第36話 第六章・4 鑑定士、死屍累々の戦場を視る
ワンダーの群れを追って墓地へと潜入したリュークとオルタ。
そこでは、エルマンによる残酷なまでの魔物討伐作戦が展開していた――。
次回の更新は6月24日の18:00を予定しています。
「こ、これは……いったい何が始まったのです?」
オルタが緊張した面持ちで周囲を見回した。
遺跡内の空気が震え、そこかしこから異形の音が響いてくる。咆哮、羽ばたき、這いずり――。いずれも周辺の「失われし徘徊者」が立てているものだ。
「ワンダーの大移動だ」
墓地へと続く細道を急ぎ足で歩きながら、俺は後ろにいるオルタに答えた。
「大移動?」
「ああ。……気づかないか? さっきから奇妙な匂いがすることに」
「奇妙な――匂い?」
言われてオルタが鼻をひくつかせる。
と、そこへ不意に背後から、ガサガサガサ! とけたたましい音が迫ってきた。
見れば、犬ほどの大きさのクモの群れ――おそらく巨大グモの子供だろう――が、無数の脚で床を擦り、こちらへ向かってくる。
「リューク、またクモが!」
「心配ない。やつらは俺達には目もくれないさ」
俺は事も無げに答えた。事実、こちらに追いついたクモの群れは、そのまま俺達二人の横を素通りし、先へ向かってガサガサと突っ走っていく。
……クモだけじゃない。おそらく今、この周辺に潜むすべてのワンダーが、次々と移動を開始しているはずだ。通路を突き進み、あるいは水路を辿り、あるいは壁を抜け――。連中が目指すは、ただ一点。
俺とオルタが向かっている先。そして、エルマンが待ち受ける場所。
――そう、墓地だ。
目的地が近い。ざわめきが一気に増す。その時オルタが、ハッとして叫んだ。
「この匂い……。焼き立てのパン!」
「正解だ。このパンの匂いこそ、ワンダーの大移動の真相ってわけさ」
俺はニヤリと笑う。墓地が近くなるにつれ、辺りに香ばしいパンの匂いが強く漂いだす。
ああ、こいつは間違いない。パンの兄ちゃん――いや、《災厄を駆るドーリス》の杖が持つ力だ。
「ドーリスの杖の本質は、《焼き立てのパン》。その匂いでワンダーをおびき寄せる効果を持つ。……ドーリスのやつ、鑑定用の新しい杖とは別に、パンの杖も遺跡に持ち込んでいたみたいだな。で、そいつを使った結果が、これだ」
……一応補足しておくと、パンの匂いだけで、これほどの数のワンダーがいっせいに動くとは考えにくい。おそらく杖の他に、エンカウント率アップの魔法が併用されているはずだ。
通路の先に目を凝らす。俺達を追い越していった子グモの群れが、墓地へと続く横穴に殺到していくのが見える。
いや、クモだけじゃない。通路の反対側からは、屈強なオーガの集団がノシノシと現れ、やはり横穴に押し寄せる。連中の頭上を舞うのは、背に翼を生やした小悪魔の群れ。さらに足元には無数の毒虫が這いずる。
横穴の先から轟いてくる咆哮は、邪神の眷属、フォリスだろう。まさにワンダーの大集団が、墓地に殺到中ってわけだ。
「リューク、どうします?」
オルタが恐る恐る訊ねた。もっとも、ここで怖気づいたところで、俺達のやるべきことは変わらない。
「決まっているさ。墓地に入る――。ただし、中にいるエルマンには気づかれないようにな」
……墓地は一面、夜空に覆われていた。ロストサークルという異空間の為せる業だ。
そんな夜の墓地に、ワンダー達に紛れて侵入することは、やつらが俺達を無視している以上、そう難しくなかった。
オーガの背中を盾にして、横穴から墓地へと踏み込む。石造りの通路の床が途切れ、土と草に覆われた地面が目に留まるや、俺とオルタは素早くワンダーの流れから離れ、手近な墓石の陰に身を隠した。
「オルタ、絶対にエルマンの方を見るなよ? 今からやつは、無差別に邪眼を使うはずだ」
俺の言葉にオルタがコクンと頷く。
直後、頭上にけたたましい咆哮が轟いた。フォリスだ。
夜を模した空に漆黒の翼を翻し、向かうは墓地の中央――。だが突如、そんなフォリスどもが悲鳴を上げ、バタバタと地に落ちた。
墓石を薙ぎ倒し、その巨体を次々と墜落させる。俺は懐からダガーを取り出し、墓石の陰から先端だけを覗かせ、辺りの状況を確かめた。
……墓地の中央にはドーリスが立つ。杖を掲げ、青ざめた顔で。ワンダーが目指しているのはあいつだ。
さらにその周囲を、ドーリスを守るようにして、六人の冒険者が固める。いずれもエルマンを選び、ついていった連中だ。大量にワンダーをおびき寄せる以上、多人数での迎撃は必須だろう。
しかし――当のエルマンは、彼らのそばにはいなかった。
やつは少し離れた安全な位置に立ち、その《邪眼》のアニムを持つ眼帯を、四方八方に向けている。その邪悪な力を受けて、墓地に入ってきたワンダーどもが、次々と絶命し倒れていく。
「なるほど、ドーリス達は完全に囮か」
俺は低く呟いた。
――作戦としては悪くない。自分を信じてついてきた仲間を、簡単に捨て駒にできるなら、だがな。
ああ、少なくともエルマンには、ドーリス達の安全を守る意志はまったくない。やつの感情を読みさえすれば、そいつは明らかだ。
俺は、アルゴスの先端をエルマンの顔に向けないよう注意しながら、周囲を見渡す。地に臥したワンダーの死骸がいくつも転がり、瘴気にも似たどす黒い死臭を漂わせ始めている。しかし、まだ本命の二人は来ていないようだ。
――グロウとハル。果たしてどちらか一方でも、この作戦に誘われて出てくるだろうか。
可能性は五分五分だ。邪神に心を支配されているとはいえ、知性を留めているであろう二人が、パンの匂い如きに誘われてくるとも思えない。だが、エンカウントアップの効果がそこにどう作用するかは未知数。加えて、向こうがこの露骨な釣り餌に敢えて食いつくのであれば、あるいは――。
「おいドーリス、数が少ないぞ! もっと本気で呼び寄せろ!」
エルマンが怒りを帯びた声で叫んだ。本命が来ないことに苛立ちを覚えたか。少なくとも俺の見た限りでは、墓地にはもう充分なほどのワンダーが散乱している。
フォリスだけじゃない。オーガも、巨大グモも、その他の雑多な小物も――どれもが無残に命を失って転がるのみ。生きながらえているのはゾンビのようなアンデッドだけだが、そちらはドーリスを囲む冒険者が懸命に処理しているようだ。
……いや、アンデッドだけじゃない。辛くも邪眼を逃れた一体のフォリスが、ついにドーリス達の頭上に到達した。
咆哮が響いた。邪神の眷属たる黒き飛竜が狙いを定め、ドーリスへ急襲を図る。
「うおぉっ!」
悲鳴に近い掛け声で、メンバーの一人がそれを防いだ。盾を持つパラディンだ。
聖なる力によって攻撃を弾かれたフォリスは、再び宙に舞い上がり、二度目の襲撃を試みる。しかし、やはりエルマンの助けは来ない。
「え、エルマン様! 襲われています! どうかお力を!」
「ふん、私の邪眼に全員で射貫かれたいか、愚か者! フォリス程度のザコは自分達で始末しろ!」
無情に吐き捨て、エルマンは本命の「邪神」を捜して、周囲に視線を巡らせるばかりだ。
ドーリスを狙ったフォリスは、その後冒険者四人がかりの集中攻撃に遭い、ようやく力尽きた。しかし迎撃した側も、ダメージは少なくない。すでに満身創痍に近いやつもいる。
そこへ新たにワンダーが襲いかかる。やはり邪眼を逃れたオーガが一体、手にした巨大な棍棒を、パラディンの脳天に振り下ろした。
激しい打撃音とともに、パラディンの体勢が崩れる。……もっとも、レベルとHPという概念に守られた冒険者であることに加えて、耐久性には信頼のある盾職だ。今の一撃で力尽きることはなかっただろうが――それでも完璧なガードができないほどには、疲労が溜まっているらしい。
「ドーリス、これ以上敵を呼ぶな! 俺達が全滅するぞ!」
オーガを斬り伏せた別の剣士が、ドーリスに怒りを向けた。だがドーリスは従わない。いや、従えない。
「わ、分かってるさ! けど、けど――エルマン様、お願いです! 一度止めさせて――」
「ならん! 呼び続けろ!」
ドーリスの懇願は、エルマンには聞き入れられなかった。
もちろんドーリスには、やつに逆らう度胸なんてない。逆らえば間違いなく邪眼を受ける。エルマンは躊躇しないはずだ。
「リューク、どうします? このままでは、あの方達の命が危ないですよ」
横からオルタが小声で囁いてきた。確かに、ドーリス達のピンチだってのは同感だ。
半分自業自得とは言え――命を落としかけている連中を見過ごすのは、性分じゃない。やはりここは助けてやるべきだろう。
俺は仕方なく、割って入ろうと腰を浮かしかけた。
……その時だ。
「――騒々しいですね、ずいぶんと」
そんな、聞き覚えのある少女の声が、夜の墓地に高らかに響いた。
――来たか。
俺はすぐさまアルゴスの先端を、声のした方に向けた。
相手は、メインとなる通路から入ってきたのだろう。墓地の出入り口付近に群がっていたワンダーどもが、まるで道を譲るように、左右に分かれようとする。
そんなワンダーの集団に向かって、すかさずエルマンが振り返り、邪眼の力を放った。
いくつもの断末魔が轟く。……この墓地に集ったワンダーの最後の一団が、倒された瞬間だった。
たちまち骸となり果て、その場に重なり合うワンダー達。しかし――本命となる声の主だけは、慎重に顔を伏せ、今のエルマンの攻撃を防いだようだった。
うず高く積み上がった魔物の柱を横目に、「彼女」は白いローブを揺らし、杖を手に、ゆっくりと前に進み出た。
見るからにそれと分かる白魔術師。……しかしその真の力を知る者は、ごくわずか。
――ハル。人呼んで《仮面の聖女》。
「エルマンさん――と仰いましたね、確か」
対する《魔眼の騎士王》から距離を置いて立ち止まり、ハルはニコリと微笑んだ。
「光栄です。高名なあなたの魂をいただけるなんて」
「ほざけ、邪神が!」
エルマンが吐き捨て、すかさず動いた。
まっすぐに、ハルのもとへ。
エルマンの戦略は単純だ。ただ無力な白魔術師を捕らえ、顔を持ち上げ、相手の目に己の眼帯を映す――。その時点でハルは絶命する。それだけだ。
「リュークっ」
オルタが焦った声で俺を促す。
ああ、確かに、ここで割って入るべきだろうな。
……本当にエルマンの思いどおりに事が進むなら、の話だが。
「貴様、顔を上げろっ!」
叫び迫るエルマン。その時、ハルの杖の先端を飾る宝玉が、仄かに瞬いた。
エルマンは、果たしてそれに気づいたか。……いや、頭に血が上っている以上、気がついたとしても、気にも留めなかっただろう。
やつの両腕が、ハルの細い肩を捕らえた。
そして今一度、勝ち誇った声で、やつは叫んだ。
「私の目を見ろ!」
「――はい」
ハルが、ゆっくりと顔を上げた。
しっかりと目を見開き、狂気を孕んだ笑いとともに。
そして俺は、確信した。
エルマンの敗北を。
「……なぜだ」
震える声が、エルマンの口から漏れた。
やつはすぐさまハルから離れ後退り、またも叫んだ。
ただし今度は、とてつもない恐怖と焦りを伴って。
「貴様なぜ――邪眼が効かない!」
しかしその問いに、ハルはにこやかに、こう答えただけだった。
「……邪眼? 何を仰っているのでしょう。あなたのそれは、ただの眼帯ではありませんか」
「な、何……?」
唖然と呟くエルマン。ハルはなおも笑う。
「今宵この墓地で、私達が真の顔を探り合うことに、何の意味がありましょう。それは無粋というもの――。今はただ、被った仮面を、そのまま演じようではありませんか」
「だ、黙れ……」
「エルマンさん、もう一度申し上げます。あなたのそれは――ただの眼帯です」
「黙れ、黙れ黙れ黙れっ!」
エルマンがズラリと剣を抜いた。だがその切っ先は震えている。
ハルが微笑む。エルマンが後退り、もう一度聖女を睨む。
邪眼は――効くはずもない。
「エルマンさん、そのような物騒なものをお出しになられては困ります。私は、戦闘は苦手なんですよ? ……私は」
そう言って、ハルが小さく横に動いた。
同時に――墓地を震わせるほどの巨大な遠吠えが、激しく響いた。
まるで、今宵が満月だと錯覚させるかのような、狂った狼の遠吠えが。
ハルの背後から、もう一人の「邪神」が現れる。
巨大な斧を掲げた、屈強な人狼――。《狂月の狼》グロウ。
……もちろん、エルマンの邪眼は、働かない。
やつの口から悲鳴が溢れた。
そんな憐れな騎士王に向かって、白き聖女は狂獣とともに並び立ち、笑顔で囁いた。
「――仮面舞踏会へようこそ。さあ始めましょう。殺戮の宴を」
ついに現れた最後の「邪神」、ハルとグロウ。
エルマンすらも容易に退けた二人に、リュークが挑む!
お読みいただきありがとうございました。
次回の更新は6月24日の18:00を予定しています。




