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第20話

翌日。


教室に入った瞬間、空気がまた変わっているのが分かった。


昨日よりも、さらに静かだ。


ざわめきはある。

だが、どこか抑え込まれている。


(……なんだよ、今度は)


理由は、考えるまでもない。


沢渡結衣のあの一言。


そして――神城香。


「飛鳥くん、おはよう」


背後からの声。


もう驚かない。


振り返ると、神城がいた。


いつも通りの距離。


いや――


(……近いな)


ほんのわずかに、だが確実に。


距離が詰まっている。


「……おはよう」


短く返す。


それだけでいい。


それ以上は、いらない。


だが。


神城は満足そうに頷いた。


「うん、ちゃんとしてるね」


(……何がだよ)


意味が分からない。


だが、突っ込む気にもならない。


そのまま席に向かおうとした瞬間――


「恵」


声。


足が止まる。


振り向く。


沢渡結衣が、立っていた。


昨日と同じ場所。


でも、違う。


逃げていない。


目を逸らしていない。


真っ直ぐに、こっちを見ている。


(……マジかよ)


教室の空気が、一瞬で張り詰める。


誰も喋らない。


誰も動かない。


「……何?」


できるだけ平静を装う。


だが、声が少しだけ硬い。


結衣は、一歩だけ近づいた。


「ちょっと話したい」


短く、それだけ。


迷いはない。


昨日とは違う。


(……やめろって)


頭の中で警鐘が鳴る。


関わるな。


そう思うのに。


足が、動かない。


「……今じゃないとダメか」


「うん」


即答。


逃げ道を潰すように。


その瞬間。


「ごめん、それ無理」


間に入ったのは、神城だった。


自然に。


当たり前のように。


二人の間に立つ。


「今から一緒に行く予定あるから」


柔らかい声。


でも、完全な拒絶。


「……少しだけでいいから」


結衣は引かない。


視線を逸らさない。


「恵に話があるの」


名前を呼ぶ。


それだけで、空気が揺れる。


神城の表情が、ほんのわずかに止まる。


だが、すぐに笑顔に戻る。


「私もいるけど?」


「二人で」


即答。


一歩も引かない。


教室が、さらに静まる。


(……やめろよ)


この空気。


完全におかしい。


だが。


結衣は止まらない。


神城も、引かない。


「……だめ」


一言。


今度は、はっきりとした拒絶だった。


空気が、変わる。


温度が、一気に下がる。


「なんで?」


結衣の声が、わずかに強くなる。


「話すくらい、いいでしょ」


「よくないよ」


即答。


迷いがない。


「恵くん、困ってるから」


「……困ってないよね」


結衣の視線が、俺に向く。


逃げられない。


答えを求められる。


(……クソ)


どっちを選んでも、終わる。


でも。


黙ってるわけにもいかない。


「……少しだけなら」


気づけば、そう言っていた。


その瞬間。


空気が凍る。


神城の手が、ぴたりと止まる。


「……恵くん?」


声が低い。


ほんのわずかに。


でも、確実に。


「すぐ終わるなら」


続ける。


引けない。


ここで逃げたら、余計におかしくなる。


数秒の沈黙。


そして。


「……そっか」


神城は、小さく笑った。


いつも通りの、柔らかい笑顔。


「じゃあ、いいよ」


あっさりと引く。


それが逆に、怖い。


「でも」


一歩だけ近づく。


俺の腕に、そっと触れる。


「終わったら、すぐ戻ってきてね」


その声は、優しい。


でも。


逃げ場がない。


「……分かった」


それしか言えなかった。


結衣は何も言わず、歩き出す。


俺も、その後を追う。


教室を出る直前。


一瞬だけ振り返る。


神城は、席に座っていた。


何事もなかったかのように。


でも。


その目だけが――


笑っていなかった。


廊下。


人の気配が少ない場所まで来て、ようやく足を止める。


沈黙。


先に口を開いたのは、結衣だった。


「……ごめん」


いきなりだった。


(……は?)


「昨日のこと」


視線を逸らさない。


逃げない。


「勝手なこと言って」


少しだけ、声が震える。


でも。


言い切る。


「でも、あれが本音」


沈黙。


何を言えばいいか分からない。


「……なんで今さら」


それが、やっと出た言葉だった。


結衣の表情が、わずかに歪む。


「……分かってる」


小さく呟く。


「遅いのも、最低なのも」


自分で言う。


全部、分かった上で。


「それでも」


顔を上げる。


「諦めたくない」


真っ直ぐな言葉。


逃げていない。


言い訳もない。


(……なんだよ、それ)


重い。


あまりにも。


「……俺は」


言いかけて、止まる。


何を言うべきか分からない。


その時。


足音。


ゆっくりと、近づいてくる。


振り返る。


そこにいたのは――神城香だった。


「終わった?」


穏やかな声。


でも。


タイミングが、できすぎている。


「……早すぎないか?」


思わず口に出る。


神城は、少しだけ首を傾げた。


「だって、気になるから」


にこりと笑う。


「大事な話なんでしょ?」


その言い方。


どこか引っかかる。


結衣の視線が、神城に向く。


今度は、逸らさない。


「……聞いてたの?」


静かに問う。


神城は、一瞬だけ考える素振りをして。


「どう思う?」


答えになっていない。


でも。


それで十分だった。


空気が、張り詰める。


結衣の表情が、強くなる。


逃げない。


もう、引かない。


「……私、諦めないから」


はっきりと言い切る。


神城は、わずかに目を細めた。


その奥に、冷たい光が宿る。


「……そっか」


短く返す。


そして。


俺の腕を、ぎゅっと掴む。


「でも、もう遅いよ」


静かな声。


でも。


完全な宣言だった。


「恵くんは、私のだから」


空気が凍る。


誰も動けない。


結衣の呼吸が、止まる。


俺も、言葉が出ない。


そのまま。


神城は俺の腕を引く。


「帰ろ」


いつもの声。


でも。


その力だけが、強い。


抵抗できない。


そのまま歩き出す。


背後に、結衣を残して。


振り返らない。


振り返れない。


ただ一つ、分かることがある。


――もう、戻れない。


関係も。


距離も。


全部が、変わってしまった。

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