第7話
帰ろうとした、その時だった。
校舎の奥――視聴覚室の前で、ふと足が止まる。
中から、声が聞こえた。
「お前さ、飛鳥の幼馴染なんだって?」
(……は?)
聞き覚えのある声。
阿久津だ。
もう一人は――
「……違うって言ってるでしょ」
沢渡結衣。
思わず足を止め、ドアの隙間から中を覗く。
二人が向かい合っていた。
「とぼけんなよ」
阿久津がスマホを掲げる。
「これ、何?」
再生される音声。
俺と結衣の、さっきの会話。
(……録音してたのか)
「……最低」
結衣の顔が青ざめる。
「まあいいよ」
阿久津は笑った。
粘つくような、嫌な笑い方だった。
「これバラされたくなかったらさ」
一歩、距離を詰める。
逃げ場を削るように。
「神城、連れてこいよ」
空気が凍る。
「……は?」
「分かるだろ」
低い声。
「俺が欲しいのは、あいつだ」
結衣の肩が震える。
「無理に決まってるでしょ」
「できるよな?」
さらに詰める。
完全に逃げ場を塞ぐ。
「お前なら」
沈黙。
結衣は何も言えない。
分かっている。
これは、断れない。
(……クソ)
関わるな。
そう言われたばかりだ。
でも。
気づいた時には、足が動いていた。
「やめろ」
ドアを開ける。
空気が、一瞬で張り詰める。
「……あ?」
阿久津が振り向く。
「飛鳥ぁ?」
露骨な苛立ち。
「なんでお前がいんだよ」
「……関係ないだろ」
自分でも驚くほど、声が出ていた。
体は震えている。
怖い。
それでも、止まらない。
「それ、やめろ」
結衣の前に立つ。
「こいつ使うな」
「は?」
阿久津が笑う。
「ヒーロー気取りか?」
「……違う」
即答。
「ただ、気に入らねえだけだ」
沈黙。
一瞬だけ、空気が変わる。
「……はっ」
阿久津が鼻で笑った。
「ゴミが何言ってんだよ」
次の瞬間。
腹に衝撃が走る。
「がっ……!」
蹴られる。
息が止まる。
膝が崩れる。
「お前が口出すことじゃねえんだよ」
さらに拳が飛ぶ。
視界が揺れる。
(……やっぱ無理か)
勝てるわけがない。
分かっていた。
それでも。
「……それでも」
絞り出す。
「嫌だ」
阿久津の動きが止まる。
「……は?」
「それだけだ」
震えている。
でも、目は逸らさない。
「……チッ」
舌打ち。
次の瞬間――
「そこで、何してるの?」
静かな声が、空気を切り裂いた。
振り返る。
入口に立っていたのは――神城香。
教室とは違う。
完全に感情を削ぎ落とした、“氷姫”。
阿久津が一歩引く。
「……チッ」
舌打ちをして、距離を取る。
「今日はここまでだ」
そう言い残し、部屋を出ていく。
空気が一気に緩む。
その場に崩れ落ちる。
呼吸が整わない。
「……恵」
結衣の声が震えている。
「大丈夫?」
近づいてくる。
手が伸びる。
――その時。
「……触らないで」
低い声。
神城だった。
結衣の手が止まる。
「え……?」
「そのままでいい」
静かに歩み寄る。
そして、俺の前にしゃがみ込む。
「恵くん」
その声は柔らかい。
だが、その奥に――明確な怒りがあった。
「立てる?」
「ああ……」
なんとか頷く。
手を伸ばす。
香が、それを強く握る。
逃がさないように。
「……帰ろう」
そのまま、支えるように立ち上がらせる。
距離が、近いまま離れない。
後ろでは、結衣が立ち尽くしていた。
何も言えず、ただ見ているだけ。
(……なんで)
その目が、そう問いかけていた。
だが。
答えはもう出ている。
選ばれたのは――
自分じゃない。




