第20章 居場所
村に戻った朝、古老が門の前に立っていた。
何も言わなかった。
ただ、私の顔を見て、深く頷いた。
その目が赤かった。
私も、何も言わなかった。ただ、頷き返した。
それだけで、充分だった。
子供たちが駆けてきた。
「マリベル姉ちゃん、おかえり!」
「どこ行ってたの?」
「帰ってきた!」
小さな体が、私に抱きついてきた。
泥だらけの手が、私の礼服を掴んだ。
かまわなかった。
抱きしめた。温かかった。
「……ただいま」
声が、かすかに震えた。
この村に「ただいま」と言える日が来るとは思っていなかった。
どこかに帰れる場所があるということが、こんなに胸を満たすものだとは知らなかった。
その日の夜、私は礎石の前に座った。
手を当てると、温かかった。
「……届いています」独り言のように言った。
いつもそうだった。誰も聞いていなくても、ここには届いていた。これからも、消えない。
「マリベル」
背後から声がした。カイルが立っていた。
「なぜここに」
「スープを持ってきた」
差し出された椀から、湯気が立っていた。
受け取ると、温かかった。
「ありがとうございます」
「礼はいらない」
カイルは隣に腰を下ろした。
二人で、暗い大地を見た。
花畑は夜の中で揺れていた。
月明かりを受けて、白い花が淡く光っていた。
「……王都から、帰ってきたな」
「はい」
「よかった」
それだけだった。
でも、その言葉の温度が、全部だった。
「カイル様」
「ん?」
「一つ、聞いてもいいですか」
「どうぞ」
「……カイル様は、私のことを、どう思っていますか」
カイルは答えなかった。
すぐには。
少しの間、花畑を見ていた。
「『ここにいてほしい』と言った」
「言ってもらいました」
「それでは、足りないか」
「……足りない、というわけじゃないです。ただ、確かめたかったんです。あの言葉が、今も、変わっていないかどうか」
カイルが、こちらを向いた。
まっすぐな目だった。
「変わっていない」
「……はい」
「むしろ」
カイルは続けた。少し間を置いてから。
「王都に向かう前の夜、もし帰ってこなかったらと、考えた」
私は顔を上げた。
「……考えてくれたのですね」
「考えた。たくさん」
カイルの声が、わずかに低くなった。
「その時、初めて分かった。俺がこの土地を守りたかったのは、民のためだけじゃなかった。マリベルがいる場所だから、守りたかった」
「……カイル様」
「言葉が少なくて、上手く伝えられないが」
カイルは、私の手を取った。大きくて、固い、温かい手だった。
「俺は、マリベルのことが、好きだ」
夜の空気に、その言葉が広がった。
花畑が、風に揺れた。白い花が、月光の中で波打った。
私は、カイルの手を握り返した。
「……わ……も」
「ん?」
「私も……カイル様が、好きですよ」
言ってから、耳まで熱くなった。
夜だったが、顔が赤くなっているのが自分でも分かった。
「そうか」
カイルはそれだけ言った。
でも、指の力が、わずかに強くなった。
「顔が赤いな」
「見ないでください」
「星明かりで綺麗に見える」
「……カイル様」
「なんだ」
「意地悪ですよ」
カイルが、目の端に皺を寄せた。
私が一番好きな笑顔だった。
「意地悪ではない。事実を言っているだけだ」
「事実でも、言わなくていいことがあります」
「覚えておく」
「本当に?」
「……難しいかもしれないな」
「もう……」
私は、そっと、カイルの肩に頭を預けた。
少し躊躇った。
でも、したかった。
だからした。カイルの肩は、思ったより広くて、温かかった。
外套の生地が、頬に当たった。土と空気の匂いがした。
この村の匂いだった。
カイルは何も言わなかった。動かなかった。
ただ、握った手を、少しだけ、温めるように包んだ。
花畑が、風に揺れた。
「……ここに来て、よかったです」
「ああ」
「カイル様に会えて、よかったです」
「……俺もだ」
「今まで、一番幸せです」
カイルが少し動いた気配がした。それから、低い声で言った。
「……大袈裟な」
「大袈裟じゃないです」
「これから、もっと幸せにする」
その言葉が、ゆっくりと胸の中に落ちてきた。もっと幸せにする。さらっと言った。さらっと言ったのに、全部が詰まっていた。
「……本当ですか」
「嘘はつかない」
「じゃあ、信じます」
「信じていい」
私は、もう少しだけ、肩に体重を預けた。
遠くで、村の灯りが揺れていた。
誰かの家の窓から、明かりが漏れていた。あの灯りの下で、誰かが眠っている。誰かが笑っている。
この土地を、守れてよかった。この人の傍に、いられてよかった。
カイルが、私の手を両手で包んだ。
翌朝、礎石の前で祈った。
手を当てると、温かかった。
この土地が、応えてくれていた。カイルが少し離れたところで、帳簿を開いていた。
今日の記録をつけているのだろう。そのことが、なんでもないのに、嬉しかった。
カイルが顔を上げて、こちらを見た。目が合った。それだけで、充分だった。
——ここにいる。これが、私の場所だった。
花畑の上に、月が昇っていた。白と黄と薄紫の花が、静かに揺れていた。
祈りは、消えない。届いた場所で、静かに根を張り続ける。
手が、温かかった。
肩が、温かかった。
花畑が、揺れていた。
それだけが、全部だった。
それだけで、満足だった。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました!
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