第23話
昼休み。
教室はいつも通り騒がしい。
笑い声。
雑談。
机を囲むグループ。
その中で――
俺の周りだけが、不自然に静かだった。
(……戻ったな)
誰も話しかけてこない。
視線も、最低限。
完全な“空気”。
昨日までのざわつきが、嘘みたいに消えている。
(……これでいい)
そう思う。
思うのに。
ペンを持つ手が、少しだけ重い。
視線が、勝手に前へ向く。
神城香。
教室の中心。
いつも通りの“氷姫”。
誰かと話している。
笑ってはいない。
でも、完璧な受け答え。
隙がない。
――そして。
一度も、こっちを見ない。
(……徹底してるな)
距離を取る。
そう言った通り。
完璧に実行している。
それなのに。
(……なんでこんなに気になるんだよ)
自分でも分からない。
視線を逸らす。
考えるのをやめる。
その時だった。
「……ねぇ」
小さな声。
すぐ近く。
顔を上げる。
沢渡結衣が、立っていた。
(……は?)
一瞬、思考が止まる。
周囲もざわつく。
当然だ。
距離を置いていたはずの二人が、また接触している。
「ちょっといい?」
声は抑えている。
でも。
どこか必死だった。
「……今?」
「今」
即答。
迷いがない。
(……面倒だな)
正直な感想。
だが――
断る理由も、思いつかない。
「……分かった」
立ち上がる。
周囲の視線が、一斉に集まる。
無視する。
教室を出る。
廊下。
人の少ない場所まで歩く。
結衣は、そこで立ち止まった。
「……で?」
先に口を開く。
長引かせる気はない。
結衣は、少しだけ俯いていた。
「……あのさ」
声が、弱い。
今までと違う。
「最近……その」
言葉が続かない。
(……なんだよ)
苛立ちと、違和感。
両方が混ざる。
「用があるなら言えよ」
少し強く言う。
すると。
結衣は、顔を上げた。
「……あんたさ」
目が揺れている。
でも。
逃げていない。
「大丈夫なの?」
「……何が」
「神城さん」
その名前で、空気が変わる。
「……何が言いたいんだよ」
警戒が強くなる。
結衣は、一瞬だけ言葉を飲み込んで。
それでも、続けた。
「……あの子、普通じゃないよ」
はっきりと。
断定。
「……は?」
思わず、聞き返す。
「見てて分かるでしょ」
一歩、近づく。
「距離、おかしいし。あんたに執着しすぎ」
その言葉。
どこかで聞いた感覚。
(……執着)
頭の中で、引っかかる。
「……それをお前が言うのか」
思わず返す。
昨日までのことを思い出す。
結衣の言葉。
態度。
その全部。
結衣は、一瞬だけ言葉を詰まらせた。
「……それは」
言い返せない。
分かっている顔。
でも。
「でも、それとこれとは別でしょ!」
強く言い切る。
「私は……」
そこで、止まる。
言葉が続かない。
(……何だよ)
違和感が膨らむ。
「……とにかく」
結衣は、無理やり言葉を繋げた。
「気をつけなさいよ」
それだけ言う。
でも。
その目は。
ただの忠告じゃない。
「……なんでそんなこと言う」
自然と、口に出ていた。
結衣は、少しだけ驚いた顔をして。
すぐに、目を逸らす。
「……別に」
またそれだ。
「ただ、見てらんないだけ」
小さな声。
本音に近い。
(……は?)
理解が追いつかない。
「意味分かんねえよ」
正直に言う。
すると。
結衣は、少しだけ笑った。
自嘲するように。
「……でしょ」
その一言に。
何かが詰まっていた。
沈黙。
気まずい空気。
「……もういい」
先に切り上げる。
これ以上は、分からない。
分かりたくもない。
踵を返す。
教室へ戻ろうとした、その時。
「……ねぇ」
呼び止められる。
振り返らない。
「……まだ、間に合うから」
その言葉だけが、背中に刺さる。
足が止まりそうになる。
でも。
止まらない。
そのまま歩く。
教室に戻る。
いつも通りの空気。
いつも通りの席。
座る。
(……なんだよ、全部)
頭が整理できない。
結衣の言葉。
神城の態度。
自分の感情。
全部がバラバラだ。
ふと、前を見る。
神城が、こちらを見ていた。
初めて。
目が合う。
数秒。
ほんの数秒。
そして。
ゆっくりと、微笑む。
柔らかい。
でも――
どこか、冷たい。
(……見てたな)
確信する。
さっきの会話。
全部。
その瞬間。
背筋に、冷たいものが走った。
放課後。
帰り道。
今日は――
一人だった。
神城はいない。
誘いもない。
連絡もない。
完全な距離。
(……これでいいはずだろ)
そう思う。
思うのに。
ポケットの中で、スマホが震える。
取り出す。
画面。
神城香。
メッセージ。
『ちゃんと、話せたね』
(……は?)
血の気が引く。
さらに続く。
『偉いよ』
指が止まる。
そして、最後の一通。
『でも』
間があって。
『次は、私の番ね』
夕焼けが、やけに赤かった。
その色が。
妙に、気持ち悪く見えた。




