってきたのは細身の中年男性だ。覇気のない表情には薄ら笑いが貼りついている。
「ご足労をおかけして申し訳ありません、ハーキム伯爵」
「冗談を真面目に返されると、オジサンが意地悪な大人みたいじゃないか」
案内した修道女がくすくす笑うのを見送り、ガラン・ハーキムはイザベラに近寄った。
「で? 私になんの用があるんだい?」
イザベラは表情を引き締め、「これを」と手にした紙を手渡した。
「ふむ…………、なかなか錚々たる面々だね。二本線で消してあるのはダボン公にギュスター子爵か。死んじゃったから?」
「はい。ガディフ将軍は行方不明なので一本だけです」
「ふぅん。で、これなに?」
「なんだと思われますか?」
ハーキムは居心地悪そうに頭を掻く。
「なんか試されてる? まあ、答えるけどね」
やれやれと肩を竦めて言う。
「マティスを陥れた張本人。勇者殺しを主導した面々、かな?」
「なぜ、そう思われたのですか?」
ハーキムはイザベラが座っていた椅子に浅く腰掛け背を預けた。
「君があの裁判の後、この件をこっそり調査してたのを知ってるからね。ていうか、わりと噂になってるよ? あまり『こっそり』になってないよねえ」
それに、と続ける。
「ギュスター君を除けば全員がこの三年でずいぶん出世してるからね。ジークは次期聖王の筆頭候補だった。彼が生きていたら、そしてマティスがその補佐を務めていたら、真っ先に排除されるか良くても現状維持がせいぜいの取るに足らない者たちだ」
だから厄介者の勇者を始末した、とハーキムは考えていた。
「でも不可解だね。どうしてこんな話を私にしたんだい? ここまで調べているなら、マティスに教えてあげればいいじゃないか」
「彼は知ればきっと無茶をします。いえ、もうすでに始めているのかもしれません」
「まさか。彼はずっと辺境にいたんだよ? ガディフ将軍の件は偶然の要素が強いし、ダボン公に至っては距離がありすぎる。あの首輪がある以上、ダボン公の犯罪の証拠をつかむのだって至難の業だ」
イザベラはハーキムから紙をもらい受け、それをじっと見る。
「ですが、彼は至高の賢者と謳われた者。私たちには思いもつかない方法で事を成したのかもしれません。それに、彼に付き従うフェリという名の半魔族は相当な手練れだとか」
「彼女が長く辺境を離れていたなら、それだって調べればすぐわかる。あれだけ目立つ耳と尻尾を残したままで、ダボン公の領内で情報収集なんてのもできそうにないしね。そんな危険を冒すとは思えないよ」
ハーキムは椅子から腰を浮かせる。
「この話、マティスにはしちゃいけないんだよね?」
「ええ、そうしてもらえると助かります。それから……あの子が無茶をしないよう、側で見ていてもらえますか?」
「そう言われてもなあ。オジサン、もうすぐ自領に戻らなくちゃだし」
イザベラは深々と頭を下げる。
「あの子が何を考えているか、それとなく探っていただく程度で構いません。どうか、お願いします」
「至高の賢者に探りを入れるの? オジサンが? 無茶言うね。ま、ほかならぬ君の頼みだ。がんばってはみるけど、あまり期待はしないでね」
それじゃ、と困り顔で出ていくハーキムの背を、イザベラは薄笑いで見送った――。
「――てな話を、シャリエル司教長としてきたよ」
邸宅に戻ったハーキムは、客間でのんびりしていた黒髪の青年に包み隠さず報告した。
手にした本を閉じ、ジークは苦笑いで応じる。
「黙っていろと釘を刺されたのでは?」
「オジサンってばほら、化かし合いとかできるオツムを持ってないし」
「貴方の場合は単純に面倒だからでしょう? というか、他にも理由があるみたいですね」
「あ、わかっちゃう? いやあ、どうにも彼女は昔から苦手でね。あまりにも善人に見えすぎるから、逆に胡散臭いというか」
それに、とハーキムは真面目な顔つきになった。
「彼女は今までずっと君を擁護し続きてきた。だというのに、あの若さで司教長に抜擢されたのはどうしてだろう? ってね。やっかみか、これ」
最後はおどけてみせたが、人を見る目があるなとジークは感心した。
と同時に、やはり信頼できる人だと思った。
すでにハーキムは巻きこまれてもいるのだから――。
「彼女はそのリストに名を連ねてよい人ではありません」
「あ、そうなの? なんだ、オジサンはてっきり連中の仲間かと――」
「あの女こそ、勇者殺しを立案し、九名の貴族を裏で操っていた張本人ですからね」
凍えるほど冷たい視線に、ハーキムは絶句するのだった――。




