Episode4.束縛
マゼンタは夢を見ていた。自分が貧民街に投げ出されるまでに、外の世界で生活していた夢を。
『なんでこんな事も出来ないの!?アンタって本当役立たずねッ!!』
『お前みたいな出来損ないがなんで生まれてきたんだ!恥を知れッ!この痴れ者がッ!!』
マゼンタにとっては、もう何年前からこうなったのかは憶えていない。
児童虐待だった。両親は、何をしても人より劣るマゼンタを、誰よりも煩わしく思っていた。近くで誰よりも見てきた分、その感情は強かった。
『痛いッ…!や、め…!』
『五月蝿えッ!お前如きが口を開くなッ!』
どれだけ「やめて」と懇願しても、マゼンタの両親は聞く耳を持たなかった。
壁に打ち付けられた。首を絞められた。冷水を被せられた。熱湯でなかった理由は、火傷の痕が醜いからだろう。
しかし、それでは気が収まらなかったのは確かだった。
『ぁ゛あ゛あ゛あ゛────ッ!!』
火傷の跡を見られれば不快だ。だが、両親はマゼンタ高熱を浴びせたかった。
だから、服で隠れる所に熱を加えた。
使ったのはアイロン。胸部、背部、腹部、大腿部。肉が焼き焦げる音と臭いが、感覚を通して伝わると、興奮によって両親の残虐性は加速していった。
次第に刃物という凶器が追加された。普通に刺すのではなく、熱して熱くなった刃を突き立てたのだ。同じく、服で隠れる場所に。
痛かった。灼かれる感覚に、汗と涙と叫び声が、止まるはずも無かった。
──いつから狂わされたのだろう、いつからこうなったのだろう。
マゼンタの記憶に、それらしきモノは転がっていなかった。トラウマで記憶が欠損しているのか、はたまた蓋をしているだけなのか。
『ぅ…う…ん…?』
気が付けば、マゼンタは貧民街に投げ棄てられていた。育児放棄には、持ってこいの場所だったのか。
起きた時には…そんな時間が何処にあったのか、貧民街と外の世界とを隔離する壁が隔たれていた。その貧民街は治安の悪い事で有名だったが、隔離工事がされる事なんて、一切耳にしていなかったから。
──だが、とにかくマゼンタは、貧民街から出られない運命になってしまったのだ。
◇◆◇◆◇◆
「……目覚め、悪い…」
最悪の目覚めだった。昨日の疲れは、筋肉痛としてマゼンタに残っている。
何故に今、あの夢を見たのか。人を傷付けた事に、間接的に殺害に加担した事が、トラウマを想起させたのかもしれない。
ふと、服の裾がはだけている事に気付く。マゼンタはみっともないと直ぐに戻そうとしたが…視界に映った。
(火傷…)
【オクタアース】によって付けられた傷は包帯で巻かれているが、隠しきれていない部分に見えたのは無数の傷。刺し傷もあったが、マゼンタがより目を引くのは、紡錘型の火傷痕。
今になっても、思い出す事が出来る。嫌でも、思い出してしまう。ただ残酷な加害を一身に被り、死が救済に思える痛みを。それを受けたマゼンタの苦しみを愉しんでいる、獣の嗤いを。
他に、外の世界での記憶があった筈なのに。外の世界でも、生きていて良かったと思える記憶が存在している筈なのに。
──思い出せない。記憶が全て、虐待に持って行かれている。どうしても、〝外の世界〟で検索をかける度、脳裏に最悪の過去が過ぎってしまう。それだけ非道で惨たらしい思い出だった。
マゼンタはその火傷の痕がついた腹を、自身の掌で押し潰そうとした。しかし、意味など無い。形を為しているというよりは細胞に寄生しているのだから、感じるのは痛みだけだ。
「起きたか」
シアンが普段の凛々しい声音でマゼンタに話しかけてきた。
「…いつから起きてたの?」
「さあな。結構前からじゃないか?」
やはり、曖昧に返された。マゼンタが起きている間に、シアンが寝ているところを、マゼンタは見ていない。だから、シアンが本当に寝ていたのかどうかが分からない。
ただ、シアンは至って健康に見える。瞬きの回数、呼吸のリズム、身体の震え。そのどれもに、異常は見られない。
「もう日は昇ってる。そろそろ、あのケチな情報屋から〝出て行け〟と言われる頃合いだろうな」
「そうなんだ…」
宿代として払った鉄の塊は外の世界より希少価値が高い。だからこそ小さくても宿代が払えるが、キーは阿漕な商売をしているらしく、大きめのサイズでも一晩しか許してもらえないらしい。誠実とは全くの嘘である。
「ほら、さっさと用意しろ。お前が此処から出ない所為で、私が迷惑を被るのも勘弁だからな」
「分かったから、急かさないでよ…」
マゼンタは寝汗を拭い、起き上がった。筋肉痛の所為で辿々しく歩きながら、傍に置いてあった比較的綺麗な水を飲む。
渇ききった喉にごくごくと音を鳴らして過ぎていくその水は、マゼンタにとって美味しかった。飲んでも気分が悪くならない。
身体に生気が戻ったマゼンタは荷物を持つ。
「…準備出来たな。じゃあ出るぞ」
「うん」
◇◆◇◆◇◆
「やあ、シアンちゃん、マゼンタちゃん」
宿代わりの建物を出て直ぐ。黒髪の中性が姿を現した。
「…散々〝ちゃん〟付けは止めろと言ってるだろう。殺すぞ?」
「おー、怖いね。狼みたいな殺気だ」
キーはへらへらと笑っている。シアンの使い方を分かっているのか、殺気を簡単に受け流していた。
「ま、そんな事はどうでも良いんだよ」
「私にとっては〝そんな事〟で済まないんだが」
キーはシアンを無視して、マゼンタに近付く。目線の高さを合わせると、ジーッとマゼンタの目を見る。
「な、何…?」
暫く沈黙が流れる。風がマゼンタの髪を攫い、マゼンタの視界を覆う。しかし、それを気にする事は無い。
今は、目の前の人間を警戒しなければならないから。
「やっぱり信用されてないね〜。まあ良いけど」
肩を竦めて…次の瞬間には、キーの笑みは綺麗さっぱり失くなっていた。
「そこのシアンちゃんはともかく…君は気をつけた方が良いかもだから言っておこうか。まあ代価が殆ど残ってないから、少しだけだけど」
キーは一拍を置くと、低い声で告げた。
「──【ヘプタレイン】が、君達を狙ってるよ」
風が一層、激しく吹いた。
「……」
「…ヘプタ、レイン…?」
シアンとマゼンタは、それぞれ異なる反応を見せた。シアンは眉間に皺を寄せた、マゼンタは瞳孔を大きく開いた。だが、互いが感じるものは似通っている。
「これ以上は言えないかな。宿代と合わせて、鉄の塊の価値は使い切ったからね」
キーは次に口を開いた時には、既に不気味な笑みを貼り付けていた。
「お前にとって鉄の塊はどれだけ安いんだ…」
「そりゃあ、鉄の塊くらい沢山持ってるし。寧ろ受け取って宿を提供してるだけ優しいと思って欲しいね」
「食えない奴だ…はぁ…」
シアンは呆れていたが、それも長く続ける事はしなかった。
風はとうに止んでいて、それぞれの鼓膜が捕らえるのはシアン、マゼンタ、キーの三人の声のみ。そのうち二人は異質な雰囲気を会話で放ち、重々しい空気を作り上げている。
マゼンタからすれば、自分は場違いでしかなかった。
「…それで、どういう事だ。なんでそこで【ヘプタレイン】の名が出てくる」
シアンはキーを睨め上げる。
「怖いから睨まないでくれよ。それと、もう与えられる情報は無いよ。これ以上の情報が欲しいなら、それ相応の物を用意してもらわないと」
「答えろ」
そう言ったキーにシアンが返したのは、殺意とその殺意を乗せたナイフだった。ナイフの出処は当然、マゼンタの懐からだ。
「ぇ、また…!?」
再び、気付きもしない内にナイフが奪われている。【ジボルタ】との戦闘時には、意識が別の事に割かれ過ぎていたから気が付けなかったのだとマゼンタは思っていたが、不正解だった。
──つまり、マゼンタ程度の実力では、注意していようといなかろうと、シアンの姿も行動も捕らえられないと言う事。
「へえ…やる気なの?」
だがキーは余裕を絶やさない。寧ろ口角を不自然に吊り上げていた。
キーの目に映るのは、シアンの内なる闘争心か、あるいは。
一触即発の、泡のような空気。どちらかが一度動けば──殺し合いが始まりそうな気がしてならなかった。
「──ちょ、ちょっと待って…っ!!」
マゼンタは、シアンとキーの間に割り入っていた。その行動をした後に、強烈な息切れと発汗。
心臓が痛い。自分を挟んでいる二人が怖くて仕方が無い、視界すら滲んでいる…ただ、此処で殺し合いをしようとする二人を、マゼンタが看過出来る訳が無い。
「マゼンタ、お前…」
「…ふ〜ん」
シアンは驚愕により瞠目し、キーは感心したように身を少し引いた。
「お願いだから…喧嘩は──殴ったりするのは…やめて」
頭痛がする。脳細胞に焼き込まれた、何年前かも分からない記憶の古傷が今になって刺激としてマゼンタを刺してくる。
苦痛に顔を歪めながらも、マゼンタは決して死ぬ事の無い勇気を目に宿していた。
「……はぁ」
シアンはマゼンタのその姿を見て溜息を吐き、ナイフを下ろした。かと思えば、マゼンタの懐にナイフが戻っていた。マゼンタには、やはり見えなかった。
「面白い友達だね、シアンちゃん」
「友達じゃない。ただの同士だ」
「それは友達と言っても良いんじゃないかな」
シアンは目に苛立ちを隠しきれていなかったが、直ぐに切り替える。
「──行くぞマゼンタ。こんな事で時間を食う訳にはいかないからな」
「う、うん…」
時の価値を理解しているような口振りだったが、先の徒爾な喧嘩を見た後では説得力が無かった。マゼンタは困惑しながらも、前を大股で歩くシアンの背中を追いかける。
「またね〜、シアンちゃん、マゼンタちゃん」
キーの間延びした声が響いた。それは少ない会話の中だが、最も澱みの無い、恰もこの場所が平和であるかのような声だった。
マゼンタはその声に反応して、振り返ったが──もうそこに、キーは居なかった。
◇◆◇◆◇◆
「ねえシアン…キーってどんな人なの?」
マゼンタはシアンの背中を追いかける中、そんな質問をした。マゼンタとしては、気になるのだ。
今まで、マゼンタは圧倒的存在というのに出会した事が無かった。だから、そういう存在に、若干の興味がある。
…だが。
「知らん。興味も無い」
シアンの返答は、淡白なものだった。だがマゼンタは、これ以上は踏み込めない。喉元まで出かかって、痞える。目に見えない重圧に、本能が告げているように思えた。
「そっか…」
それきり、マゼンタもシアンもキーの話題は出さなかった。理由は言うまでもない。
「じゃあさ、【ヘプタレイン】って何?」
マゼンタは話題を切り換える。
【ヘプタレイン】。キーが名だけ情報を与え、後には何も言わなかった言葉。〝マゼンタ達を狙っている〟という情報な以上、お互いに無視をする事の出来ない話題だ。
「あの胡乱め…余計な情報を渡して…」
シアンは肩を竦め、足を止めた。マゼンタも急いで足を止める。
「【ヘプタレイン】はこの貧民街でそれなりに有名な、精鋭が集うチームの名だ。とはいえ、私も今の【ヘプタレイン】にはあまり詳しくない。最後に調べたのは一年半以上前の話だからな」
シアンは壁に寄りかかる。
「以前調べた時は、構成員七名。各々が異なる戦闘スタイルを有していて、弱点をカバーしながら闘う、連携が得意なチームだった。強さだけで言うなら…まあ、今のマゼンタじゃ手も足も出ないだろうな」
「うぐ…まあ、そうだろうけど…」
精鋭揃いという言葉の時点で、マゼンタも察してはいた。
「でも、なんでそんな組織が私達を?」
純粋な疑問。自分達が、【ヘプタレイン】に狙われる理由が無い。そんな事、ある筈が。
だがシアンは、マゼンタのその断定を打ち崩していく。
「あの組織は仕事を請け負って生計を立てている。誰かが私達を殺すよう、【ヘプタレイン】に依頼したか──もしくは私、もしくはマゼンタが、その仕事の邪魔になるような事をしたか」
その言葉で、マゼンタの血の気がすうっと引いた。
──知らない間に、恨みを買っていた。知らない、間に。
「で、でもなんでキーがそんな事知って…!」
「情報屋がその程度の情報、仕入れていない方がおかしいだろう。それに、アイツは対価で与える情報に関しては嘘は吐かない。私が与えた対価は、アイツ基準の価値観で考えてもその情報を買えるものだった。間違い無い筈だ」
マゼンタの視界が暈される。焦点が合わない。合ったかと思えば、過去の誰かの幻影が自分に向けて声を荒げていた。
『お前の所為でぇっ!!お前がっ!お前がっ!』
具体的な説明すらしないソレを、無意識に避けるかのように自然と焦点がずれる。しかし、逸らした場所にも幻影。それから目を背けても、幻影。逃げ場など、無い。
「…マゼンタ、大丈夫か?」
マゼンタの状態が芳しくないと見抜いたシアンは、心配の声を漏らす。
「ぁ…ぁあっ…!」
しかし、マゼンタにはその声が遥か遠くに聞こえ、聞き取れなかった。膝が笑い、喉からカヒュッと息が吐き出され、顔色がみるみるうちに褪めていく。
「…おい、マゼンタ!」
「ッ…!」
シアンに両肩を押さえられながら叫ばれ、それで漸く意識が幻影から現実へと引き戻された。
「…落ち着け。一旦深呼吸しろ」
やはりその声が酷く遠かったが…マゼンタは、今度はしっかりとその声を聞き取った。
「すぅ〜…はぁ〜…」
荒んだ空気を目一杯に吸う。今日はいつもより冷たい。少しずつではあるが、マゼンタが落ち着きを取り戻していく。
「ッ、けほっ、ごほっ…」
とはいえ、気管には優しくない。煤塵が滞留しているこの貧民街では、吸えば有害成分を摂取するのに等しい。
「全く…相変わらず世話が焼ける」
悪態を吐きながらも、シアンはマゼンタに寄り添って背中を摩る。
シアンの手は確かな熱を持っていた。内側で崩壊しつつあったマゼンタの精神を熱溶着し、繋ぎ止める。
「ほら、何も考えずに上を向け。嫌なら無理にでも向かせてやる」
マゼンタはゆっくりと視線を空へと向ける。相変わらずの、煙の空模様。光の入る余地が無い。
マゼンタの悩みも、あの空と同じようなもの…否、マゼンタの方が、ずっとちっぽけだと、そう感じた。
(私の悩みなんて…あの空にある雲よりもスカスカで…薄くて──光がより届く)
マゼンタが見ている世界は、自分の深層心理でしかなかった。
斯様なもの、ただの過去。現在まで継続している訳じゃない、過ぎ去ったものだ。この永遠の荒蕪の足許にも及ばない。
空だけじゃない、この貧民街全体もそうだった。壊れ、狂ったこの街は、甚く惨い。
どれもこれも、自身の悩みがただの巻層雲だったと知らしめてくれた。
「落ち着いたか?」
「………うん、落ち着いた…ありがとう」
顔を前に戻したマゼンタの目は、曇っていなかった。寧ろ、この環境に不自然である。
「そうか…すまないが、今話していた事は生死を分けるかもしれない重要な事なんだ。話さないといけない」
「大丈夫だよ…続けて」
マゼンタがそう言うと、シアンは息を呑んだ。高頻度で精神が不安定になるマゼンタだが、ここまで平気な顔をするのは予想外だったのだろう。
(言った私も私だが…まさか空を眺めるだけで精神が安定するなんてな…何があったんだ)
シアンはそれを訊ねる事は無かった。優先順位が違うからだ。
シアンは咳払いをして。
「…なら、歩きながら話す」
「分かった」
そうして二人は歩きながら、シアンは説明を、マゼンタは傾聴をする。
「【ヘプタレイン】は確かに強力なチームだ。個人の能力が高く、連携も凄まじい。普通にやれば勝算は薄い」
「精鋭揃いだから?」
「それもあるが、普通に二人と七人じゃ数で圧倒的に不利だろう。そんな事も分からないのか?」
「…憎まれ口ばっか」
「とにかく、現状戦力的にはこちらが弱い。だから戦力を補強するんだ」
単純で理に適っている発言。しかし、その方法はかなり限られている。
「仲間を探す、とか?」
「仲間に出来るならどれ程楽か。普通、既に何処かのグループに所属している。こちら側に与する事が出来ればどれ程簡単か…それともお前が探してくれるのか?」
「……絶対に無理。交渉の余地なく殺される」
「なら、お前が強くなるしかないだろう」
その言葉で、マゼンタはハッとする。
この貧民街は実力主義。何も持たない人間は生き残れない。それは裏を返せば、力さえあれば生き延びる事など容易い。寧ろ、相手から搾取する事だって。
「お前が言っていた事は綺麗事で絵空事だ。その上、その理想を体現しようとした痕跡も見えない…なら輪を掛けて駄目だ」
誰も死なせたくないというマゼンタの理想論も、根底には自身が強くならないといけないという大前提があった。
しかし、マゼンタは口先だけ。自身がそうなるように努力した事が無い。というよりも、現状は自分の事で精一杯。なのに他人を中途半端に思い遣ってしまう、一番死にやすい状況だ。
「お前は昨日【ジボルタ】と闘っただろう。それなら迷う必要はない。自衛で良いから、生き延びる術を磨け」
「痛った!?」
シアンはマゼンタの額に中指を弾いた。所謂デコピンである。
マゼンタは大袈裟に額を押さえ、「うぅ…」と消え入りそうな声を出した。
「…それじゃあ今から、私がマゼンタを強くする」
「え?今から?」
「当然だろう。今からじゃないと逆立ちしても【ヘプタレイン】に勝てないし、逃げられないぞ?」
「そ、そっか…」
シアンは【ヘプタレイン】をかなり評価しているようだった。精鋭揃いである【ヘプタレイン】の噂は伊達ではない、ということか。
「じゃあ、早速だが──」
シアンは一つ、深呼吸をして…。
◇◆◇◆◇◆
じめじめした空気、ポツポツと雨漏りの音。垂れる雫が、精神に不快感をダイレクトに伝えてくる。否、伝えてくれる。
【ヘプタレイン】の六色の髪は、その薄暗い闇の中で揺れていた。
「…キーから情報を得てきた。青緑色の髪の女と、赤紫色の髪の女が【オクタアース】を仕留めたらしい」
藍色、インディゴの声が空間に反響する。立て続けに放たれる言葉は、段々とその反響を強くした。
「あぁ?んだけかよ情報。あの情報屋もケチ臭えな」
緑色、グリーンの声。苛立ちからか、呼気が妙に強い。
「まあそう言わないのグリーンくん。キーだって頑張ってるんだから、ね?」
橙色、オレンジの声。優しく撫でるような宥めの声が、空間を調和する。
「そもそもアイツは胡散臭えんだよ…俺等のことなんでも見透かしてるみてえに話しやがる。こっちは何も知らねえってのに」
グリーンの不満は至極真っ当であった。
キーはまるで未来を視てきたかのように、情報を先回りして入手している。今までにキーを頼った者で、必要な情報が得られなかった者は誰一人として居ない。それがキーだ。
「グリーン、それは今重要じゃないだろ、後にしてくれ。インディゴさん、ソイツ等の情報は他にないのか?」
赤色、レッドの淡々とした、しかし妙に重みを感じさせる声が空気を震撼させる。
「…僕も、気になるかも」
それを青色、ブルーの温和な声が中和した。
「…それが片方…赤紫色の髪の女の情報しか教えてくれなかったんだ。名はマゼンタ、18歳。小柄で人殺し経験無し、武器はナイフ。価値が希薄らしいから、それくらいは教えてくれた」
その言葉に、グリーンが怪訝な顔をする。
「おい、片方しかって…代価が足んなかったんじゃねえのか。何渡したんだよ」
「レッドの弾薬だが」
「そりゃ足りねえわ。というかそんだけで赤紫色のアマを売りやがったのか…ソイツどんだけ弱えんだよ」
後頭部を掻きながら、呆れ口調で呟く。
…本人が聞いたら絶望するだろうが、キーにとって赤紫色の髪の女──マゼンタの存在は価値として相当薄かった。
生き延びる可能性があるわけでもなし、向上心があるわけでもなし。あるのは優しさという才能だけ。だがそれは均衡を保つのではなく、崩す異分子。だから、居ない方が良い。
だから、弱くて価値がないマゼンタの情報を、キーは簡単に売った。逆にシアンの情報は、殆ど売られなかった。
「まあ、片方割れてるなら見つかるでしょう?落ち着きましょう、ね?」
「…ッチ。それもそうだな。それより、そこのガキをどうにかしねえとか」
グリーンが指差す先。そこには、黄色の髪の少女…イエローが、膝を抱えて蹲っている。
「イエローちゃん…作戦会議中よ、貴方も参加してくれないかしら?」
オレンジは膝に手を置き、しゃがみ込む。その優しい目がイエローの視界に入った途端。イエローは現実に引き戻された。
「…うん、分かった」
こんなことはしていられない、と。イエローは立ち上がった。
「ったく…しっかりしろよな」
「ごめん、ちょっと考え事してたから…」
「…まあ、長々と説教する必要はない。それより早く作戦会議を始めよう」
そして【ヘプタレイン】の六人は、作戦会議を始める。
◇◆◇◆◇◆
廃墟の一端にて。
「…どうだ?少しは強くなった実感はあるか?」
「無理………死ぬ………」
飄々と訓練に付き合うシアンと、それについて行けず床に伏せているマゼンタが居た。
マゼンタは全身からかなりの量の汗が噴き出し、筋肉が小刻みに震えている。今までにない動き、今までにない身体の使い方を長時間行った。シアンのスパルタ特訓に慣れるには、まだまだ時間が掛かりそうだった。
「明日絶対筋肉痛…こんなんじゃまともに動けない…」
「これくらいで音を上げているようじゃ、【ヘプタレイン】の最弱すら相手に出来ないぞ」
シアンの言葉に、マゼンタは更に絶望に叩き落とされたような表情をした。
「……本当?」
「ああ。最弱…確かイエローだったか。ソイツですらこのくらいは汗一つ掻かず熟すだろう。いい加減理解したか?お前の実力の低さが」
「うぐ…」
「…まあ見た感じ、雑魚の割に動きは悪くない。というより、敏捷性だけなら相当なものだ。小柄な体格や反射神経の良さと相俟って、攻撃を躱しやすい」
シアンはそう評価を下した。分かりやすく評価するならば、〝雑魚に変わりはないが、一つの強みを持っている〟ということ。
「その強みは磨けば大きな価値となる。ただの雑魚じゃなくて良かったな」
「…雑魚雑魚うるさい」
マゼンタは外方を向いた。拗ねているのか照れているのか、判然としない。素直になれないのには、変わりないが。
「じゃあマゼンタ、今日は休んでいろ。明日も演る」
「え…!?明日も…!?」
「当然だろう、サボりなんて許さないぞ?」
シアンのその笑みは、妙に圧が強い。有無を言うのは許可するが、それでも強制的にさせてしまうような重圧。圧倒的な力を持っているからか、はたまたシアンがマゼンタの事を理解しているからか。
「……うぅ、分かった…」
「よし、ならもう寝ろ。筋肉痛も今から寝れば直ぐに治るさ」
シアンの楽観的な言葉を聞きもせず、マゼンタはその冷たい床に横になる。
床と肌が触れた瞬間、埃や砂の不快な感触。硬さとザラつき、ふわふわの三重の不協和が不快感を加速させる。
(…これ、寝られるかな)
そんな思考とは裏腹に、マゼンタの体は正直であった。瞼がゆっくりと閉じていく。先の運動で分泌された脳内麻薬も、既に鳴りを潜めていた。
やがて瞼は完全に落ちた。しかし、視界はいつも通りに感じられた。感覚の誤差も感じられずに、マゼンタはすうすうと寝息を立て始める。
「……」
マゼンタが意識を飛ばしてから数分後。シアンは扉を開けた。




