第4話「女王の秘密」
夕日を受けて金色に染まる草原を、あなたは女王と並んで歩いていた。
振り返ると、ねむぱんたちが住む街の屋根が茜色の空の下に並んでいた。
街から少しずつ離れるにつれて、人々の生活する音も聞こえなくなり……
代わりに響くのは、草を揺らす風の音と二人の足音だけだった。
女王は、あなたの手をしっかりと握っていた。
「……ねえ、まだ着かないの?」
「もう少しですわ」
女王は振り返り、明るく答えた。
「私だけが知っている、とっておきの場所ですの。きっと、あなたも気に入りますわ!」
やがて草原は終わり、細い林道へ入った。
木々の隙間から差し込む夕日が、地面に長い影を落としている。
女王の小さな王冠も、歩くたびにきらきらと光を反射していた。
「ところで——」
女王が、ふいに口を開いた。
「あなたは、どこから来ましたの?」
「どこから……?」
思いがけない質問だった。
あなたは足を止め、来た道を振り返った。
木々の向こうには草原が広がっている。
けれど、その先に見えるのは、株クラRPGの街だけだった。
会社も、見慣れた駅も、昨夜までいたはずの部屋も、ここにはない。
「うまく説明できないけど……ここではない、遠い場所かな」
「まあ!」
女王は振り返ると、大きな栗色の瞳を輝かせた。
「では、あなたも留学生なのかしら?」
「うーん、留学生……ではないかな」
少なくとも自分の意思でここへ来たわけではないし、そもそも、どうやって来たのかさえわからない。
——もしかしたら夢の中なのかもしれない。
けれど、女王とつないでいる手の温かさだけは、どうしても夢だとは思えなかった。
「女王は?」
「はい?」
「女王は、最初からこの世界にいたの?」
「いいえ。私も遠い国から来たんですのよ」
女王は再び前を向き、得意そうに胸を張った。
「私の故郷は、ヨーロッパのフィナンツェ王国と申しますの。
海と山に囲まれた、とても美しい国ですわ」
「女王って、もしかして本当に女王なの?」
「当たり前でしょう?」
女王は足を止めると、キッとあなたを見上げた。
「ひょっとして、ただのあだ名だと思っていましたの?」
「うん、ちょっとね」
「まあ、失礼ですこと!」
頬をぷくりと膨らませる女王がおかしくて、あなたは思わず笑ってしまった。
「どうして笑いますの!」
「ごめん。本物の女王様に会うなんて初めてだから」
「でしたら、もっと敬っていただいてもよろしくてよ?」
そう言いながらも、女王自身もおかしそうに笑っている。
つられてあなたも、また笑った。
木々の間に、二人の笑い声が響く。
こんなふうに誰かと他愛のない話をしながら歩くのは、いつ以来だろう。
少なくとも昨日までのあなたは、会社と部屋を往復するだけの毎日を過ごしていた。
誰かに笑いかけることはあっても、それは相手に合わせて作った笑顔だった。
でも、今は違う。
笑おうと思ったわけでもないのに、自然と笑みがこぼれていた。
「……それで、女王は何を勉強するために来たの?」
「エレノアと呼んでくださってもよろしいのよ」
エレノア・ド・フィナンシア。
先ほどのタイピングバトルの時に、彼女は確かにそう名乗った。
「エレノア……さま?」
「もう、エレノアでいいですわ!」
「それじゃ、エレノア。どうしてこの世界に?」
「私、お金の勉強をするためにまいりましたの」
エレノアは誇らしげに答えた。
「国のみんなが、いつまでも豊かに暮らせるように。
投資や経済について学ぶため、株クラRPGの世界へ留学しておりますのよ」
「すごいね」
「うふふ、そうでしょう!」
彼女は嬉しそうに何度もうなずいた。
「難しいことは、まだよくわかりませんけれど……」
「わからないんだ」
「そ、それを今、勉強しているところですわ!」
言い切ると、エレノアは恥ずかしそうに頬を赤らめた。
けれど、国のことを話す女王は本当に嬉しそうだった。
きっと、祖国を大切に思っているのだろう。
「フィナンツェには、いつ帰るの?」
何気ない質問に、エレノアの歩みが止まった。
つないでいた手に、かすかに力がこもる。
「エレノア?」
「……そうですわね」
先ほどまでとは違う、頼りなげな声だった。
木々の向こうへ沈みかけた夕日が、彼女の長い髪を金色に縁取っている。
「お勉強が終わったら、帰らなければなりませんわ」
「……もしかして、帰りたくないの?」
エレノアはすぐには答えなかった。
再び歩き始めたものの、その足取りは先ほどより遅くなっていた。
「帰りたくないわけではありませんの」
「じゃあ、どうして?」
「フィナンツェは、私の大切な国ですわ。国のみんなも、私の帰りを待っていますもの」
そう言って、彼女は笑った。
けれどその笑顔は、どこか諦めを秘めているようにも見えた。
「ただ……故郷へ帰ったら、お見合いをしなければなりませんの」
「お見合い?」
「ええ」
エレノアは足元に視線を落とした。
「女王たるもの、いつまでも独り身ではいられないそうですわ」
「そっか……。相手は、もう決まっているの?」
「何人か候補がいると聞いていますわ」
「その中から、エレノアが選ぶんだね?」
彼女は答えなかった。
梢を揺らした風が、二人の間を通り過ぎていく。
やがてエレノアは、小さく首を横に振った。
「国にとって、もっともよい方を選ぶのですわ」
「エレノアにとって、じゃなくて?」
「女王とは、国のためにあるものですもの」
その答えには、驚くほど迷いがなかった。
「決められた方と結婚して、次代の王となる子を残す。
それが、私が生まれたときから決まっている、大切な役目なのですわ」
エレノアは何でもないことのように言った。
けれど——、
あなたの手を握る小さな指には、痛いほど力が込められていた。
「エレノアの気持ちは?」
そう尋ねると、女王は目を伏せた。
「私の気持ちなんて、関係ありませんの」
うつろな声だった。
まるで何度もそう言い聞かされてきた言葉を、そのまま繰り返しているように。
「エレノアは……本当にそれでいいの?」
女王は答えなかった。
夕日はすでに木々の向こうへ沈み始めている。
空には少しずつ夜の藍色が混ざり始め、林道を覆う影も濃くなっていた。
二人は手をつないだまま、ゆっくりと歩き続けた。
「お金を勉強するために留学したというのは、本当ですわ」
しばらくして、エレノアはぽつりと言った。
「うん」
「もっと立派な女王になって、国のみんなを幸せにしたいと思っていますの。それも、嘘ではありませんわ」
「うん」
あなたは、それ以上何も尋ねなかった。
「でも……」
女王の足が、再び止まった。
少し先には林の出口が見えている。
その向こうには、夕映えに染まった空がどこまでも広がっていた。
女王はあなたの手を離すと、胸の前で両手を握った。
「お見合いのお話を聞いたとき、怖くなってしまいましたの」
いつもの朗らかな笑顔は、もうなかった。
「相手がどんな方なのかも知りません。
好きになれるのかも、私を好きになってくださるのかもわかりません」
声がわずかに震えていた。
「けれど、王族なら受け入れなければならない。嫌だなんて言ってはいけない。
——みんな、そう言いますの」
女王は俯いたまま、ぎゅっと服の裾を握った。
「だから、この世界へ留学できると決まったとき、とても嬉しかったんですのよ」
「勉強できるから?」
「ええ」
女王は、かすかにうなずいた。
そして、しばらく黙ったあと、もう一度小さくうなずく。
「でも、きっと……それだけじゃなくて」
女王が顔を上げた。
夕暮れの光を宿した瞳が、涙で潤んでいた。
「私——」
一度、声が途切れた。
それでも女王は目を逸らさず、まっすぐにあなたを見つめていた。
「本当は、この世界へ逃げてきたんですの」
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました!
物語も、いよいよ終盤です。
次回、
9/12(土)20:00より
第5話・第6話(完結)を公開予定です。
四人の少女たちと「あなた」の物語が、どんな結末を迎えるのか——
最後まで見届けていただけたら嬉しいです。
……どうぞお楽しみに、ですわ!




