表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約者を奪われましたが、前世の知識で幸せを取り戻します  作者: 絵宮 芳緒


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/10

第5話|噂と、慎重な手のひら

学園の廊下では、同級生たちが小声で話し合っていた。


「アマーリエ様、体調はもう大丈夫なのかしら……?」


「階段から落ちたって聞いたけど、本当に無事だったの?」


「犯人は誰なの? 許せないわ……」


クラスメイトや学園の生徒たちは、心配と憤りを滲ませながら、自然とアマーリエの名を口にしていた。


事件そのものだけでなく、彼女がその後も静かに学園へ戻ってきたことが、かえって強く印象に残っている。


そんな中、ひときわ小さなざわめきが起きた。

「ねえ……あの子、顔色、良くない?」


声の先にいたのは、以前から不眠を訴えていた女子生徒だった。

目の下にはうっすらと影があり、授業中もぼんやりしていることが多かった生徒だ。





「最近、眠れなくて……朝も食欲がなくて」


そう打ち明けられた時、アマーリエは大げさな言葉を使わなかった。


ただ静かに、


「夕食は、少し軽めにしてみて。

それから、寝る前に温かい飲み物を」


考えるように視線を上げ、静かに続ける。


「ホットミルクや、刺激の少ないハーブティーもいいわね。それと……白湯もおすすめよ」


「白湯?」


聞き返され、アマーリエは小さく頷いた。


「水を一度きちんと沸騰させてから、人肌より少し温かいくらいまで冷ましたものなの。

何も加えていない、ただの温かい水のことよ」


言い聞かせるような口調ではなく、あくまで淡々と。


「体を内側から温めてくれるし、胃腸にも負担が少ないわ。巡りも良くなるから、体質の改善や老廃物の排出にも効果があるの」


少し間を置き、穏やかに付け足す。


「無理に全部やらなくていい…。できそうなものを、続けられる形でやれば良いの。」


それだけ言うと、アマーリエはそれ以上踏み込まなかった。

けれど、その言葉は確かに相手の中に静かに残っていた。


ーー数日後。

その生徒は、以前よりも明らかに顔色が良くなっていた。


「……久しぶりに、ちゃんと眠れたの。朝も、少しお腹が空いたのよ」


それを聞いた周囲の生徒たちは、思わず息を呑む。


「え、薬でもないのに?」


「それだけで?」


驚きと、わずかな羨望。

誰もが、アマーリエをちらりと見る。


彼女は特別なことをした様子もなく、いつも通りの静かな佇まいだった。


一気に広がるわけではない。

だが、気づけば周囲に染み込んでいる。

小さな変化が、日常の奥へと静かに根を張っていく。




その噂は、やがて別の場所にも届く。

オスカーは、廊下の端でその話を耳にし、足を止めた。

胸に浮かぶのは、困惑と焦り。


「……そんなことまで、できたのか?」

元婚約者のオスカーは、噂を耳にし、わずかに言葉を失った。


かつて「つまらない」と切り捨てた相手が、静かに評価を集めている。


その隣で、ローザリアは表情を強張らせる。


(なによ……あんな女……)


(私の方がずっと……ただの家格だけの女じゃなかったはずでしょう?)


ローザリアは何も言わず、静かに唇を引き結ぶ。

オスカーもまた、視線を逸らしたまま、口を開こうとはしない。


二人はただその場で、噂を遠巻きに眺めるだけだった。





一方、王宮では、王弟殿下付きの側近であるフェリクス・フォン・ラインハルトが、書簡に目を通していた。


王弟が確認する各貴族の領地収入や状況は、必ず事前にフェリクスが精査する。


そんなフェリクスの脳裏に、先日立ち寄ったヴァイスベルク侯爵家での出来事が、ふとよぎった。


医療でも、薬でもない。

たった一つ――「食事」。


理知的な眼鏡の奥で、視線が細まる。


(偶然にしては、筋が通りすぎている)


フェリクスは、その違和感を簡潔に王弟へ報告することを、心の中で決めていた。




さらに、侯爵家の屋敷では、使用人たちの間でも最近の変化が話題になっていた。


「マリアンネ様、最近お顔の色がいいわよね」


「朝食も、前よりきちんと召し上がっていらっしゃる」


厨房では、料理人たちがひそひそと声を交わす。


アマーリエは決して命令口調ではなく、

「少しだけ、こうしてもらえる?」

と、あくまで提案の形を崩さない。


そのため、誰の気分を害することもなかった。


一人の使用人が、爪先を指でなぞりながら言った。


「そういえば最近、手荒れも酷くなく、爪も欠けにくいんです」


「前は、少しぶつけただけで割れていたのに……」


厨房にいた年配の使用人が、思い当たったように頷く。


「最近の献立、鶏肉が増えましたよね」


「ほうれん草も、よく使うようになりましたし」


「ナッツも刻んで入ってます」


「玄米パンの日もありましたね」


「果物も、前よりちゃんと出るようになって……」


別の使用人が、湯気の立つカップを手に取り、ふっと笑う。

中身は白湯だ。


「それに、アマーリエ様が

“水分も忘れずに。喉が渇く前に飲むのよ”って」


誰かが、小さく感心したように息をついた。


「特別なことじゃないのに……」


「でも、ちゃんと効いてるんですね」


爪の欠けにくさ。

手荒れの減少。

疲れにくさ。

どれも些細で、言われなければ見過ごしてしまう変化だ。


けれど――毎日使う体だからこそ、その違いは確かだった。

使用人は、もう一度自分の手を見下ろす。


「……体って、正直なんですね」


その言葉に、誰も否定しなかった。





側近であるフェリクスからの報告を聞き終え、王弟レオンハルト・アルベルト・フォン・アウレリアは、しばし黙考した。


「実に……興味深いな……」


それだけを呟き、指先で机を軽く叩く。


その先にある名前が、まだ呼ばれることはない。


「君に……いつか、出会えるだろうか……」


まだ見ぬ相手――


そんな彼女に思いを馳せながら、レオンハルトは精悍な面差しの頬を、わずかに緩めた。


登場人物




アマーリエ・フォン・ヴァイスベルク

(17歳)

侯爵家ヴァイスベルク家の長女で、正式な跡継ぎ。

婿入り前提で婚約していたが、婚約破棄をきっかけに前世の記憶を思い出す。

前世は50代独身の栄養士。

感情に流されず、現実的で観察眼が鋭い。

料理と体調管理の知識を活かし、領地と人を立て直していく。

見た目は落ち着いた美貌だが、内面はかなり肝が据わっている。




レオンハルト・アルベルト・フォン・アウレリア

(26歳)

現国王の弟で、国内外から一目置かれる存在。王位継承権第三位。

武勇と知略を兼ね備えた人物だが、私生活は驚くほど質素。

必要以上に己を飾らず、物事の本質を見る目を持つ。




マリアンネ・フォン・ヴァイスベルク

(14歳)

侯爵家ヴァイスベルク家の次女。

アマーリエの妹で、姉を素直に慕っている。

婚約破棄後も変わらず姉の味方。

年相応の明るさと、貴族令嬢としての教育を受けた聡明さを併せ持つ。




フェリクス・フォン・ラインハルト

(30代前半)

王宮から派遣された、王弟殿下付きの側近。

理知的な眼鏡をかけ、常に無表情を崩さない。

感情を交えず、事実と結果のみで物事を判断する合理主義者。

侯爵家に書簡を届ける役目で訪れた際、

アマーリエの在り方と屋敷内の変化に、静かな違和感を覚える。




オスカー・フォン・グラーツ

(17歳)

侯爵家グラーツ家の次男。

跡継ぎではなく、立場を主人公の家に頼る形で婿入り予定だった。

自尊心は高いが実力が伴わず、

甘言に弱く、楽な方へ流されやすい性格。

自分が「選ばれる側」だと思い込んでいた。




ローザリア・フォン・ベルク

(17歳)

ベルク子爵家の令嬢。

美貌と愛想を武器に、オスカーに近づいた張本人。

向上心は強いが、現実の身分差や貴族制度を甘く見ている。

自分の行動がもたらす結果を、深く考えないタイプ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ