一足先に、どこへ
出来なかった事をできるようにするためには、やる事が2つある。
一つ目は自分ができない事をできている相手をよく観察すること。
二つ目は自分でもソレをやってみること。
観察をして1回やって出来るようになる事もあれば、何十回やってもできない事もある。
何回も、何回も、何回も、何回も。
何回も、やる。
そうすると、何故かいつの間にか“出来なかった事”は“できる事”になっている。
繰り返し同じ事をやって、できなかった事が出来るようになるのは、人間も猫も変わらない。
俺は人間のようになりたいと思って、人間の“まね”をたくさんしてきた。
字を書くのも先生の“まね”をして今はカタカナまで覚えたし、二本足で立ってあるく事も、それまで人間をたくさん観察してきたからこそ、すぐに“まね”をする事ができたのだ。
そう、さっき俺がしろの家でテレビをつけたのだって、しろを観察して“まね”しただけだ。
したい事をよく観察をして、その行動を自分でも何度もやってみると、それはいつの間にか自分のものになっている。
まだ俺が子猫の時も、スズメを獲ったり、虫を獲ったりする母親の狩りを観察して“まね”を何度も何度も繰り返した。
その結果、俺は狩りができるようになったのだ。
しかし、一度自分のものになったものが、ずっとずっと自分のものであるという決まりはどこにもない。
「っ!」
そう、どこにも居なかった。
確かにそこには先程までスズメがぴちぴち鳴いていた筈だ。
「っに!」
俺は前足の裏に感じる熱い地面の感覚に、とっさに上を向いた。
そこには先程まで地面でぴちぴち鳴いていたスズメが青空に向かって飛び発っていた。
俺は確かに狙いを定めて確実にあのスズメをしとめる為に、気配を消して前足で地面を蹴って、後ろ足で勢いよく飛んだ筈だ。
捕えたと思った。
テレビで見たトラのじょーの狩りのように、俺の手の中には「ぎゅ」と小さな声を上げてヒクヒクするスズメが居る筈なのだ。
なのに、そこには何もない。
あるのは地面だけ。
俺は、狩りに失敗したのだ。
『あれ。あれ、なんでだ?なんで?』
俺は何だか腹の毛がぶわわわと立ちあがるのを感じると、その後も何度も何度もスズメを見つけては飛びかかった。
なのに、俺の手にはヒクヒクするスズメはおらず、ただ地面があるだけだった。
『俺、狩り、できなくなってる?』
俺は腹の毛のぶわぶわを振り払うようにスズメに飛びかかりまくった。
しかし、焦れば焦る程俺の手はスズメに触れる事すらできない。
それどころか、気配の消し方すらまともにできなくなったのか、俺が飛びかかるよりも前にスズメがその場から飛び立つようになってしまった。
『ふぅぅ…っ』
何度目だろうか。
しろの家を飛び出して、大分時間がたった頃。
真上にあった太陽が横の方に来て、色もアカの髪の毛みたいな色になりはじめた頃。
俺は自分の爪が微かに飛び立つスズメの羽に触れ、けれども俺の前足に残ったのはスズメの羽だけで、結局そのスズメを逃してしまった。
そして、俺はその不甲斐ない狩りを最後に味坂神社に帰る事にした。
狩りをしながら俺はいつの間にか、味坂商店街の近くまで来ていたようだ。
たくさんの人間が俺の目の前を行ったりきたりしている。
『…………どうして』
俺の腹の毛はブワブワしたまま治まらない。
それどころか、何やら気持ちの悪いモヤモヤが俺をぐるりと囲んで離さないような感じだ。
それはとても落ち着かない感覚。
嫌な感覚。
『昔はできたのに、今はできない』
そう、昔は狩りなんて簡単だった。
人間の食べ物にありつけない時は、母がしていたようにスズメに飛びかかり、その体にむしゃぶりついたものだ。
そりゃあ味は人間の作るご飯の方が断然おいしい。
食べるなら断然人間のごはんだ。
最近の俺は人間のような事が自分でも出来るようになり、楽しくて嬉しくて仕方がなくなっていたので気付いていなかった。
猫が当たり前にできる事が、自分には当たり前ではなくなっていることに。
狩りが出来なくなった今、やうやく俺はその事に不安をおぼえた。
あの自分で獲物をとらえる爪の先がピンと尖るような感覚は、猫にとってとても大事だ。
そう、狩りができなくなって今、改めて思い知ったのだ。
俺は人間の“まね”をして人間になることもできるようになったけれど、それでも俺は猫だ。
猫である事を捨てているわけではない。
俺は自分の前足を見て、改めて思った。
おかしなものだ。
人間が面白いと思って、人間のまねをしたいと思うと同時に、こんな事も思うなんて。
昔できていた事が出来なくなるという事が、こんなにも不安になる事なんて。
俺は知らなかった。
『狩りも、また練習しないと』
別に狩りなんてする必要ない。
食べ物はしろや、ますたーや、ミソノさんがくれる。
ゴミを漁れば貰えなくてもどうにかなる。
なのに、俺は狩りの練習も昔のように再開しようと心に決めた。
何回も、何回もやっていれば、きっとまたいつかのように出来る筈。
そう思って俺が顔を上げた瞬間。
俺は脇から感じた、爪の先がピンと尖るような感覚に思わず体が痺れるのを感じた。
そして次の瞬間には、駆けだしていた。
人を掻き分け、小さな汚い道を越え、そこにあったのは。
「ひゅっ」
そこには何の乱れも迷いもない、綺麗な空中での跳躍を見せ、目の前にある獲物にとびかかるぼすの姿だった。
俺はその姿を捉えた瞬間、呼吸をするように気配を消すと、物陰からボスの狩りを一瞬たりとも目を逸らさず見つめた。
「がっ!」
捕えた。
そう俺が思うと同時に、ぼすの足元には羽をばたつかせるスズメがピーピー鳴きながらもがき苦しんでいた。
そんなスズメにぼすは迷いなく爪を立て、そして口を開きその首筋に歯を立てた。
『…………すごい。すごいな』
飛び立ち、獲物を捕え、そして噛みつくその野生そのものを表したようなぼすの一連の動作と、俺の中にあったテレビのトラの姿とがピタリと重なった。
その瞬間、俺の中のトクントクンが走った後よりも激しく鳴り響き始めた。
『かっこいい……』
俺は自分がぼすに見とれている事など気付きもせず、ただただぼすに視線を奪われ続けた。
その後、ボスは何度か場所を変え狩りをし続けたが、その全てに俺は後からこっそりついてまわった。
そんな事、今までの俺では考えられない事だ。
ぼすを見つけたら面倒事になる前に、逃げる。
それが猫の俺のぼすに対する今までだった。
人間の時は子猫のように甘えてくるぼすをよしよしと撫でてやる。
それが人間の俺のぼすに対する今までだった。
そのどちらにも当てはまらない事を、今の俺はやった。
そして、そのどちらにも当てはまらないぼすの姿が、そこにはあった。
狩りをするぼすは見事なまでに美しかったのだ。
それは“百発百中”という人間の言葉が、俺の中でぼすの狩りにきれいに当てはまるものだった。
人間の言葉は、その事を自分で目にして初めて意味と力を持つ。
百発百中はボスのお陰で、俺の中に深く深く刻まれた。
出来なかった事をできるようにするためには、二つの事が必要だ。
何回も繰り返す事と、よく観をすること。
俺は俺の目に映る、美しいぼすの姿をジッと見つめ続けた。
昔のように出来なくなってしまった狩りを、また出来るようにするために、俺はボスを観察する事にした。
それが、俺の中で猫を捨てずにいる、ただ一つの方法な気がしてならなかった。
その後、俺は空が真っ暗になるまでボスの後をつけまわし、そしてぼすが狩りを終えたところで、ぼすに背を向けた。
その間も、俺は頭の中でぼすの百発百中の狩りを何度も何度も思い出していた。
頭の中で観察を繰り返すのだ。
『………ふぅぅぅ』
しかし、考え過ぎはあまりよくなかった。
俺はぐるぐるしすぎて頭がぼーっとしてくるのを感じると、頭の中での繰り返しをやめて人間の歩く道を何も考えずに歩いた。
すると、俺の鼻は嗅ぎ慣れた二つの匂いが近くにあるのを感じた。
つん。
一つは俺の通る道の先にある匂い。
あぁ、これは俺の息子の匂いだ。
俺はずっと先にある赤い毛の色を持つ人間の姿を捕えて、鼻をふんと鳴らした。
アカは何やら道の脇に植えてある木の下に居る猫と何か話しているようだった。
もちろん、アカは人間の言葉で、猫は猫の言葉で。
何を話しているのかまではよくわからないが、きっと噛み合ってはいないだろう。
ただ、アカは木の下に居る猫に向かってニカっと笑うと、その頭を上手によしよししていた。
撫でられている猫は嬉しそうに鳴いた。
つん、つん。
もう一つの匂いが俺の鼻につく。
あぁ、これは優しい人間の匂いだ。
もう一つは道を挟んだ向こうの道に立つ、白い毛を持つ人間を捕えて、鼻をふんと鳴らした。
『……あ』
しろはアカを見ていた。
ただ、ジッとアカを見ていた。
一瞬も目を逸らさず、何か美しいものでも見るような目で。
「にゃあ」
俺は無意味に鳴いた。
よくわからない気持だ。
あのしろの目はなんだろう。
しろも俺がぼすを観察するように、アカを見ているのだろうか。
しろはアカを観察しているのだろうか。
アカに出来て、自分にできない何かをできるようになりたいのだろうか。
それとも。
「にゃあ」
分かるような、けれど全然分からない。
俺が猫だからだろうか。
それは出来ていた狩りが出来なくなっていたあのブワッとした感覚にも似た何か。
何やら気持ちの悪いモヤモヤが俺をぐるりと囲んで離さないような感じ。
これは一体何なのだろうか。
「にゃあ」
『わからない』
俺は猫にも、人間にもなりきれていない。




