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第19話

教室。


昼休みのざわめきが、どこか遠くに感じる。


笑い声。

机の音。

ページをめくる音。


全部、いつも通りのはずなのに。


(……うるさい)


沢渡結衣は、ノートを開いたまま動けずにいた。


視線が、勝手に向く。


教室の一番後ろ、窓際。


そこにいるのは――


飛鳥恵。


そして、その隣に。


神城香。


「はい、あーん」


柔らかい声。


抵抗するような、低い声。


「……自分で食えるって」


「ダメ。今日は私がやる日」


「だからそんな日ねぇって」


小さなやり取り。


でも。


教室の空気は、そこだけ違う。


近い。


近すぎる。


距離も、温度も。


(……何それ)


視線を逸らす。


逸らしたはずなのに。


また、戻ってしまう。


(見たくない)


なのに、見てしまう。


神城が、恵にパンを差し出す。


恵が、諦めたように口を開く。


それを、嬉しそうに見ている神城。


(……気持ち悪い)


胸の奥が、ざわつく。


理由は分かっている。


分かっているのに。


(なんで、あいつなのよ)


頭の中で、同じ言葉が繰り返される。


(なんで、私じゃないの)


手が止まる。


ペンが、ノートの上で震える。


(……違う)


違う。


そうじゃない。


そんなこと、思ってない。


思う資格なんてない。


(私は、あいつを――)


「キモい」


自分の声が、頭の中で再生される。


「価値が下がる」


止まらない。


(……最低)


ぎゅっと、ペンを握る。


ノートに、インクが滲む。


その時。


「ねぇ、恵くん」


神城の声。


また、視線が動く。


「今日も一緒に帰ろ?」


当たり前のように。


迷いもなく。


「……別にいいけど」


恵の返事。


短い。


でも、拒絶ではない。


それだけで――


胸の奥が、強く締め付けられた。


神城が、自然に腕を絡める。


恵は、少しだけ顔をしかめる。


でも、振りほどかない。


(……やめて)


その光景。


もう、限界だった。


椅子が、わずかに音を立てる。


気づけば、立ち上がっていた。


教室の視線が、一斉に集まる。


でも。


止まらない。


足が、勝手に動く。


一歩。


また一歩。


そして――


「……ねぇ」


声が出る。


かすれている。


でも、確かに届いた。


恵が、振り返る。


神城も、ゆっくりと視線を向ける。


教室が、静まる。


誰も喋らない。


その中で。


結衣は、言った。


「……なんで、あいつなの?」


一瞬。


時間が止まる。


恵の表情が、わずかに揺れる。


「……は?」


困惑。


当然だ。


意味が分からない。


分からなくていい。


それでも。


止まらない。


「他にもいるでしょ」


言葉が、溢れる。


「頭いいやつとか、普通のやつとか、いくらでも」


止められない。


「なんで、わざわざそいつなの?」


最後の一言だけ。


少しだけ、声が震えた。


沈黙。


教室の空気が、張り詰める。


恵は何も言えない。


言葉が、見つからない。


その隣で。


神城が、ゆっくりと首を傾げた。


「……それ」


静かな声。


「あなたに関係あるの?」


一言。


それだけ。


でも。


完全に線を引く言葉。


「……あるでしょ」


結衣は、視線を逸らさない。


震えている。


でも、逸らさない。


「同じクラスだし」


苦しい言い訳。


自分でも分かっている。


それでも。


「それに――」


言葉が詰まる。


言ってしまえば、終わる。


全部。


戻れなくなる。


でも。


もう、とっくに戻れない。


「……私」


小さく、息を吸う。


「まだ、終わってないから」


言い切る。


教室の空気が、さらに重くなる。


恵が、完全に固まる。


意味が分からない。


でも。


重さだけは伝わる。


神城は、ほんの一瞬だけ目を細めた。


その奥に、わずかな変化。


だが。


すぐに、いつもの笑みに戻る。


「……そっか」


短く返す。


それだけ。


余裕すら感じる。


そして。


恵の腕を、少しだけ強く引き寄せる。


「でも」


視線を、結衣に向ける。


「遅いよ」


静かな一言。


刃のように鋭い。


結衣の呼吸が、止まる。


何も言い返せない。


分かっている。


全部、分かっている。


「……っ」


唇を噛む。


でも。


目は逸らさない。


逸らせない。


そのまま、数秒。


誰も動かない時間が続く。


やがて。


「……帰ろ、恵くん」


神城が言う。


いつも通りの声で。


恵の手を引く。


そのまま、歩き出す。


恵は、一瞬だけ立ち止まりかけて――


何も言えずに、そのまま歩き出した。


背中が、遠ざかる。


手を伸ばせば届きそうで。


でも。


もう届かない距離。


教室に、ざわめきが戻る。


誰も、結衣に声をかけない。


ただ、遠くから見るだけ。


結衣は、その場に立ち尽くしていた。


(……言った)


取り返しのつかないことを。


でも。


(それでいい)


胸の奥は、まだ痛い。


苦しい。


でも。


少しだけ。


ほんの少しだけ――


前に進んだ気がした。


「……まだ」


小さく、呟く。


誰にも聞こえない声で。


「終わってないから」


その言葉だけが。


静かに、残った。

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