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凋落貧民街の鮮血花火  作者: 廿浦 黄泉
6/6

Episode6.六色の精鋭

「…朝?夜?」


 鈍色の曇天の朝。いつもより暗く、朝だと言われても気付かない程に光が届かない。


 あの後シアンとマゼンタは拠点を移し、マゼンタはシアンの厳しいトレーニングを耐え抜き、寝た。筋肉痛が再発していたが、特段強い痛みは無い。


「起きたか」


 最早常套句となったシアンの台詞が耳に入る。その声でマゼンタは身を起こす。


「…今何時?」

「知らん、時計もないのに判るか」


 この室内に時計は無い。シアンもマゼンタも腕時計は持っていない。時間は判る筈もなかった。


「時間が気になるならさっさと起きろ。見立てだと、もうそろそろ来る筈だからな」


 マゼンタの目が完全に醒めた。


「…え、もう?」


 【ヘプタレイン】。構成員は皆が精鋭揃いで連携に長けた組織。個人でもマゼンタを軽く凌駕する実力を持っているその組織が、眼前に迫っているらしい。


「あくまで予想だがな。今日はいつもより暗い。闇に紛れる私達貧民街の住人にとっては絶好の土俵というわけだ。寧ろこの機を狙わない方がおかしいな」


 拳銃を手で弄びながら言うシアンに、マゼンタは数秒黙った。呆気に取られていたのだ。


 だがやがて、マゼンタの意識は現実に引っ張られる。


「なら、早く準備しないと…」

「まあ、そうだな」


 マゼンタの言葉にシアンは頷き、マゼンタに向けてあるものを投げる。


「は?ちょっ…」


 いきなりで驚き、慌ただしい手つきでそれをキャッチする。両の手でしっかり抱えて、ソレを見た。


「……なにこれ」


 渡されたのは缶詰。何が入っているのかも、期限が過ぎているのかも判らない缶詰だった。


「見れば分かるだろう、缶詰だ」

「見ても分かんないから訊いてるんだけど?」

「なら開ければ良いじゃないか」


 シアンに促されるまま、マゼンタはその缶詰の蓋を開けようとする。思ったより力が必要で、開かない。


「この……っ!」


 少し力を入れると、開いた。蓋の裏に付いていた液体が周囲に飛び散るが、気にしない。


「えっと…魚かな、これ」


 濃い味付けの匂いがする魚。マゼンタはこれを知らない。


「私も詳しくは知らん」

「知らないのに渡してきたの?」

「別に良いだろ。死にはしないぞ」

「本当かな…」


 とは言いつつも全く疑いを持っていないマゼンタは、それを指で摘み、一口齧る。


「…!」


 濃い味付けである故、口の中に旨味がしっかりと広がった。どんな調味料や甘味料が使われているのかは判らないが、とにかく美味しい。


「本当に美味そうに食うなお前…」


 若干引いているようにも見て取れるシアンの顔に気付かず、マゼンタは「待て」を知らない犬のように食らいついている。


「こんなの何処に隠し持ってたの?」


 口周りを汚したマゼンタが素朴な疑問を出す。


「そんなのどうだって良いだろう」


 しかしシアンは当たり前のように往なす。案外どうでも良いことなので、マゼンタは気にはなるものの、それ以上言及しなかった。


「栄養補給は充分だな?なら行くぞ」


 完食したマゼンタを見て、少しだけ声を張った。それには少しだけ覚悟を決めたように見える。


「うん」


 マゼンタは空っぽになった缶を静かに置いて、前を歩くシアンに着いていく。


 これから起きる戦闘に、当然マゼンタの心は不安に駆られている。怖くないわけがないし、死ぬ可能性の方が充分に高い。


 それでも、吐いた唾は飲み込めない。絵空事を宣うマゼンタは、行動に移さなければ自己も周囲にも変革を齎すことなど出来はしない。


 全ては、生きて生かす為なのだ。


◇◆◇◆◇◆


 静寂が盈満している。災厄の前の静けさと表現するのが最も近しいだろうか。


 ゴミ捨て場の建物の中に来ていた。邪魔な遮蔽物が多い、身を隠しての奇襲が得意な者の為のスポット。つまり、マゼンタにとっては絶好の狩場でもある。


「…臭いが凄い」

「ずっと此処で生活しているのに何を言ってるんだ」


 シアンは躊躇なくゴミの上に腰を下ろす。


「うわ、そこ座るの…?」

「大体皆座ってるだろう…つい最近まで腐敗した食事しか摂っていなかったのに座れないのか」

「別に、座れるし」


 そう言いながら、マゼンタはおずおずとゴミの上に座った。


 座り心地は最悪だった。沈み込んだ身体に魚等の骨が刺さる部分があり、苦痛に顔を歪める。座り直すと多少マシになった。


「此処で待機する。【ヘプタレイン】はキーから情報を手に入れて、必ず此処へと辿り着く」


 その言葉は確信だった。


 〝自分たちが此処に居る〟。そんな情報をキーが持っていて、それを【ヘプタレイン】に伝えることが、キーには出来る。それが間違っている可能性など一ミリもないと思っているのだ。


「…そんなことあるの?あれからキーには一切会ってないし、キーがそんな情報を持ってるとは思えないんだけど」


 マゼンタはキーと会話したことが殆どない。第一印象は〝只者ではない〟ということだけ。だから、キーの特徴も本質も未だ知らない。


 しかし、シアンはそんな疑問を抱えていなかった。


「アイツにとってはそんなの関係ない。私も詳しくは知らない…だが、一つだけ言えることがある」


 シアンはゆっくりと告げる。


「私が知る限り、キーが私たちの要求に答えられなかったことはない。情報も報酬も、外の世界にしか存在しない筈のものも全て得て、私たちに回している。ルートも不明だから、余計に気味が悪い」

「…そう、なんだ」


 その言葉にマゼンタは驚愕の色も表さず、無性に納得したような反応を示した。


「なんだ、思ったより驚かないんだな」


 シアンが不思議そうに、少しだけ首を傾げた。


「いや…なんでだろう。なんか、キーなら当然みたいな印象が…」

「…成程、お前もか」

「?どういうこと?」


 マゼンタが探りを入れる。


「昔、私もキーと初対面だった時は当然あった。キーのことは何も知らなかったさ…だけど不思議なことに、絶対に初対面では抱かない感情を抱いた」

「…それって…」

「…ああ、〝信頼〟だよ」


 信頼。その単語が出た時、マゼンタは自覚したのだろう。自分はキーに対しての信頼が厚いような、そうでもないような。曖昧な、あらゆる感情がごちゃ混ぜになった不可解な靄が脳に絡み付くような感覚がした。


「信頼、かぁ…なんか分かるかも」

「そうだろう。だから怖いんだよ、アイツは」

「…シアンでも怖いって思うんだ」


 シアンの口から「怖い」と出てきたことに、マゼンタは眉間に皺を寄せる。


「私に恐怖が無いといつ言ったんだ。未知であればある程、怖いに決まっているだろう」


 シアンも人間なのだ。生物は皆、恐怖という根源から逃れることが出来ない…出来るならば、それは。


「そっか…でもキーってさ──」


 マゼンタがキーについての会話を広げようとした時、シアンが遮るように口を開いた。


「話は終わりだ。これ以上はキーに損害が及ぶ。アイツについて過剰な情報を渡せば、危険因子と見られるからな」

「…う、うん、分かった」


 マゼンタは〝キーを敵に回せば恐ろしい〟と察し、口を噤んだ。数秒の間訪れた静寂の後に、シアンが口を開く。


「…まあ、限(き)りは良かったな」

「えっ?」


 途端、シアンは拳銃を握っている腕を上方に向け、一瞬で二度発砲した。一度目は二度目よりずっと大きな音であった。突然の大きな音に、マゼンタの心臓が跳ねる。


 発砲音の中に、カンッ、と金属音が微かに聞こえた。正体は不明。


「おっ、と」


 背後で何かが地面を転がる音と、上方で発される軽い声。マゼンタは声の方に咄嗟に反応し、顔を上げた。


 見れば、天井のにある、もう点かない不安定な照明に足を乗せ、身体を反らしている男を発見した。髪は──緑色。


「弾を見ずに自分(テメェ)の弾丸を当てやがったな。しかも回転式拳銃でもないのにその早撃ち、特殊な技術がねえと出来ねえヤツだな…やるじゃねえかよ」


 シアンが起こした行動。それは頭上の男がシアンとマゼンタに目掛けて撃った弾丸を、シアンがそれと同時に撃った一発目の弾丸で弾き、続く二発目の弾丸で男を撃ち抜こうとした。


 あまりに短い時間で、マゼンタには反応することすら許されなかっただろう。他の二人は状況を容易に把握しているのに、自分だけが把握出来ていない。その事実に焦りが加速している。


「やっぱ慣れねえことするもんじゃねえな。大人しくブルーに任せときゃ良かったぜ」


 手の中で拳銃を弄びながら、溜息を吐いている。


「っ、だ、誰…!?」


 居ても立っても居られなくなったのか、マゼンタは大きな声で誰何した。男の目が細まる。


「…テメェがマゼンタか?ハッ、聞いた通りで見たまんまの雑魚じゃねえか」

「なっ…」


 嘲笑。自身の弱さを明確に突きつけられた、嘲り以外に何も感情に乗せない無慈悲な言葉は、マゼンタに深からず刺さった。


 その間に、シアンが態と靴音を大きく鳴らしながら、数歩進んだ先で止まる。


「随分と大層な挨拶だな──【ヘプタレイン】」


 その男…グリーンを見上げながら、シアンは低い声で告げていた。心做しか、怒っている。


「俺は強い奴は嫌いじゃねえ、特にテメェみたいに〝異常性〟を持ってる奴にはな」


 シアンの睨みが強くなる。それは小動物ならば向けられただけで失神してしまう程の威圧。


「…お前が私の何を知ってる」

「ハハッ、何キレてんだ。寧ろキレてえのは俺等だ」


 シアンの言葉を無視したグリーンの双眸が、穴の空いたように昏くなる。


「──他人(ひと)の獲物横取りして、何のうのうと生きてんだ?」


 その言葉の直後、マゼンタの全身に悪寒が奔る。冷や汗がドッと噴き出し、心臓は烈しく脈打っている。世界が、再び遠くなったようだった。


(…この人が…【ヘプタレイン】の構成員…?)


 挙措が、威圧が、雰囲気が何もかも違う。自身の存在がどれだけ矮小で凡愚であるか、犇々と痛感させられる。


 しかしその中でも、シアンは怒りながらも冷静だった。照準をグリーンの眉間に合わせながら。


「〝他人の獲物〟?笑わせるな。お前たちの事情よりも優先すべきことが、こちらにあっただけのこと。それに、お前たちだって娯楽で他人の仕事を必ず何処かで奪っているんだ。自分たちが邪魔されたから殺すというのは、あまりに身勝手だとは思わないのか?」


 引き金に指を掛け、ゆっくりと力を入れていく。あと数ミリで、銃声が轟くだろう…だが、グリーンは平常だ。


「そんなの知ったこっちゃねえな。テメェ等が不幸になろうが、俺等にとっちゃどうでも良いんだよ」


 グリーンの足許の照明が揺れる。キギ、と今にも折れそうだ。


 そんな中、全方位から足音が響き、シアンはいつの間にか腕を下ろしていた。


「…えっ」


 マゼンタは頓狂な声を漏らす。いつ囲まれていたのか、気配すら認知出来なかった。


 マゼンタたちを囲むのは、5人の男女。


「…やっぱり、グリーンに任せちゃ駄目だったね…」


 青髪の男、ブルーが溜息を吐く。警棒(バトン)タイプのスタンガンを肩に担いでいる。


「グリーンはそういう奴なんだよ…もう慣れた」


 赤髪の男、レッドが呆れたように呟く。何やら大きな荷物を背負っている。


「まあまあ、グリーンくんは目立ちたがりだからねー」

「おい聞こえてんぞオレンジ」

「あら、怖い怖い」


 橙色髪の女、オレンジは全く恐怖せずに軽口を吐く。手には折りたたみ式ナイフを装備している。


「………」


 黄色髪の少女、イエローは何も言葉を発さない。手に武器は無いが、外套の内側の腰周りが妙に膨らんでいる。


「皆、無駄話はそこまでにしておけ」


 藍色髪の男、インディゴが場を仕切り始める。手には黒く光る金梃。若干加工している。


 ──【ヘプタレイン】六人が集結した。


「う、そ…」


 マゼンタはあちこちに現れた者たちに視線を移す。


 誰も彼も、自分より桁違いに強いと肌でビリビリと感じ取れる。火傷したような痛さだった。


 マゼンタはこの中で一番マシと思えるイエローを視界に入れる。この【ヘプタレイン】の中では一番圧が弱いはずなのに、それでも自分では到底敵わないくらい相当なものだった。


(…これが【ヘプタレイン】…?個の強さが違い過ぎる…!)


 自分は猛獣の巣穴に放り込まれた小さな蟻でしかなかった。無用の長物で、足手纏い。シアンの足を引っ張ってしまうことになるだろう。


「マゼンタ、後ろに隠れても良いぞ」

「っ…」


 シアンはマゼンタに言った、「隠れても良い」と。則ちそれは「逃げても良い」ということだった。


「今【ヘプタレイン】の実力がはっきりと分かった…これは厳しい」


 そう言うシアンの頬に汗が垂れている。マゼンタには見えない位置だった。


(古い情報だったか…それとも成長予測を遥かに上回っていたのか。クソッ、どちらにせよ安請け合いはしてくれなかったらしい)

 

 シアンは拳銃を固く握り直す。銃口の向く先は…グリーンだった。


(恐らくこの中で最も危険なのはあの緑髪…グリーンだろう。他の五人はそこまで好戦的な性格ではなさそうだから交渉出来るかもしれないが…コイツはどう考えても無理だ)


 グリーンの烈しい闘気が伝わってくる。明らかに敵意と殺意をシアンとマゼンタに向けていて、衰えることがなかった。


「誰が逃がすって言ったよ、逃がすわけねえだろうが」


 グリーンの脚に力が入る。照明がミシミシと鳴り、限界に近い。


 ──怖い。


 マゼンタの足が少しだけ後ろに下がっている。


 このままいっそのこと逃げ出して仕舞えば、自分は助かるのかもしれない…だが。


「なんで、こんなことするの…!」


 漸く口から出た言葉は、説得だった。


「…あ?」


 グリーンの声が唸るように低く発され、脚に込めていた力も抜かれた。マゼンタの呼吸が震える。それでも止まらない。


「私たちは貴方たちの邪魔をしたなんて知らなかったのに、そんな私怨で殺されるなんておかしいでしょ…私たちが何したっていうの…」


 呟くように言ったその質問に答えたのは、インディゴだった。


「…【オクタアース】という組織を知っているな」

「……」

「俺たちはキーからある依頼を受けていた…その依頼の内容は〝【オクタアース】の偵察〟。本来俺たちが偵察に赴くまでは、【オクタアース】は生きていなければならなかったんだ」

「………まさか」

「ああ、そうだ。お前たちが【オクタアース】を殺めたと、キーから耳にした」


 マゼンタの記憶が掘り起こされていく。


 あの夜、シアンと会う前。マゼンタが【オクタアース】に相当な苦痛を味わされた日。肉が裂かれ、臓物が抉られ、血を散らしたあの地獄。それはあの日だけで完結しているのだと信じていた。


 だがそんなことはなかった。今もその物語が綴られ、自身の運命に終止符が打たれようとしている。


「そういうことだ、諦めなクソガキ。テメェは俺たちに喧嘩を売りやがったんだ、だから殺す。憾むんなら、自分(テメェ)の運の無さを憾みやがれ」


 マゼンタがふらつく。視界が霞んでいて、三半規管も正常かどうか分からない。


「…私、が」


 マゼンタの顔が蒼白になっていく。危ない状態だった。


 それを横目で見たシアンの瞳が一瞬揺らいだ。しかし、直ぐに平静を装う。


「…マゼンタ、落ち着け」


 シアンの優しい、抱擁力のあるような声音が聞こえた。マゼンタの耳にその声が沁み入ると、徐々に症状が落ち着いていった。


「…ハッ、ガキのお守(も)りは大変だな?」

「黙れ」


 シアンはグリーンの眉間目掛けて発砲する。亜音速で放たれる飛礫は、到底眼で追えるものではない。


 しかしグリーンは、目を閉じながら首を傾けて回避する。見ずとも、音を聴いただけで避けてみせた。


「せっかちだな、テメェは。良いぜ、なら遊んでやる」


 グリーンは先程抜いた力をもう一度脚に込める。今度こそ、照明が朽ちる時だった。


「──精々、無駄に努力して終わりやがれ」


 グリーンが照明を凄まじい力で蹴り、シアン目掛けて肉薄した。直線的だが、とにかく速い。


 シアンはグリーンの軌道上に再度発砲。しかしグリーンは空中で器用に身体を捻って回避した。


 グリーンは手に持っていた拳銃を振り被り、シアンとの距離をゼロにしたタイミングでシアンの頭部に振り下ろす。


 だがシアンは直前でグリーンの持つ拳銃に発砲し、弾き落とす。


「ッチ…」


 大きく仰け反る。武器を失ったグリーンは舌打ちだけをして、距離を取った。


 そのタイミングで吊り下がっていた照明の残骸が落ちる。ガシャン!と耳を劈いた。


「ッ!」


 シアンはその音と同時に背後から迫ってきた、グリーンとは別の気配を察知し、振り返って拳銃を前に出す。


「遅い」


 低い声と共に、インディゴがシアンの懐に潜り込んでいた。


 既にシアンの顎に金梃を突き上げようとしている最中。あと20cmといったところだ。


「くっ…!」


 シアンは身体を仰け反らせて回避する。顎の下を通り過ぎる金梃がかなりの風圧を生み出していて、もし当たっていればどれ程の威力なのかがはっきりと分かった。


「何処見てやがる」


 今度は背後。グリーンは回避直後で無防備なシアンに、握り拳を放つ。弾丸のような速度で、シアンの背に迫っていく。


「──あ?」


 シアンは寸前で手を背に重ね、その拳を受け止めていた。経験から来る異常な判断能力は、何処に攻撃が来るのか警鐘を鳴らしてくれていた。故に、背中に攻撃が来ると分かったのだ。


 グリーンはその手を振り解いて、インディゴと共にシアンから距離を置く。


 距離を空けた途端、シアンの足許に何かが転がってきた。


「…!?」


 小型の爆弾。直撃すればかなりの深手を負うことになる筈だ。 


 足許に転がってきて一秒も掛からずにそれは爆発した。音も規模もそこまで大きくない…だが、爆弾は爆弾だ。手足が吹き飛ぶ可能性だってある。


「シアンッ!!!」


 マゼンタがシアンの名前を叫んだ。喉がその一言だけで潰れそうなくらいに大きな声で。


 先の駆け引きも、全く追跡出来ていない。爆発音がするまで、何が起きているのか毛程も分からなかった。だがその爆発音で、状況をなんとか把握出来たのだ。


(助けないと…!)


 マゼンタが一歩踏み出そうとした瞬間。


「させない」

「!」


 マゼンタは身体を右に向け、腕を交差させる。直後に、腕が強烈な衝撃で痺れた。蹴り飛ばされたのだ。


「うっ…!?」


 その勢いで身体がかなり後方に吹き飛ばされ、ゴミの山へと激突する。幸いそれがクッションとして仕事をし、怪我をすることはなかった。


「けほっ、ごほっ…!」


 マゼンタは咳き込みながらも素速く立ち上がって、状況を確認する。


 腕はジンジンと痛むが、まだ動く。それよりも、自身を蹴り飛ばしたのが誰なのかを把握する必要がある。


 薄暗い室内で目を凝らして注視する。髪色は…黄色。


「──アンタは、アタシが相手する」


 感情の一切乗っていない、冷めた声。虚無に包まれていて、聞いている側にも不快感が伝わってくる。


 その不気味さに中てられ、マゼンタの手が勝手に腰にあるナイフに掛かる。


(多分この子が、シアンが言ってたイエローって子…)


 歳は自分と殆ど変わらないように見える…なのに、放たれる雰囲気は全く別物。


 指先が隠しきれない程に震えていた。今からするのは一体なんだ?殺し合い?説得?未だマゼンタの中でどのカードを引くべきなのか分からない。迷っている。


 それでも、今ここで生き延びる為には、ナイフを抜くしかなかった。


「…戦うんだ」


 イエローはそれだけの感想を吐露して、懐からナイフを抜く。


(そこまで使われてないナイフ…)


 互いにほぼ新品状態のナイフ、得物は同条件だった。


 マゼンタとイエローは同時に構える。鈍く光るそれぞれのナイフが、相手の姿を映した。


 …数秒の空白の後に動いたのは。


「ふっ…!」


 マゼンタだった。迷いはある、けれどこの空気に堪えられない。そんなどうにかして逃げたいという気持ちから出された苦し紛れのナイフ。別に当てる気はない、牽制だ。それはずっと変わらない。


「…速い」


 イエローはそう言いながらも、ソレを自身のナイフで軽く受け流した。


「うわっ…!?」


 前傾姿勢で重心を上体の方に乗せていたマゼンタは勢い止まらず、蹈鞴を踏む。滑稽にも転けそうになったが、しっかり地面を踏み締めて止まる。


(受け流された…しかも凄く綺麗に)


 手応えが全く無かった、つまりそれだけ衝撃を巧く逃している。少なくともマゼンタの攻撃がイエローの防御より劣っている事が、マゼンタの感覚に鮮明に伝わっていた。


(もう一度…)


 今度はイエローの周囲をコイルを巻くように回旋する。スピードなら勝っている可能性が高い、ならばそれで翻弄すれば、という思考に至った末の策だ。


「…………」


 イエローは視線を何一つ動かさなかった。ボーっと俯いて、地面を見つめているように見える。


 それを好機と捉えたのか、マゼンタは地を蹴って左方からイエローへと突進する。先のスピードよりも疾く、鋭く。右手のナイフは使わない。素手で、急所に攻撃を命中させて気絶させる算段だった。


(行ける…!)


 あと少しで手が届く。相手は未だ下を向いている、当てられる。


「──可哀想」

「えっ?」


 マゼンタの左拳は止まっていた。否、イエローに止められたのだ。下を向いていているにも拘らず…更には。


(この子、目を閉じてる…!?)


 そう、イエローは視界を自らの目蓋で封じていた。


 人間には反応速度がある。何かしらの刺激を感知し、神経を介して脳に伝達させ、そこから動作を行うまでの時間。速度ではなく時間だ。


 一般に、視覚からの反応速度より聴覚からの反応速度の方が、動作に移行するまでの時間がほんの僅かに短い。集中しているならば、それは鮮明だ。


 イエローはマゼンタが地を蹴る音、風を切る音などを真剣に聴いていたのだ。


「動きが単調で、気配も丸分かり。確かに速いけど、反応出来ない速さじゃない」


 ダメ出しをするように、事実を列挙していく。


 マゼンタの手は全く動かない。膂力の差だ。


(マズい、速度を封じられたら勝負にならない…!)


 イエローから離れようと、脚を使う。二度三度と繰り返し、相手が崩れるまで。


(っ、全然離れない…!)


 イエローはその場から全く動いていなかった。お互い塞がっている片手だが、マゼンタは両の脚を使っているのに対し、イエローは塞がっていない右の腕一本でマゼンタの攻撃を全て食い止めている。


 打つかる度に布団を殴るような音が響いている。しかしそれで痛めているのはマゼンタだけ。崩れるのはマゼンタの方だった。


「ッ…はぁっ…はぁっ…」


 片膝が地に突かれる。依然として、片手は握られたまま。


「………甘過ぎない?」


 イエローは手を放したかと思えば、そのまま崩れ落ちそうなマゼンタの腹部にそれなりの力を込めて蹴りを入れた。


「が…!?」


 体内に衝撃が余す事なく伝わる。骨肉の区別無く、体内に亀裂を入れられたような痛みだ。とにかく重い。


「っ、ごほっ…!ぅっ…」


 蹲り、腹を抱え、呻き、涎を垂らす。


 今までに攻撃を喰らってしまった事は何度かあった。その度に恐怖しながらもなんとか生き延びてきていたマゼンタだが…その一撃は別格だった。


 一発で、しかも武器も無し。それで自分が動けなくなってしまう程だとは、思いもしなかった。


 当然マゼンタを待ってくれる筈もない。イエローはマゼンタに言葉を打つける。


「さっきから何してるの?その右手にあるナイフはなんの為に持ってるの?それを振れば簡単に距離を剥がせたかもしれないのに、馬鹿なの?」


 正論を冷たくはっきりと突きつけられる。マゼンタにとっては心も痛いだろう。


 イエローはマゼンタの髪を掴み、自身の目線に合うまで引き上げる。当然 マゼンタの足は地から離れる。一つ一つ、髪が抜ける痛みが伝わってきた。


「っ、放して…!」


 ジタバタと踠く、しかし離れない。反撃に繰り出した拳も脚も苦し紛れで、また片腕で嘲笑われるように往なされる。


「放すわけないでしょ。大人しくしてて」

「ぅ゛っ…!?」


 髪から手が離れたかと思えば、今度は首を絞められる。小柄で細いマゼンタの首は、あっさりと片手でホールドされていた。


 数秒も経てば、マゼンタの口端から涎が垂れ、満足に呼吸の出来ない苦しさが思考を暈して沈ませていく。


 視界もぼやけてきた。血が巡らず、意識が段々と黒く染まる。


 その瞬間、雌雄は決していた。マゼンタの完膚なきまでの敗北、恥じ入る程に無様な敗北。


(…もう、無理……)


 マゼンタの意識は、もう風前の灯だった。


◇◆◇◆◇◆


「…強いな。まさかこれを全て防ぎ切るとは」


 インディゴがシアンに対し然様な感想を述べる。驚愕は無く、至って冷静に。


 シアンは先の爆弾を、上に跳躍することで爆発範囲から抜け出して回避していた。間一髪だった。


「…今のは赤い奴の手製か」

「おいバレてんじゃねえかレッド。真面目にやれよ」

「五月蝿い。僕だって真剣だ」


 レッドは背負っていた袋から素速く次の攻撃に使う弾を準備している。そこで隙が生まれる筈だったのだが…。


 シアンが背後を視界に捕らえると、グリーンがシアンに再び肉薄していた。


 それを確認して、グリーンに向けて迎撃の発砲…ただ、当たらない。


 もう二発撃つ。銃声が鳴った瞬間にグリーンが射線から外れ、弾丸が虚しく空を切るだけだった。


「ふっ!」


 グリーンの連打がシアンに降り注ぐ。一発一発が、シアンが先に受け止めた拳と同等の速度と威力。


 シアンは一つ一つ丁寧に受け流していく。一撃喰らえば致命傷になりかねない程の拳の雨に緊張も興奮もせず、淡々と。


「ハッ、少しはやるようだなぁ!」


 グリーンがギアを一段階上げた。拳に加えて、脚を使い始めたのだ。


 パターンも不規則で、攻撃の高低差も激しい。不規則に発せられる靴音でリズムを乱したり、高い攻撃で姿勢を低くさせた後に低い攻撃を放つことで、攻撃を当てやすくしている。


 三秒間の攻防の後…。


「!」


 グリーンの拳が、シアンの頬を掠めた。鋭い拳で、頬が斬られる。


「どうした、そんなもんかぁ!?」


 追撃として、腹部に向けての膝蹴り。今度は足で受け止める。


(中々離れさせて貰えないな…直ぐに距離を詰めてくる。近接の間合いは不利だ)


 どうにかして、距離を空けなければならない。相手のペースに乗せられない為にも。


 前方から発砲音。だが前方にはグリーンが居る、発砲音がしたのはグリーンの居る先から。


 シアンが首を傾けると、グリーンはシアンとは逆方向に首を傾けていた。二人の顔の直ぐ横を、弾丸が過ぎ去っていく。


「あら、外しちゃった…」


 オレンジが暢気に口を開く。グリーンに撃ったようにも見えた弾丸だったが、恐らくはグリーンが回避をする事を見越しての発砲。信頼していなければ出来ない証左だ。


(だがこれで一瞬攻撃が止んだ…距離を──)


 グリーンの攻撃の連打が止み、立て直しを図る為に距離を取ろうとした。


 そこで、頭上からシアンに向けて急降下してくる気配。


「…!」


 シアンは気配を察知し、姿勢を低くしてソレを掴んだ。仕掛けてきたのはブルー、静かにスタンガンを持って迫っていた。


 スタンガンを持ったブルーの手首を強く握ると、段々とブルーの手から力が抜けていく。やがてスタンガンは地面に落ちた。


(離れない…凄い力だね)


 ブルーは焦らず、シアンの腰を足で挟み、捻って横に倒す。所謂、蟹挟のような捻り方だ。


 シアンの軽い身体は簡単に倒される。辛うじて頭は完璧に護ったが、今の体勢はあまりにも無防備だった。


「終わりだ」


 隙を突かれ、インディゴが肉薄していた。シアンの頭蓋を砕く為に、金梃を振り上げる。強く握り、錆びた音が軋む。それだけで、威力が容易に想像出来た。


(…避けられないな)


 シアンが冷静に分析した時、金梃は既に振り下ろされていた。

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