Episode5.戦闘準備
その黒髪はいつも通りだった。この荒びに似つかわしくない豪奢な室内は、闇に身を置く人間からすれば些か眩し過ぎる。至る所にある装飾が風に煽られジャラジャラと音を立て、非常に耳障りだ。
キーは優雅に酒を呷っている。グラスの縁から口を離したかと思えば、今度は時計をグラス越しに確認する。若干、いつもより歪んで見えた。
目を細める。やはり歪んでいる。
「おかしいな…僕の目がおかしくなったのかな?」
脚を組み替える。
「困ったなぁ、敢えて最大級の投資をしたのに…不良品かな」
キーは「まあ良いか」とぼやき、グラスをテーブルの上に置いて、その勢いのまま立ち上がる。
同時に、扉の方から音がした。
「…ん?」
◇◆◇◆◇◆
「…朝」
今日、マゼンタはやけに目覚めが良く感じた。身体中は昨日の影響で痛いが、なんとか起き上がる。
「いたたた…」
「起きたか」
シアンは既に起きていた。やけに元気そうで、暗闇では目の下に隈ができていることには気づくまい。
マゼンタはシアンが寝ている場面を認識したことはない。いつもマゼンタが起きている時には、シアンも同じように起きているから。
だからなのか、マゼンタにとっては〝いつも通り〟である。今まで独りだったマゼンタの隣にシアンがいるというたった数日を〝いつも通り〟と認識するのも、少し違和感があるが。
「起きたならさっさと支度しろ。睡眠以外に休んでる暇なんて無いのと同じなんだからな」
「え、まってまだ寝起き──」
「知らん、行くぞ」
シアンは扉を開け、マゼンタを置いてさっさと出て行ってしまった。しかし、その扉は開いたまま。
「ちょ、待って!」
マゼンタは覚束ない脚を引き摺りながら、シアンを追いに屋外へと出た。
今日の天候はやや晴れ、そして乾燥気味。水分が必要となりそうだった。
やがてマゼンタはシアンに追いついた。切れた筋繊維が「もうやめてくれ」と大袈裟に悲鳴をあげているが、シアンと離れて死ぬよりかはマシだったようだ。
「これ、何処に向かってるの…ったた…」
「開けた場所だ。どうせ動き回るんだから、それなりに広い場所じゃないと特訓が出来ないだろう」
「え、いや、それって危ないんじゃないの?」
開けた場所を選択するなど、暗殺の真似事をしている貧民街の住民からすれば恰好の的でしかない。此処で生き延びる為には、隠れる事も必要だ。まだ戦闘面で熟していないマゼンタをそこに連れ込むには早いのではないか。マゼンタは常人なので、そういう思考しか持てない。
「考えてもみろ。裏を返せば、誰もそんな所に〝近く〟でも行きたがらないんだよ。〝もし足を踏み入れたら〟って、起こるかどうかもわからない可能性を想像して勝手に避けるんだ。私だって昔はそうだったしな」
「へ、へえ…意外、シアンって昔ビビりだったんだ」
「その五月蝿い減らず口を今直ぐ縫い付けてやろうか?」
「本気に聞こえるからやめて」
「なんで冗談の前提なんだ」
シアンは頭を掻き、溜息を吐いた。
それからかれこれ数分は、下らない漫才のような会話をしながら歩いていた。主にマゼンタが妙な発言をして、シアンがそれを詰る。
その繰り返しだけだったが、やがて。
「ねえ、シアンっていつから此処に居るの?」
マゼンタからシアンに、そう投げかけた。一瞬シアンの呼吸が不規則に変化した。
「そういうお前はいつから此処で生活しているんだ」
シアンがそう切り返す。それはシアンが苦し紛れに出した、いやマゼンタが出させた最後の一手と言っても良いかもしれない。本人が意図していなくともそうなのではないかと、シアンは言葉にした後に気が付いた。
しかし、シアンは。
「まあどうせ四年前だろ」
「…え、なんで分かるの」
「此処と外の世界の隔離が実行されたのは四年前だからな。それに私と会った初日にもお前が言ってただろう、壁を最後に見たのは四年前だと」
それ以上は語らない。言わなくてもその意味は容易に理解出来る。マゼンタには恐らく、二つの事が読み取れたのだろう。
暫くは沈黙が続いた。マゼンタは俯いたまま、だった。そして薄暗がりの雲の下、マゼンタ達は開けた場所…中央公園跡に着いた。
噴水は既に崩れ、折れたポンプからはもう水が出ない。髪に靡くのは乾いた風で、指に触れるのは乾燥。潤いなどありはしない。
「…此処が良いか」
シアンは足を止める。その一歩分だけ遅れて、マゼンタも足が止まる。
「えっと…」
マゼンタは辺りをキョロキョロと忙しく見回す。建物の陰、微妙に開かれたゴミ箱の中、枯れてもう色付かない低木の下。そうやって何かを探している。
「さっきも言っただろ。此処に人は居ない」
「…分かってるし、そんなの」
「分かってないから警戒しているんだろうが…」
シアンはトントンと靴音を鳴らし、その後脱力する。
「…何してるの?」
「分からないか?準備運動だ」
「なんで?」
シアンが準備運動をするところを、マゼンタは初めて見た。その行動を不審に思うのも当然だろう。
「お前の特訓に付き合ってやるんだ。私は加減するつもりはない」
「え、何言って…」
言う途中。
パンッ!!と音がした。同時に側頭部スレスレを、何かが風を切って通り過ぎる。
何が起きたか、マゼンタには分からない。判断する暇もない。しかし、今ある目の前の光景──シアンが、マゼンタの方に硝煙を燻らせた銃口を向けていることが、今の状況を把握へと導いてくれた。
「…………えっ?」
恐る恐る、顔を背後へと向ける。
狙ってか狙わずか、背後にあった灯らない街灯に跳弾した形跡。その数メートル横のゴミ箱の蓋に、弾丸が食い込んでいた。
戦慄。マゼンタの瞳孔が収縮する。
背後からシアンの声。
「生憎時間がない。今までお前が紡いで、繋いできた命の糸も、もう切れる。解れが出来て、全て無為になる。だから──実戦形式だ」
淡々と、されど重々しく。シアンは目に光を宿さずに言った。銃を握る手に温度はない。眉間に刻まれる皺に、遠慮も躊躇もない。
マゼンタの呼吸が止まる。後退った時に爪先立ちとなった方の足がミシンのように揺れている。
ただ、怖い。恐ろしい。逃げ出したい。そんな本能が全身を刺激してくる。
「なんだ、まさか怖気づいたか?」
挑発的な声だが、今までのような冗談交じりではない。昨日までのシアンとは、何か違う。根本的な何かが。
「悪いが私は本気だ。お前を殺すつもりで行くからな」
その言葉に嘘が感じられないことを、マゼンタの目と耳はしっかり拾っていた。同時に、鼻筋を伝う汗が煩わしく感じる程に、マゼンタは切羽詰まることとなった。
「…一つ訊いて良い?」
「聞こうか。なんだ」
マゼンタは深呼吸する。再び煤が体内を擽るが、今回は比較的余裕だ。
そしてマゼンタは質問を繰り出した。
「これは──私の為?」
今までの言動からも、これは確信を持っても良いことだ。シアンは初めから、マゼンタを想って行動している。
「時間がない」と、シアンは先程言った。「だから実戦形式だ」だとも。つまり、マゼンタを最速で強くする方法を、シアンは模索しているのではないか。
「…ふっ、どうだかな」
その言葉の奥に潜む感情に、マゼンタは目を細めた。そして。
「分かった」
と、少し晴れやかになったような言葉をシアンにぶつける。
「じゃあ、やろうか…実戦」
◇◆◇◆◇◆
「…準備良し」
「やっとかよ…トロいんだよ、インディゴのおっさん」
【ヘプタレイン】のメンバーの二人、インディゴとグリーン。現在敵の拠点から物資を奪い終えた。
グリーンが敵の男の喉元にナイフを突き立て、抜き、蹴り飛ばす。血を撒き散らしながら、綺麗に放物線を描く。
「トロくてすまなかったな。だがこれで準備は万端だ」
インディゴは素早く立ち上がる。【ヘプタレイン】年長者だと思わせない動作だった。
「そもそも、こんな準備必要か?六人揃うだけで人数有利で過剰戦力なのによ」
「グリーン。この街には化け物が居るんだ。生ける伝説である【スカベンジャー】や【カラーレス】のようにな。これはそんな化け物に飲まれないようにする為の準備だ。もし今回の被害や消耗がゼロだとしても、今準備したものは次に持ち越すことが出来る。この準備の時間は決して無駄にならないんだ」
インディゴは堅実な男だった。先を見据え、生きる術を磨く。長年の経験が、彼の精神を頑強なものとしていた。
「けっ、くだらね。ビビってるだけじゃねえかよ…まあ良い、勝手にやってろ」
グリーンは血の付いた拳を袖で軽く拭い、荷物を仕舞う。インディゴはその後ろ姿を見て、瞬きを一回。
「…グリーン、分かっているな」
何か諭すように、一言。
「何がだよ。言葉足らず過ぎて分かんねえよ」
インディゴの方に顔だけ向けて、睨む。その割に、目が澄んでいる。
「お前は【ヘプタレイン】を引っ張る存在だ。まだ若いし未熟だが、いずれは唯一無二で必要不可欠な人間となるだろう」
「そりゃありがたい話だな」
「だからこそ、お前には【ヘプタレイン】の未来を担って欲しい。俺には出来ないことだから」
その言葉に、グリーンは一瞬だけ目を細める。
「──勝手なこと言ってんじゃねえぞ、おっさん」
音もかくやというスピードで、グリーンはインディゴの視界から消え、インディゴの胸倉を右手で強く掴んだ。安い素材の布は悲鳴を上げ、ギチギチと繊維が崩れていく。
しかしインディゴには動揺もない。そんなインディゴを気にせずに、グリーンは一方的に言葉を浴びせる。
「〝俺には出来ないからお前がやれ〟だと?俺に理想を押し付けんじゃねえよ」
左の拳が強く握られる。爪を立てて、血が滲む。
「思うのは勝手だ、テメェの心まで読めねえからな。だが口に出すなら話は別だ。テメェの下らねえ主張なんざ聞くわけねえんだよ。況してやこの俺にだぁ?どれだけ身勝手か分かんねえのかよ」
「ならどうするんだ。このままいつか破滅するかもしれない【ヘプタレイン】を特等席で傍観するとでも?」
「知らねえよ、【ヘプタレイン】なんざ」
一頻り言い終えた後、グリーンは右手を乱暴に放す。インディゴは特にふらついた様子もなく、首許を押さえた。
グリーンはインディゴに背を向けて、歩き出す。
「話にならねえ。テメェがそんな腰抜けだとは思わなかったぜ、インディゴ」
インディゴは暫く立ち尽くしていた。遠くなっていくグリーンの背中が、酷く寂しく見えた。
距離が充分に離れた後、グリーンは呟く。
「──終わりの話をするくらいなら、今を足掻けってんだ、クソが」
◇◆◇◆◇◆
マゼンタは未だに認識していなかった。シアンの強さ、そして恐ろしさを。
そして、仮にシアンが敵に回れば、どれ程絶望的なのかを。
「どうした、もう終わりか?」
「くっ…!」
勢い任せにナイフを振るう。身軽な体躯を駆使しなかった。絶対的な格上に対し、手段を選んでいられない。そんな暇がない。
「がっ…!?」
ナイフがシアンに届く前に、マゼンタに蹴りが入った。鳩尾に深く突き刺さり、口から胃の内容物が吐き出される。
既にシアンとマゼンタの距離は数メートル空いていた。いつの間に移動したのかも分からない。
かと思えば、次は重い音と共に銃口を向けてきた。その音を聞いた瞬間、マゼンタの全身にぞわりと悪寒が奔る。
「ッ!」
パァン!と銃声が轟く。マゼンタは持ち前の反応速度で身体を動かし、弾丸の軌道から外れる。眼前を風を切りながら過ぎていく高速の弾に、嫌でも目が追ってしまった。
「余所見とは余裕だな」
反応すら出来なかった。
マゼンタの目が弾丸を追ったほんの一瞬。数メートル開いていた筈の距離がその刹那で詰められたのだ。
背後から顳顬に、何か硬くて冷たいものを押し当てられる。今までに感じたことのない感触。自分が触れたこともない、感触。
伝わってくる、その中に詰められた弾の重さが。
「──さて、これで終わりだ」
マゼンタは言葉を発せなかった。
完膚なきまでに、蹂躙された。ただ遊ばれて、相手のペースに呑まれて。
今までのどの相手とも、較べることが烏滸がましい。形容なんて出来ない、名状なんて出来ない。ただそこにあるのは、圧倒的な強さだけ。理不尽で暴力的な強さだけが、存在していた。
「今この引き金を引けば、お前は死ぬ。今まで繋いできた命は、呆気なく落ちるんだ」
身体を支配された錯覚に陥る。マゼンタは脳に刷り込むように、シアンの言葉を聴いていた。
「っ、放して…」
「馬鹿か、放すわけないだろう。敵の懇願を素直に聞き入れる奴が何処に居る。お前ならやりかねないが」
「そんなこと…!」
「言えるか?今まで殺しもしてこなかった臆病者が?」
「っ、余計な──お世話ッ!」
マゼンタは身体を捻り、ナイフを振るう。
「…!」
シアンは瞬きをした。
シアンがナイフを回避したと同時に、マゼンタの拘束を緩めた。その隙を見逃さなかったマゼンタは、威嚇の為の回し蹴りを放つ。
シアンは蹈鞴を踏んで後退し、マゼンタとの距離が離れた。マゼンタは、自力で拘束を免れたのだ。
(…思ったよりやるな、マゼンタ)
シアンは少しだけ口角を上げる。自分のことのように嬉しそうに。
「…私だって分かってる。このままじゃいけない、って」
俯き、震える声で呟いている。誰に聞かせるわけでもない。しかしシアンの耳には、それははっきりと聞こえていた。
「いつもそう…誰も他人の為に動かない。私もそう。ただ怖いだけ、責任を負いたくないだけ。分かってるよ、弱いって云われる理由」
「でも」と、マゼンタは顔を上げる。
「──私は、貴方達とは違う」
はっきりと、言った。
「自分を見失って、それで強くなった?そんなの私じゃない…私の形をした何かだよ。私は、まだ人間のままで居たい…!」
その時のシアンは、どのような表情をしていたのか。呆気に取られた?憤った?憐れんだ?
それは、シアンですら自覚出来ていなかった。感情が綯い交ぜになって、解らなかったのかもしれない。
「…なら証明してみせろ。口先だけならなんとでも言える」
見え透いた挑発をした。それにマゼンタはその違和を気にしなかった。
「すぅ〜…」
マゼンタは呼吸を整える。息を吸うタイミングで生じる一瞬の隙を、シアンは敢えて狙わなかった。
(さあ、ここからがお前の真骨頂だろう?魅せてみろ)
その心の呟きに呼応するように、マゼンタは動いた。
「ふっ…!」
身軽さを存分に使った、不規則な動きによる肉薄。フェイントがない、まだまだ正直過ぎる行動だが、速度と合わさって多少は撹乱出来る。
ナイフを持つ腕が伸びてくる。シアンは腕で軽く受け流した。マゼンタの身体が前のめりになる。
しかしマゼンタは足癖悪く、踵でシアンの腹部を狙う。身長差で頭には届かないので、肝臓目掛けて。
「甘い」
シアンは身体を捻って回避する。
「それは成功すれば良いが、失敗すれば隙が大きい」
シアンは拳銃を固く握り直す。そして、マゼンタの後頭部目掛けて振り下ろそうとする。
マゼンタは体勢を崩してまともに回避が出来ない。この攻撃は当たる。シアンは、そう思っていただろう。
拳銃を振り下ろした瞬間。
「──!」
シアンの眼前に、何かが飛来した。
既のところで振り下ろす手を止め、顔を傾けて回避した。そして飛んできたものを視認する。
(…ワイヤー…マゼンタが元々持ってた物か)
ボロボロに錆びているワイヤー。先端にはフックが付いている。あのまま気付かずに攻撃していたら、多少なりとも怪我を負っていたかもしれない。
(ここで距離を離されるか──)
そう思って視線をマゼンタの方へと戻した…だが。
(ッ、居ない…?)
先まで転けそうになっていたマゼンタの姿が、シアンの視界に居なかった。そのことに、シアンは一瞬混乱する。
時間にしてほんの一瞬。その一瞬は、身軽なマゼンタにとっては長い時間だった。
「ふっ…!」
「ッ!」
シアンが振り返ると、背後からシアンの頭目掛けてナイフを突き立てようとするマゼンタの姿があった。
(ついさっきの私と同じやり方か…!)
一つの攻撃に注意を向けさせ、そして出来た間隙を縫って、自身の姿を眩ませ、奇襲する。先程シアンが弾丸でやってみせたことを、マゼンタは自前のワイヤーでやってのけた。
(さっきの一瞬で盗んだ…マゼンタ、やっぱりお前は──)
そして、そのナイフが眼前まで迫ってきて。
◇◆◇◆◇◆
「ッ…」
マゼンタの手首は、シアンに掴まれていた。あと少しで、シアンにナイフが届いていた…だが、寸前で止められた。
「惜しかったな、マゼンタ」
マゼンタはその手を振り払おうとする。しかし、万力のような握力を前に、為す術がない。
「…もう実戦は終わりだ。肩の力を抜け」
あっさりと、掴んでいた手を放す。
「…え、終わり?」
マゼンタは呆気ないと思ったのか、そんな頓狂な声を漏らした。
「もう充分だろう…ここまで追い縋れる奴もそうそう居ない。その点で言えば、お前はそれなりにやる奴だ」
マゼンタはシアンから〝それなり〟の評価を貰った。その尺度の程度が判らないが、悪くないだけマシだと、マゼンタは思うことにした。
「…だが覚えておけ。今のお前のだと【ヘプタレイン】の構成員を相手に優位を築くのは至難だ。ステータスと経験量が違うからな」
「…分かってる」
「本当にか?お前が勝っているのは速度だけだぞ。その速度も、全員には勝ってない。推測だが、勝っているのは六人中四人ってところだな。二人にはまだ及んでいない」
「……?」
その言葉に、マゼンタは酷い矛盾を感じた。
昨日のシアンの発言と今のシアンの発言に、明らかに酷い食い違いが発生している。シアンの様子も違う。
その矛盾について指摘すべきか、しないべきか…悩んだ末に。
「どうした、マゼンタ」
「…いや、なんでもない。一部の人にだけど、勝ってる部分があるってのに困惑しただけ」
言いながら、マゼンタはシアンを注視する。
(……シアン)
ソレを見ると、自ずとシアンを心配してしまった。今まで気付かなかったのが少し不思議だ。もしかしたらシアンは、気丈に振る舞うことで勘繰られないようにしていたのかもしれない。
「そうか…まだ時間はあるな。今日の内に準備を済ませておくぞ」
シアンは相変わらずの振る舞いでマゼンタに背を向ける。その背中は「着いてこい」とでも言いたげだ。
「うん…分かった」
マゼンタは小走りでシアンの後を追った。
──不思議と、筋肉痛は感じなかった。
◇◆◇◆◇◆
「揃ったな」
インディゴの低い声が響き渡る。
【ヘプタレイン】の六人は傷だらけの円卓に集まり、会議の体裁を築いていた。実際はこの形式に然程意味はない。そういうのが好きな者…オレンジが居るだけだ。理由はそれだけで充分なのだ。
「これから俺達【ヘプタレイン】はマゼンタという女と青緑髪の女へと攻撃を仕掛ける。準備は万端だが、絶対に油断するな」
その言葉に、オレンジが一言。
「…私が言うのもなんだけど、インディゴ、貴方少し頑張り過ぎじゃない?もう少し肩の力抜きましょ、ね?」
オレンジの言葉に、ブルーが口を挟む。
「……オレンジさんは抜き過ぎだと思うけど…」
「えー良いじゃないブルーくん。私、此処での生活はこの中で一番長いのよ?気楽にやらないとやってられないのよ」
「…そういうものかな」
「そういうものよ♪」
暢気な口調で言うオレンジに、この場の全員が溜息を吐いた。特にグリーンとレッドはそれが顕著だった。
「…オレンジさん、僕達の大半はアンタみたいに経験豊富じゃない。歩調を合わせてくれ」
「分かってるわよ、それくらい」
「どうだか…」
冗談が多い。しかしこれで【ヘプタレイン】は連携の組織として回っている。その結果が、実績が【ヘプタレイン】の強さを証明しているのだ。
グリーンは路傍の石を見るように退屈そうにしていたが、やがて口を開く。
「…ハッ、畢竟それで話は終わりってことだろ。後はいつも通り〝臨機応変に動け〟ってことだな?」
インディゴの代弁を勝手に行う。合っているのだが。
「それじゃあこんな会合モドキは終わりだな。とっとと──」
「とっとと行くぞ」と言おうとした瞬間。黙っていた少女が声を上げた。
「ちょっと、待って」
黄色髪の少女…イエローだった。少し震えた手を控えめに挙げている。グリーンの視界の中心にイエローが映る。
「んだよイエロー。何か文句あんのか」
イエローはそう訊ねられて、一瞬沈黙した。グリーン自身は別に圧を掛けているつもりはない。しかし、イエローにとってグリーンとは、凶暴で怖いという印象が染み付いている。簡単には取れない。
しかしそれでも、勇気を出して言うのだ。
「…やめない?こういうの」
その言葉は【ヘプタレイン】全体に静寂を齎した。イエローの発言は、共感と共に不可解を生んだのだ。
「…イエローちゃん?いきなりどうしたの?」
オレンジが不思議そうに声を上げた。オレンジは面倒見が良い故に、イエローのことを良く知っていたつもりだった。だが、今回のことは完全に予想外。
「そもそも、アタシ達がその子たちを狙う理由って、なんなの…?」
「あぁ?んなの俺等の邪魔をしたからに決まってんだろ」
〝何を当たり前のことを〟とでも言いたげなグリーン。しかし、イエローの表情はペースに乗せられなかった。
「たったそれだけの理由…?それに、あまりにも理不尽じゃない?その子たちは【オクタアース】が【ヘプタレイン】の仕事の討伐対象だって知らなかったの。なのに訳もわからず殺されるって…そんなのおかしい」
言い終えると、イエローは俯いた。グリーンはその姿を見て。
「…ったく、久々にまともに話したと思ったらペラペラと御託並べやがって。いつものオドオドしたガキは何処に消えやがった」
と、ぼやく。
そして威圧するようにイエローの前に出てくる。イエローはスイッチが切れたのか、グリーンの顔が近くにあることにたじろいだ。
「世間を知らねえクソガキに教えてやるよ」
肩に手を置く。酷く軽く、優しい。
「この世界ではな、舐められたら終わりなんだ。いくら出来た企業でも、民衆からのバッシングを受けて甘受するようじゃ、言い返す勇気もない腰抜けだとレッテルを貼られる。それでそのまま一生舐められる──分かるか?」
イエローは押し黙る。分かっている、グリーンの言っていることは正しい。舐められると終わる、特にこの貧民街においては。
此処は全員が他人の命と食糧を虎視眈々と狙う、飢えた者の淵叢。舐められれば途端に標的にされかねない。
「なんとか言えよ。黙ってんじゃ何も分かんねえだろうが」
グリーンの目つきが鋭くなった。イエローの小指が一瞬震えた。
そこに割って入るのが一人。
「グリーンくん、今は諍いは止しましょう?イエローちゃんも」
中立の立場で言ったは良いものの、これは〝どっちつかず〟〝優柔不断〟と悪い意味で捉えられた。
「あぁ?オレンジ、テメェまさかイエローの味方につく気か?正気を疑うぜ?」
「…オレンジ、余計な口出ししないで」
オレンジは見事と言うべきか、互いの地雷を踏み抜いた。貧民街の経験が【ヘプタレイン】随一と雖も、元の天然は健在だ。
「あ、あれー…?私また火に油注いじゃった?」
「何やってるんだ…」
「まただよ…」
「学ばないな…」
レッド、ブルー、インディゴの順番で、それぞれが失望したように深く溜息を吐いた。
そのままグリーンとイエローの議論はヒートアップしていく──かと思われたが。
「…もう知らねえ。自分だけ好きにやってろ」
案外あっさりと、グリーンが身を引いた。彼なりの優しさか、或いは単なる見限りか。
「…じゃあそうさせてもらうし」
イエローが外方を向く。拗ねた子供のようだ。十八歳だからまだ子供の部類なのだが。
(…少し不安になってきた)
インディゴは頭を抱えながら、二人を見守っていた。




