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第2話


――始業式の朝。


俺は、何事もなかったかのように教室へ向かっていた。高二の新しいクラス。新しい人間関係。


……もっとも、俺にはどちらも関係ない。


(どうせ、同じだ)


高校に入ってからの一年間、俺は、誰にも関わらず、誰からも関わられず、ただ“そこにいるだけの存在”として過ごしてきた。


入学前に振られてから――いや、正確には、あの時すべてを否定されてから。


俺は、人と関わることをやめた。


その結果が、この位置だ。



教室の一番後ろ、窓際。


そこは、俺の居場所だ。


誰の視界にも入らない、理想の座標。


一年かけて、ようやく手に入れた場所。


俺は気配を殺し、呼吸すら薄くして、世界から切り離される。


完璧だ。


これでいい。


これがいい。


――そう思った、次の瞬間だった。


飛鳥(とびしま)くん、おはよう」


鈴のような声が、教室の空気を震わせた。


時間が、止まる。


ざわめきが、一瞬で凍りつく。


クラス中の視線が、一点に集まる。


その中心に――なぜか、俺がいた。


「……え?」


理解が、追いつかない。


ゆっくりと顔を上げる。


目の前に立っていたのは――


神城香。


この学校で、その名を知らない者はいない。


学年トップの成績。

容姿端麗。

そして、誰に対しても一定の距離を保ち、滅多に笑わないことから付けられた通称――


「氷姫様」


一年の頃、同じクラスになったことはない。


それでも知っている。


嫌でも耳に入る存在だからだ。


そんな彼女が――


なぜか、まっすぐに俺を見ていた。


「……あ、お、おはよう……神城さん」


掠れた声が出る。


情けないくらい、小さい。


だが、それ以上に理解できないのは――


なぜ、彼女が俺に話しかけているのか、ということだ。


教室が、ざわつく。


当然だ。


俺と彼女は、交わるはずのない線上にいる。


住む世界が違う。


関わる理由が、存在しない。


それなのに。


神城は、ほんのわずかに目を細めて――


満足そうに、微笑んだ。


――その笑みが、決定的だった。


(……なんだよ、それ)


その瞬間。


「……チッ」


小さく、舌打ちが聞こえた。


教室の中央。


サッカー部の特待生――阿久津昂冴(あくつこうざ)が、机を指先で苛立たしげに叩いている。


端正な顔が、露骨に歪んでいた。


視線の先は――俺。


(……は?)


その目に浮かんでいるのは、明らかな敵意。


いや、それ以上の――“理解できないものを見る嫌悪”。


「……なんで、あいつだよ」


誰に聞かせるでもない呟き。


だが、教室の空気には十分すぎるほど伝わった。


阿久津にとって。


神城香は、“手に入れるべき存在”だったはずだ。


それが。


自分が見下している“空気”に、笑いかけている。


その事実が。


プライドを、容赦なく踏みつけていた。

(……なんだよ、それ)


見たことがない表情。


少なくとも、“誰にでも向けるもの”じゃない。


そんな確信だけが、妙に強く胸に残る。


その瞬間。


教室の空気が、音を立てて軋んだ。


誰かの苛立ち。

誰かの困惑。

そして――


「……なによ、あれ」


聞き覚えのある声。


反射的に、意識がそちらへ向く。


だが、振り返ることはしなかった。


見なくても分かる。


結衣だ。


(……関係ない)


もう、関係ないはずだ。


高校に入る前に終わった関係だ。


一年間、一度もまともに言葉を交わしていない。


今さら、何もない。


――そう思っているのに。


なぜか、胸の奥がざわついた。


言葉にできない違和感が、残る。


「じゃあ、またあとで」


神城はそれだけ言うと、何事もなかったかのように踵を返した。


まるで、“やるべきことは終わった”と言わんばかりに。


そして、自然な動作で前の席へと戻っていく。


その背中を、クラス全員が目で追っていた。


――ただ一人を除いて。


(……意味が分からない)


残されたのは、理解不能な現実だけ。


だが――


たった一つ、確かなことがある。


俺の「空気になる」という計画は。


たった一言で、音もなく崩れ去った。


完全に、破壊された。



――その少し前。


誰もいない廊下で。


神城香は、足を止めていた。


静かに、教室の扉を見つめる。


そして――


小さく、息を吐いた。


「……やっと、見つけた」


その声は、誰にも届かない。


けれど確かに――


何かを確信した響きを、帯びていた。


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