第05章 剥がれていく居場所
春になっても、私の周りは冬のままだった。
最初に気づいたのは、令嬢たちの目だった。
廊下で会えば笑顔を向けてくれていたのに、今は視線ごと逸らされる。
宴の席で話しかけようとすると、誰かがするりと間に入って話題を変える。
挨拶をしても、返ってくるのは曖昧な微笑みだけだった。
名前を呼ばれることも、いつの間にかなくなっていた。
最初は気にしないようにした。人の心は移ろうものだ。私への熱狂が冷めただけかもしれない。そう思おうとした。
でも——令嬢たちの態度が、あまりにも揃っていた。まるで、誰かに示し合わせたように。昨日まで話しかけてきた令嬢が今日は視線を逸らす。昨日まで隣に座っていた令嬢が今日は別の席を選ぶ。それが何人も、同じ頃に、同じように。
侍女のリナが小さな声で教えてくれたのは、春の茶会の翌日だった。
「……マリベル様」
「何?」
「令嬢方が……よく集まっているんです。シャルネ様のお部屋に。何を話しているかは分からないのですが……マリベル様のお名前が聞こえることがある、と。別の侍女から聞いたのですが」
リナは不安そうに目を伏せた。私は立ち止まった。胸の中で、何かが静かにひっくり返った。
証拠はない。シャルネ嬢が何を話しているかも分からない。確かめようとすれば、私がシャルネ嬢を疑っているということになる。それは、証拠のない中では正しくないと思った。
「……ありがとう、リナ」それだけ言って、歩き出した。
陰口が聞こえたのは、図書室の外だった。
令嬢たちの声は低かったが、扉が薄かったため、断片的に届いてしまった。
「……最初から運が良かっただけよ」
「そうよ。本当に力があるなら、なぜ今は何も起きないの?」
「王太子殿下も、さぞお困りでしょうね。国の予算を食い潰すだけのお荷物を婚約者にお持ちになって」
「国の恥ですもの」
私は扉の前で足を止めたまま、動けなかった。
怒りが、なかったわけではない。違う、と言いたかった。私はちゃんと祈っている。でも——それを証明する方法が、何もない。叫んでも、証明できなければ意味がない。
その事実が、言葉を全部のみ込んでしまった。私はそっと、来た道を引き返した。誰にも気づかれないように。
夕方になって神殿を出ようとすると、廊下の角から声が聞こえた。
廷臣の男性たちだった。
「祈祷の費用だけで、今季いくらかかっているか知っているか」
「相当な額だろう。効果がないのに」
「殿下も頭が痛いだろうよ。婚約なんてしてしまったものだから、簡単には動けない」
「まあ、いずれどうにかするだろう。殿下は合理的なお方だ」
笑い声が遠ざかっていった。
私は角を曲がれなかった。壁に背を当てて、しばらく立っていた。体の力が抜けていくような感覚があった。
怒りでも悲しみでもなく、ただ、どこか遠い場所に意識が飛んでいくような感覚。
——いずれどうにかする。
殿下は合理的だ、とその廷臣は言った。合理的な殿下が、費用対効果の悪い婚約者を「どうにかする」。それがどういうことを指しているのか、私には分かった。でも、考えないようにした。
その夜、眠れなかった。
石造りの天井を見上げたまま、目を開けて横になっていた。頭の中で声がした。
「効果なし」
「国の恥」
「運が良かっただけ」
「いずれどうにかする」
昼間に耳に入った言葉たちが、暗闇の中で浮かんでは消えた。
——違う。
口の中で、言葉だけを動かした。声にならない祈りが、唇の形だけになっていた。いつからこんな癖がついたのか分からない。眠れない夜に、唇だけが動く。体が覚えてしまっていた。
——お願いです。この土地を守らせてください。ただそれだけでいい。
石床の温もりを、掌で思い出した。
それだけが、今の私の全部だった。
それで充分だと言い聞かせた。充分じゃなくても、それしかなかった。
だから、充分にするしかなかった。それだけが、私を私のままにしておいてくれた。
翌朝、夜明け前に神殿に向かった。
まだ暗い廊下を一人で歩いた。
すれ違う人もいない。
足音だけが響いた。
神殿の扉を押すと、冷えた空気が流れ出てきた。一番好きな時間だった。
誰もいない神殿で、石床と私と、祈りだけがある時間。
ここでは何も証明しなくていい。
ただ届ければいい。
私はそれだけのために、ここへ来ていた。
それだけで充分だった。それだけが、私を私のままにしておいてくれた。
祈り終えると、石床が温かかった。
ただそれだけで、また明日も来ようと思えた。
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