一足先に、気になるアイツ
見ている。
今日もアイツが俺を見ている。
「にぃぃぃ」
今日の俺は猫だ。
猫の時は基本的にお腹がすいたらますたーのお店に行くようにしている。
なんたって猫の時はおかねがなくてもますたーがご飯をくれるから。
俺はますたーのごはんが好きだ。
けれど。
「にぃぃぃぃ」
初めてますたーのお店に行った時から居るアイツが、最近は場所を変えて俺を見ている。
気になる。
アイツ。
アイツはちょっとこわい。
アイツは目がぎょろぎょろとしていて、考えられないくらい大きい。
俺と同じような形の耳を持って、けれどその耳の中身は俺と違ってまっかだ。
俺にはまねできないような態勢で片手には金色のまあるいものを持って、もう片方の手は耳の横まで上げてある。
その猫は赤いしきものの上に座っている。
アイツは一体なんなのだろう。
ぎょろっと大きな目でアイツはいつもジッとしている。
もしかしたら、ますたーの作る俺のごはんを狙っているのかもしれないと最近の俺は疑っている。
だから前は店の奥に居たのに前の方に来たんじゃないかって。
アイツは俺が居る時は動かないけれど、俺はアイツも俺と同じ猫なのではないかと思っている。
なんとなく形が俺と似ている気がするからだ。
しかし、アイツは猫の癖にジーッと俺を見る。
これでもかっていうくらい見る。
俺が俺の決まった席に座ったと同時に見てくるから手に負えない。
あんなにジッと見られたら、いくら俺だって嫌だ。
だから、今日という今日はあの猫のような何かわからないヤツに一言言わねばならないと思っている。
もともと此処に居る猫だから後から来た俺が何かと口を出すのは気が引けるが、ここは気持ちを引き締めていこうと思う。
だって、ずっとあんなに見られてたんじゃ、おいしいごはんに集中できないじゃないか。
「おい、アニキ。厨房には入ってくんなって行ってんだろ?」
「にぃぃぃ」
俺はますたーの言葉にチラリとますたーを見上げた。
大丈夫、ますたー。俺は今日はたくさん体を舐めたから、いつもよりもっときれいだ。
それに、俺はますたーのごはんの邪魔をするわけじゃないんだ。
「ねぇ、マスター」
「なんですか、宇佐美さん」
俺がますたーのご飯を作る場所のちょっと脇にあるアイツを見上げていると、俺の隣でさっきまで俺を撫でてくれていたうさみさんがアイツを指さした。
「アニキちゃん、もしかしたら気になるんじゃない?」
「?」
珍しい事に今日はますたーの店に行ったら、俺より先にうさみさんが居た。
そういえば、初めて俺が猫の姿でうさみさんと会ったのも此処だった。
その時からうさみさんは俺を“アニキちゃん”と呼ぶ。
“ちゃん”というのは名前の後につける呼び方らしい。
アカに聞いたら他にも“くん”とか“さん”とか色々あると言っていた。
そう言えば知らないうちに俺も“うさみさん”とさんを付けてうさみさんを呼んでいた事を思い出して腹の毛がぶわぶわしたものだ。
「アレよ、アレ」
「あれ……あぁ、アイツですか」
更に珍しい事にアカとアカの仲間は居なかった。
アカ達は俺が店に来ると、いっつも先に居るのに。
「前と場所変わってるし気になるのよ。この席からだと一際よく見えるもんねぇ」
「……そうですかね?」
そう言って、ますたーとうさみさんが二人して俺の気になるアイツを見た。
俺は自慢の足でぴょーんとアイツの居る棚の上まで飛ぶとアイツの隣に座った。
「ほらぁ!やっぱり!仲間だと思ってるのよ!」
「“招き猫”を、ですか?」
「うん、だって、“猫”だし」
そうか。この猫は“まねきねこ”と気うのか。猫なのに名前に“猫”がついているなんて、やっぱりおかしな奴だ。
俺の場合だったら“キジトラねこ”になってしまうではないか。
『こんにちは』
「…………」
俺は初めてまねきねこに話しかけた。
けれど、コイツはうんともすんとも言わない。
隣にいる俺に見向きもしない。
ずっと前を見ている。
なんて奴だろう。
『まねきねこはますたーの家の飼い猫?』
「…………」
『ねぇ、なんで返事をしないのさ。さっきまでずーっと俺の事を見てたのに』
「………」
『ねぇ、何とかいいなよ。他の猫が来て嫌かもしれないけど。俺はごはん貰ったらすぐ帰ってるじゃないか。ねぇ、ねぇ』
俺はあまりにもこちらを見ないまねきねこに焦れて顔の前に座った。
ぎょろぎょろの大きな目がジッと俺を見ている。
ちょっとこわい。
『ねぇ、これは何を持っているの?』
「………」
俺は黙るまねきねこに、もしかしたら怒るかもしれないと思いながらも、そっとまねきねこが片方の手で持つ金色のまあるい物に触れた。
ついでに、まねきねこにも触ってみた。
ここまでしたら無視できないだろう、なんて思っていたら。
「にゃっ」
まねきねこは冷たかった。
俺が想像しているよりも、ずっと、ずっと。
これではまるで死んでいるようだ。
俺はびっくりしてますたーを見た。
ますたーは死体を飾っているのだろうか。
「にぃぃぃ」
鳴きながらますたー達を振り返ると、そこではますたーとうさみさんが変は顔ををしながらピクピク震えていた。
どうしたのだろう。
顔がにこにこを通り越して苦しそうだ。
二人は死ぬのだろうか。
「かわい過ぎるだろ……」
「招き猫とおしゃべりしてる……」
俺が上の方から二人を見下ろしていると、それまで顔をまっかっかにして震えていたうさみさんが何やら「写メ、写メ!」と叫びながら脇に置いて黄色の入れモノをゴソゴソとし始めた。
なんだろう、うさみさんは何か食べ物をくれるのだろうか。
その考えは一瞬にして俺の隣に居るまねきねこの存在を忘れさせると、俺は得意の足で、またしてもぴょーんと棚から下りた。
そして尻尾を期待でピーンとさせながらうさみさんの隣の席まで歩く。
「にゃあ」
「ああっ!もう下りてきちゃったの!?アニキちゃん!」
『うさみさん、何かごはんくれるー?』
「……もうちょっとで招き猫とアニキちゃんのツーショットが撮れたのに」
そう言って何やらがっかりしているうさみさんは黄色の入れモノから何も出さずに肩を落としていた。
どうやら、ごはんはくれないらしい。
ちょっとお腹の毛がしゅんとしたけど、俺にはますたーのごはんがあるから我慢できる。
「あぁ、残念」と呟くうさみさんを気にすることなく、いつもの自分の椅子に座った。
そしたら、やっぱりアイツは俺を見ていた。
『なんだよー。あんまり見ないでよ』
「………」
無視ばっかりだ。
アイツは一体何なのだろうか。
死んでいるのか、生きているのか。
それすら分からない。
こういう時はアカに聞くのが一番だ。
アカ、早く来ないだろうか。
そう、俺がジッと見てくるまねきねこの視線に耐えながらアカの到着を待っていると、すぐにお店の扉がチリンチリンと鳴った。
アカの仲間達の匂いがしたので、きっとアカも居る。
『アカー、おしえてー』
俺がチリンチリンの扉に向かってそう鳴くと、そこには。
「今日は兄貴が先だったかー!」
「おお、宇佐美さんも居るじゃん。なに?マスターとあいびき?」
「逢い引きって……津古、あんたが使うと使いこなせてないからやめなさい」
「真顔でツッコミいれないでよー!もう!」
アカは居なかった。
金ピカ(皆はつこって呼んでる)とべちゃべちゃ(皆はなかしまって呼んでる)しか居なかった。
あれ、アカ。アカはどうしたのだろう。
いつも一緒に来るのに。
いつも俺を見つけるとがーっと俺に向かって走ってくるアカの姿が無い事に、ちょっとだけ毛がしょぼんとなってしまった。
アカに聞きたい事もあったのに。
今日はアカは来ないのだろうか。
『ねー、アカはー?』
「ねー、マスター。安武ってもしかして昨日から奥?」
「ぜんぜん連絡つかねぇんだけど!」
俺の鳴き声が通じたわけではないけれど、どうやら金ピカとべちゃべちゃもアカの場所を知らないようだ。
逆にますたーに聞いている。
すると、それまで楽し気にうさみさんとおしゃべりをしていたますたーが突然不機嫌な顔をして溜息をついた。
それも普通の溜息じゃない。
ながい、ながい溜息だ。
こんなに長い溜息を、俺は初めて聞いたかもしれないってくらい長い溜息。
「そうだよ、昨日から奥の部屋で清美連れ込んでヤりまくってるよ。一回も出てきやしねぇ!」
「うっわ!やっぱりか!」
「清美相手だと安武も本当にすごいねぇ。いや、つか清美もスゲーね」
きよみ。
初めて聞く人間の名前だ。誰かはわからないが、名前の感じからして人間のメスって事はわかる。
それに、先程から皆が言う“奥”という場所にアカは居るのがなんとなくわかった。
“奥”ってどこの奥?
「今あの部屋入ったら安武怒るわよぉ。たぶん、真っ最中だから」
「え?なんでわかるんすか?宇佐美さん」
「女のカン」
「テキトー……」
金ぴかとべちゃべちゃはおしゃべりしながら宇佐美さんの隣に座る。
アカのいつもの特等席である俺の隣はスッカラカンだ。
俺が隣の開いた席を見ていると、長い溜息を終えたますたーが今度は怒り始めた。
ますたーはいそがしい。
「くっそ!あの絶倫野郎が。いくら店の奥を貸してやってるっつっても限度があんぞ!」
「でも、お金とってる以上、文句は言えねぇよなぁ」
「……部屋代上げてやろうか」
奥、奥、奥。
そう言って皆が見るのは、店の奥にある一つの扉の向こうだった。
どうやら、奥とはこの店のあの扉の奥らしい。
アカはもしかしたら、ずっとこの店の奥に居たのかもしれない。
「にゃあ」
「どうしたの?兄貴ちゃん」
鳴いた俺にうさみさんがそっと俺の顎の下を撫でてきた。
『俺、アカにまねきねこの事聞きたいから行ってきまーす』
言っても伝わるわけないとは分かっていても、俺は一応うさみさんに伝えておいた。
こういうのは気持ちの問題だ。
うさみさんにはおしごとをするときは“ほうこく”“れんらく”“そうだん”を絶対しなさいって言われているから、“ほうこく”は癖になってしまった。
「アニキちゃん?」
「にぃぃぃ」
俺はぼってと椅子から下りると、そのまま皆が見ている奥の扉に向かって歩いた。
扉はしっかりしまっている。
上の方にあるあの銀色の丸を動かさないと、この扉は開かない。
だから猫にはこの扉は開けられない。
『あけてー、あけてー』
俺は誰かに開けて欲しくて扉の下の方をガジガジ爪で音を鳴らした。
もしかしたら、ますたーに入っちゃだめって怒られるかもしれない。
その時は諦めよう。
そう、思ったけど。
「よーし行ってこーい。兄貴」
ますたーはすぐに俺の所に来て扉を開けてくれた。
入ったらダメって言われなかった。
すぐに来てくれた。
めずらしい事もあるものだ。
『ありがとー、ますたー』
「おう、あのクソ安武を引きずり降ろしてこい」
『アカを連れてくればいいのー』
「ついでにアイツのチンコ噛み切れ」
ちんこ?ってなんだろう。
俺はわからなかったけど、せっかくますたーがすぐに開けてくれたのだからと扉の向こうへ入った。
早くアカにまねきねこの事を教えてもらって、アカを連れてこなければ。
俺はお腹がすいた。
俺は扉の向こうに見つけた上へと続く短い階段を駆け上って行った。
後からがちゃんと音がして扉の締まる音が聞こえた。
帰りはアカに開けてもらおう。
そう思った。
部屋の中は薄暗いけど、俺は猫だからぜんぜん平気。
階段をのぼった先にアカの声が聞こえる。
あと知らないメスの声も。
階段の先には寝床がある。
しろの家にあるみたいな、けれどしろの家にあるのより大きな大きな寝床。
ふふ、なんだか知らない場所に来たみたいでわくわくだ。
俺は毛をふわふわさせながら階段の向こうの大きな大きな寝床まで走った。
ちょっと変な匂いと、メスのちょっとだけうるさい声を聞きながら。
俺はアカの居る寝床へと走ったのだ。




