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第9話

初夏の陽射しが、グラウンドを白く照らしていた。


照り返しの強い土の上で、空気がわずかに揺れている。


体育の授業。


簡易コートを作ってのサッカー。


男子がコートに入り、女子はその外側で輪になるように立ち、思い思いに声を上げていた。


「阿久津くーん! いけー!」


黄色い歓声。


いつも通りの光景。


――ただ一つ、違うとすれば。


その視線の一部が、明らかな敵意を含んで、こちらへ向いていることだった。


右サイド。


飛鳥恵は、できるだけ目立たない位置に立っていた。


ボールは中央。


阿久津が余裕のある動きでキープしている。


(……来るなよ)


嫌な予感が、背中をなぞる。


その直後だった。


「ほらよ!」


ボールが飛んでくる。


速い。


強すぎる。


パスの速度じゃない。


(……狙ってるな)


判断が一瞬遅れる。


咄嗟に体をひねる。


――ドンッ!


肩に直撃。


鈍い痛みが走り、ボールは大きく弾かれた。


「わりぃわりぃ! ミスった!」


笑い声。


男子たちがクスクスと笑う。


女子の一部も、つられて小さく笑っていた。


「え、今の強くない?」


「気のせいじゃない?」


小さなざわめき。


だが、誰も止めない。


(……なるほどな)


理解する。


これは授業じゃない。


――“処理”だ。


プレーが再開される。


今度は、俺にボールが回ってきた。


トラップ。


その瞬間――


足を払われた。


「っ……!」


バランスが崩れる。


視界が傾き、そのまま地面に叩きつけられる。


砂が舞い上がる。


「ナイスカット!」


誰かが叫ぶ。


(……カットじゃねぇだろ)


起き上がろうとするが、体がうまく動かない。


女子の声が耳に入る。


「ちょっと危なくない?」


「……でも、あいつだし」


その一言が、妙に刺さる。


少し離れた場所。


沢渡結衣は、その光景を見ていた。


(……わざと、だよね)


もう誤魔化せない。


明らかに狙っている。


なのに。


足が動かない。


(私には関係ない……)


そう思うのに、視線が離れない。


さらにその外側。


校舎の影。


神城香は、無表情で試合を見ていた。


一度。


二度。


同じ光景を見て。


そして、確信する。


(……恵くんを潰す気だ)


その瞬間。


彼女の中で、何かが静かに切り替わった。


「おい、飛鳥ぁ!」


声。


顔を上げる。


その瞬間――


また足を引っかけられた。


「っ――!」


完全に体勢を崩す。


今度は受け身も取れない。


強く地面に叩きつけられる。


肺の空気が一気に抜けた。


「ははっ、ドンマイ!」


笑い声。


誰も止めない。


誰も助けない。


(……いつも通りだ)


我慢すればいい。


それで終わる。


――そう思った、その時。


「いけっ!」


誰かの声。


ボールが蹴られる。


強烈なシュート。


一直線に――


(……頭、か)


避けられない。


体が動かない。


終わった。


そう思った瞬間。


ボールは、わずかに軌道を逸れた。


俺の頭上をかすめて――後方へ抜ける。


「……え?」


一瞬の静寂。


そして。


「――ぎゃああああああああああああああああああああああっ!!!」


絶叫。


全員の視線が一斉にそちらへ向く。


地面に崩れ落ち、両手で股間を押さえて悶絶している男子。


さっき、俺を転ばせたやつだった。


顔は、真っ青を通り越して白い。


「お、おい……大丈夫か?」


「今の……やばくね……?」


女子の悲鳴が混ざる。


空気が、一気に凍る。


その中心で。


飛鳥恵は、まだ地面に倒れていた。


(……助かった、のか?)


実感が湧かない。


ただ、妙に静かだった。


――いや、違う。


“止まっている”。


コツ、コツ、と足音が響く。


ゆっくりと、確実に近づいてくる。


視界の端に白いスニーカーが入る。


顔を上げる。


そこにいたのは――神城香だった。


「……ねぇ」


静かな声。


だが、温度がない。


「今、何したの?」


誰も答えない。


答えられない。


阿久津ですら、言葉を失っている。


香は一歩前に出ると、俺の横にしゃがみ込んだ。


そっと腕に触れる。


「……痛い?」


「……大丈夫だ」


そう答えると。


彼女はゆっくりと立ち上がった。


そして振り返る。


阿久津たちの方へ。


「ねぇ」


微笑む。


だが、その目は一切笑っていない。


「恵くんに触れていいのは、私だけなんだけど?」


ざわり、と空気が揺れる。


女子たちも息を呑む。


完全にラインを越えた発言。


それでも。


誰も止められない。


その圧に。


「……調子乗んなよ」


阿久津が言う。


だが、声に力はなかった。


香は首をかしげる。


「乗ってるのは、そっちでしょ?」


一歩、距離を詰める。


「勘違いしてるみたいだから、教えてあげる」


さらに一歩。


逃げ場を消すように。


「恵くんは、あんたたちが踏んでいい人間じゃない」


空気が張り詰める。


誰も動けない。


「……もういい」


その時。


飛鳥恵は、はっきりと声を出していた。


自分でも驚くほどに。


香の腕を掴む。


「やめろ」


一瞬。


香の動きが止まる。


ゆっくりと振り返る。


「……恵くん?」


「それ以上は、やりすぎだ」


震えている。


それでも、目は逸らさない。


数秒の沈黙。


そして。


「……そっか」


香は小さく笑った。


さっきまでの冷気が、嘘のように消える。


「じゃあ、今日はここまでにしてあげる」


完全に“上から”の言い方。


そのまま、俺の手を取る。


ぎゅっと。


強く。


「……帰ろ、恵くん」


いつもの声。


だが、握る力だけが、わずかに強かった。


周囲の視線が変わっていた。


敵意だけではない。


戸惑い。


恐れ。


そして――認識。


視界の端。


沢渡結衣が立っている。


何も言えずに。


ただ、見ているだけ。


(……私)


助けられなかった。


動けなかった。


選ばれなかった。


すべてを理解してしまった顔だった。


その日。


グラウンドで、何かが確実に変わった。


そして――


飛鳥恵自身も、ほんの少しだけ変わり始めていた。

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>「それ以上は、やりすぎだ」 いや足りないだろう
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