狼狽
「なにしやがんだテメエー!」
突然現れた赤髪の少女――ルナが重厚な扉を大剣で突き破った。
門番の男は絶叫ののち、
「ぶべっ!?」
大剣を叩きつけられ、その場に崩れ落ちた。
「先を急ぎます。ごめんなさい」
ルナは中に入って突き進む。
すでにフェリは潜入していて、奥へと行っただろう。
燭台が置かれていない廊下の先は暗く、ルナは目を凝らして駆けるうち。
「ん? 声……?」
左右に並ぶ扉のひとつから、女性の苦しむような声が聞こえた気がした。
フェリが助けたエルフの少年のように、病気で隔離された誰かがまだいるのだろうか?
「どなたかいらっしゃいますか? 今助けま――すわぁ!?」
扉を蹴破り中に入ると、
「な、なんだお前は!?」
「ひぃっ!?」
中年男性と若い女性が、ベッドの上で抱き合っていた。裸で。
「きゅきゅきゅ休業中と伺いましたけど!?」
目のやり場に困り、あたふたと慌てふためくルナ。
そこへ飛びこむメイドさん。
「ここの責任者と情婦でしょう。暇に飽かせて情交に耽っていたようですね」
ルナは目をぱちくりさせる。見慣れた顔ではあるが、馴染みある耳と尻尾が見当たらなかった。とはいえ指摘するのはなんとなく憚られる。
「こちらはわたくしが処理します。ルナさんは奥へお進みください」
「た、助かりますぅ……」
「ところで、貴女も正式に準男爵を授与されましたので、すでに貴族の一員です。今後を考えますと『ルナ様』とお呼びすべきかと思いますがいかがでしょう?」
「今その話って必要ですか!?」
とっとと立ち去りたいルナは涙目になる。
「どっちでもいいです~!」
その言葉を残して部屋を飛び出した。
バクバク跳ねる心臓を落ち着かせようと、深呼吸しながら廊下を走る。
緊張感を取り戻すべく表情を引き締めたその直後。
暗がりから誰かが迫ってきた。覆面をした巨漢だ。その後ろにも何体かの小さな影が揺らめいている。
狭い廊下では大剣は取り回しが悪い。
しかしルナは走りつつ腕を畳み、身を沈ませると、
「せいっ!」
大剣を縦回転で振り下ろした。
びったーん、と幅広の刀身が相手の顔面を叩く。続けざま腹を目掛けて正面キック。
巨躯は吹っ飛び、後方にいた小柄な誰かを巻きこみ押し倒した。
ヒュン。
その最中に聞いた音。
体勢を整えようとした自身の首元に、小さな針が飛んでくるのが見えた。吹き矢だ。
(あ、マズ……)
避けきれない。刺さったところで致命傷にはならなさそうだが、毒でも塗られていたら以降の戦闘は望めない。
キィンッ!
ところが、彼女の首近くに小さな魔法陣が現れ吹き矢を弾いた。
(先生、ありがとうございます!)
事前に彼女にかけておいた自動発動型の防御魔法。
ルナは一足飛びに近寄って、残る小柄な者たちを一掃した――。
ドノバン・ガディフ将軍は一時的に釈放され、聖都にある邸宅の自室にこもっていた。
かつての筋骨隆々だった体は見る影もなく、今は樽のような腹をさすってロッキングチェアに揺られている。
「将軍、一大事にございます!」
ノックもそこそこに初老の執事が入ってきた。
ガディフはびくりと巨躯を跳ねさせる。
「な、何事だ、騒々しいぞ!」
「申し訳ございません。しかし、火急なことゆえご容赦くださいませ」
執事は一拍置いて告げる。
「闇娼館のひとつに教会の捜査官が押し入りまして、隠していた魔族たちが捕らえられ――」
「なんだと!」
ガディフが勢いよく立ち上がると、ロッキングチェアが倒れんばかりに大きく揺れた。
「バカを言うな! 教会の奴らめが強硬策に出られぬよう、軍部に手を回しておいたのだぞ。いかにシャリエル司教長であろうと、独断でそのようなことできるはずがない」
「それが……強制捜査ではなく、そこでの騒ぎが発端らしいのです」
「なに? どういうことだ?」
執事が滔々と説明する。
メイド姿の女がその闇娼館に連れ去られたと、赤髪の女剣士が問答無用で押し入った。
そこで魔族たちと戦闘になり、たまたま近くを通りかかった捜査官たちが、騒ぎを聞きつけ中に入る。
そうして女剣士が倒した魔族たちを見つけ、魔族たちを拘束したのだ、と。
「愚かな……。何かあれば裏から逃げろと伝えていただろうが!」
「相手は一人と侮ったようですな。いちおう何体かは逃げたのですが、そこにも運が悪いことに教会の捜査官たちが集まっておりまして」
「そんな偶然があってたまるか!」
ガディフはロッキングチェアを蹴り飛ばした。破壊され、破片が飛び散る。
「メイドに、女剣士だと? そいつらと結託したシャリエルの策に間違いない」
しかし奇妙だとも思う。
「内偵の素振りがあればワシに情報が届くはず。あそこに魔族どもを隠していたと、どうやって奴らは知ったのだ……? そもそも女剣士とは何者だ!?」
「女剣士はこの度『英雄学院』へ入学が決まっている娘と聞いております」
「学生でもない小娘が、手練れの魔族たちを倒したというのか? いや待て、赤髪の……」
最近、嫌でも彼の耳に入ってきた少女の特徴と一致している。
ストラバル王国が主導した、エドワード王子暗殺計画を阻止した大剣使い。
勇将ガラン・ハーキムも認めた英才。
そして――。
「マティス・ルティウスの、教え子か……」
となれば今回の策は、イザベラ・シャリエル司教長ではなく、至高の賢者の入れ知恵によるものに違いなかった。
「おのれ、またしてもあの男に、ワシは邪魔されたというのか……」
魔王国軍との戦いの中、いかに武勲を立てようとも称賛のほとんどを、策を練っただけの頭でっかちにかすめ取られた。
それ以上に、多くの活躍をした最強の勇者にもっていかれた。
だから勇者を殺し、賢者を貶める謀略に一枚噛んだというのに……。
「まだ、だ……」
いくらなんでも闇娼館をガディフが直接営んでいたわけではない。金の流れさえ誤魔化しきれば、従業員や魔族の証言など覆せる。
そのほんのわずかな時間を稼ぐ。
ひとまず姿をくらまし、方々に指示すれば――。
「そう、まだ終わってたまるものか!」
――いいえ、貴方はもう終わりですよ。
どさり。
初老の執事がその場に倒れた。彼のすぐそばに、
「ぇ……?」
黒髪黒目の青年が立っていた――。