一足先に、野生へ
テレビという四角い箱の中では、いつも何かが動きまわっている。
それは人間だったり、人間ではないものの人間のような形の絵であったり。
とにかく、色々なものが動き回るので見ていて飽きない。
≪トラは、アジア大陸に分布する、ネコ科最大の動物であり、古来よりアジアの文化の中で力や威厳の象徴として、様々な形で親しまれてきました。トラが生息していない日本でさえ、それは変わることはありません≫
今日の俺は猫だ。
俺はテレビの画面にこれでもかというほど顔をくっつけると、鋭い牙で獲物に食らいつく動物の姿に釘付けになっていた。
「ふんふんふんふん」
思わず鼻をふんふんとテレビにくっつけて匂いを嗅いでしまうが、そこからはテレビの変な匂いがするだけで他の匂いは何もしない。
テレビに映るものはここにあるわけではない。ただのニセモノだ。
いくら本物のように見えたところで、ここにある訳ではないので、匂いも感触もなにもない。
そんな事はとっくの昔から知っている筈なのに、俺はいつもテレビの本物っぽさに騙されてフンフンしてしまう。
俺は今日もテレビに騙された。
「……おい、キジトラ。何してんだ?」
そんな、テレビに騙されてフンフンしている俺の背後から、寝むそうな声で現れたのはしろだった。
もう太陽はてっぺんまで上っているのに、しろときたら今が「おはよう」の時間らしい。
俺は自分の部屋からテレビの部屋まで下りていたしろをチラリと見ると、すぐに視線をテレビに戻した。
そこにはトラと呼ばれる俺達猫と似たような生き物が、見た事もない程広い草原を駆けまわっている様子だった。
俺はそれを見て、知らず知らずのうちにまたふんふんしてしまった。
あぁ、また騙された。
「……勝手にテレビなんかつけやがって。いつの間にそんな知恵つけやがった」
しろはそう言うと床に落ちていたテレビの“りもこん”を拾い上げると、どこか感心したように俺を見てくる。
「ふんふんふんふん」
しろの言葉に俺はふんふんしながらも少し得意な気持になる。
そうだ、俺はテレビを自分でつけたのだ。
いつものようにしろの家に勝手に入って、勝手にしろの部屋に入ったものの、しろはまだ寝ていた為、俺は暇つぶしにテレビをつけた。
そう、俺がこのテレビをつけたのだ。
テレビをつけるのなんて、とても簡単だ。
あの“りもこん”の上の方の赤い丸をテレビに向かって押せばいい。
これは、俺が人間のニートとしてしろの家に遊びに行った時に覚えた“ちえ”だ。
猫の姿でも出来るのか今日初めて試してみたが、簡単に出来た。
俺は猫なのに、テレビをつける事ができる。
それはなかなか凄い事なのではないだろうか。
「キジトラ、そんなにトラが気に入ったのか?」
「ふんふんふん」
しろの問いに俺はふんふんしたまま、テレビの中のトラという生き物を見つめ続ける。
今はトラの子育てについての話を、テレビが説明している。
いや、俺はトラが気に入った訳ではない。
気になるのだ。
何故だかこのトラという生き物は、どうにも俺達猫と似ているような気がする。
しかし、俺はトラを今まで見たことが無い。
味坂商店街やその周りをいくら探しても、きっとトラは居ないのだろう。
だとすると、トラはどこに居るのだろう。
このテレビの中の広い草原は、一体どこだ。
ここからどれくらい離れた場所なのか。
俺の疑問は膨らむばかりだ。
「まぁ、トラも猫の仲間みたいなもんだしな」
しろの言葉に俺は耳をひくつかせた。
そして、次の瞬間、俺はとても驚いてしまった。
驚き過ぎて腹の怪我ぶわわと逆立つ程に。
≪この動物園には怪我をしたトラ達を一時的に保護し、自然へと返す取り組みを行っています。このジョーというトラは幼い頃、親をなくしこの動物園へとやってきました。今では館長のジェニスさんの事を自分の親のように思っているようです≫
そうテレビの中に現れたじょーと言うトラは館長のじぇにすさんに向かって飛びかかり、じぇにすさんの顔をぺろぺろしていた。
「ふんふんふんふんふんふんふんふん」
「キジトラ、今日のお前なんか変だぞ」
ずっとテレビでトラを見てきた。
草原を駆けまわり狩りをする姿や子育ての姿。
どれをとっても俺達猫とそっくりだった。
けれど、トラは俺達とは全然違う。
『じょーは人間のじぇにすさんより大きい!トラはこんなに大きいのか!』
それまで俺はトラの映像だけ見て、自分と似ているなぁと思っていたが、トラは猫とは比べ物にならない位大きな生き物だという事が分かった。
俺達がどんなに頑張って二本脚で立ちあがっても、人間の顔になって届くわけがない。
きっと俺がトラの横に立ったら、先程のトラの赤ん坊のようになってしまうのだろう。
いや、下手をすればトラの赤ん坊よりも小さいかもしれない。
≪トラはこの森の生態系の頂点に立つ、最強の動物なのです≫
トラ、トラ、トラ。
最強の、トラ。
目の前で力強く、そして綺麗に動き回るトラの姿を見て俺はとても腹の毛がブワブワしていくのが止められなかった。
トラ、トラ、トラ、トラ。
「キジトラ?」
俺の名前は“キジトラ”だ。
「にぃぃぃぃぃぃ」
しろの呼びかけに俺はピンと耳を立てると、俺はなんだか無性に狩りをしたい気分になってきた。
こんな事、俺が“大変な猫”になって初めての事だ。
“キジトラ”という名前を、俺は気に入っている。
かっこいいと思っていた。
トラは格好よかった。
狩りをして駆けまわっているトラはとびきりだ。
そんなトラの名前が、俺の中にある。
「にぃぃぃぃぃぃぃ」
「おい、キジトラ。どうした」
俺はテレビから離れ、態勢を低くしてノソリ、ノソリと歩いた。
背中からしろの声が聞こえるが、今日の俺はしろのごはんよりも、なんだか狩りをしてスズメを食べたい気分だ。
きっと、これは今日だけの気分なのだろう。
トラに影響をされてしまったのは分かるが、今日の俺は、大変な猫になるまえの、この辺りの縄張りの主をしている時の俺だ。
「にゃああああ」
俺はトラを真似て勇ましく鳴くと、そのまましろの家を飛び出した。
今の俺は、きっとなんだって出来そうだ。




