第08章 断罪広場
——そして、あの秋の朝に戻る。
召喚状が届いたのは、早朝だった。
侍女のリナが蒼白な顔で持ってきた。
文書を受け取った瞬間、冷たい紙の感触が指先に伝わった。
開かなくても、おおよそのことは分かった。それでも開いた。
「王宮広場へ、今すぐ出頭せよ」
「出頭」という言葉が、刃のように喉に刺さった。
召喚でも呼び出しでもなく、出頭。この一語が、今日の意味を全て物語っていた。
リナが「マリベル様……」と言いかけて、言葉を切った。
泣きそうな顔をしていた。
私は首を振って、礼服に着替えた。手が小さく震えていたが、ボタンを丁寧に留めた。乱れた髪を自分で整えた。鏡の中の自分を見た。白い礼服を着た、青白い顔の私がいた。それでいい。これが私だ。最後まで、聖女としての格好で立とうと思った。
「……リナ」
「はい」
「今まで、ありがとう」
リナが息を呑んだ。
何かを言おうとして、でも声が出なかった。
私は微笑んで、扉を開けた。
広場には、すでに大勢の民が集まっていた。
広場いっぱいに広がる人の波。その先に、高い壇上が設えられていた。
壇の中央に向かう途中、民の顔が目に入った。
知っている顔が、いくつかあった。
枯れ井戸に水が戻った日に泣いていた老婆。
熱病が退いた村の、あの子供の母親。
川沿いで魚を捕っていた少年——今は少し大きくなっていた。
彼らは私の目が向くと、視線を伏せた。
助けてくれるわけでもなかった。
声を上げるわけでもなかった。
でも、伏せた目の中に、何かがある気がした。
怒りではなかった。諦めでも、蔑みでもなかった。
——見ていられない、という顔だった。
彼らは知っているのかもしれない。
私が悪魔ではないことを、心のどこかで知っているのかもしれない。
でも、声を上げることができない。王太子の言葉に逆らうことができない。
これがこの国の民である。
その人たちを責める気には、なれない。
恐ろしいのだ。誰もが、ただ恐ろしいのだ。王太子の言葉に逆らうことが怖い。間違った側に立つことが怖い。それは、弱さではなく、生きていくための知恵だ。
足が前に進んだ。壇の上に立った。
壇の中央に、レナード殿下が立っていた。その隣に——シャルネ嬢が立っていた。白い礼服を着ていた。聖女の礼服と同じ色の、清潔な白。彼女はまっすぐ前を向いていた。私の視線に気づいているはずなのに、一度もこちらを見なかった。
「マリベル・エスタヴィアは、聖女の名を騙り、この王国に近づいた悪魔である!」
心臓が、一瞬止まりそうになった。でも足は動かなかった。
「その祈りは奇跡ではなく、国土の魔力を少しずつ吸い取るための術であった。三年にわたって、この王国の力を食い荒らし、土地を痩せさせた。全ての元凶は汝にある」
違う。違う。違う。
「——違います。私は祈り続けてきました。この国の穢れを浄化するために。私の祈りが届いていなければ、今頃もっと早く——」
「この魔法は、無実の者には何の効力も持たない。しかし——悪魔であれば、聖なる光によって消滅する。これは公正な試みだ。マリベルが本当に人間であれば、何も起きない。民よ、見ていてくれ」
民がざわめいた。
「公正だ」
「ならば試せばいい」
「本当に人間なら怖くないはずだ」
違う。
この「公正さ」は嘘だ。
悪魔でなければ効かないという証明が、どこにある。
これは最初から結末が決まっている。でも——その声が、出なかった。
シャルネ嬢が一歩前に出た。
両手を天に向けて広げると、掌から白い光が溢れた。柔らかく、清らかで、美しい光だった。
民が歓声を上げた。
私は息を整えて、もう一度口を開こうとした。
次の瞬間、世界が白くなった。
足の裏から地面が消える。体の輪郭が溶ける。引っ張られるのではなく、押し出されるような、暴力的な感覚。
「悪魔の脅威は去った! これから、よりよい国になる!」
レナード殿下は、民に強く伝えた。
「——消えた!」
「本当に消えた……!」
「悪魔だったのか……」
「これで、豊かになる!」
——その中に、震えた声があった。
「でも……あんなに優しかった方が……」という声が、どこかから聞こえた。それが、最後に耳に届いた言葉だった。
神殿の石床の温もりが——指先から、消えていく。
意識が、暗転した。
意識の奥で、石床の温もりを思い出していた。あの感触を、最後にもう一度、確かめたかった。
それからほんの少しの静寂の後、レナード殿下の声が、広場に響いた。
「悪魔の脅威は去った。真の聖女、シャルネ・ヴェルトワが、これよりこの国を守護する。そして——彼女を、私の新たな婚約者として迎えることを、ここに宣言する」
「皆さま、これからよろしくお願いします」
歓声が、広場を揺らした。
でも、その歓声の中に、確かにざわめきが混じっていた。
「でも本当に悪魔だったのか」
「優しい方だったのに」
そういうという声が、歓声の隙間から漏れていた。
でも、そのざわめきは、歓声にすぐに飲み込まれた。
私は、もうそれを聞いていなかった。
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