第16章 帰還
王都が見えてきたのは、午後の光が傾き始めた頃だった。
「……」
私は馬の上で、遠くに見える城壁を見つめた。
何かが、違った。
以前の城壁は白かった。朝日を受けると輝くほど、純白の石が積み上げられていた。
あの白さが、王都の誇りだと誰かが言っていた。
でも今、目の前に広がる城壁は、くすんだ灰色をしていた。白さが失われていた。染みのように、黒ずんだ斑点が各所に広がっていた。
「……くすんでいる」
「ああ」
カイルが静かに答えた。
城壁の一角に、破れた旗が垂れていた。かつては金と青の紋章を誇らしく翻していたはずの旗が、端が裂けたまま放置されていた。城壁のそばの建物から、細い煙が上がっていた。
近づくにつれて、王都の異変がはっきりしてきた。
門前に立つ衛兵の鎧は、手入れが行き届いていなかった。
かつては磨かれた金属が光を弾いていたのに、今は錆の染みが浮いていた。目の下に深い隈を持った衛兵が、私とカイルを見た。
「……」
衛兵は私の顔を見て、何かに引っかかったような表情をした。
しかし疲弊が勝っていた。
違和感を確かめる余力が、もうないのだろう。
「……通れ」
ぼんやりとした声で言った。
城門の中に入ると、すぐに空気の違いを感じた。
王都内部の空気が、重かった。
淀んでいた。
穢れが積もった空気の重さを、私は体全体で知っていた。
三年間、その中で祈り続けてきたから。でも今のこの重さは、あの頃の比ではなかった。
市場に入ると、かつての賑わいが信じられないほど、ひっそりとしていた。
店の半分以上が閉まっていた。
開いている店に並ぶ食材は、質が落ちていた。
野菜は小さく、色が悪かった。魚は鮮度が怪しかった。
人々は値段を確かめながら、ほとんど言葉を交わさなかった。
市場を抜けながら、私はいくつもの顔を見た。
売り手の老人が、干からびた野菜を並べながら、誰かに謝るような表情をしていた。買い手の女性が、値段を見て、ため息をついた。
子供が隣で「お腹すいた」と言った。
母親が「もう少しで帰るから」と返す。その声が、震えていた。
「……あの井戸」
私は立ち止まった。
以前は清水が豊かに湧いていた北側の井戸。
水が濁っていた。灰色がかった水を、女性が桶に汲んでいた。
その傍で、子供が咳き込んでいた。母親が不安そうに子供の背中をさすった。
こんなに早く——こんなに早く、悪化していたのか。
「マリベル」
カイルが静かに声をかけた。
「今は神殿へ」
「……はい」
歩き出した瞬間、誰かの視線を感じた。老婆だった。市場の端で、私の顔を見つめていた。
老婆の目が、見開かれた。
「……マリベル様?」
その声が、小さく広場に響いた。
周囲の人々が、一人また一人と振り返った。
最初は疑いの目だった。でも徐々に、確信に変わっていった。
「本当に……マリベル様だ」
「生きていらっしゃった!」
「帰ってきてくださった!」
誰かが、その場に跪いた。
それを見て、また別の人が跪いた。波のように広がっていった。泣いている人がいた。手を合わせて祈る仕草をしている人がいた。
それぞれが、それぞれの反応をした。
跪く人がいた。
手を合わせる人がいた。
泣く人がいた。
じっと見つめる人がいた。
あの日、広場で信じてしまった人々も、今は別の何かを感じているようだった。それが何なのかは、分からない。でも、その目は穏やかだった。
「……行こう」
カイルが私の傍に並んだ。
神殿前に来ると、建物の状態に息を呑んだ。
石造りの壁に、黒ずんだ亀裂が走っていた。かつて清めの水が流れていた石の水路は干上がっていた。扉の金具が錆びていた。
扉が開いた。
シャルネが立っていた。
彼女は私を見た瞬間、言葉を失った。
唇が動いたが、声が出なかった。
「……生きて、いらっしゃったんですか」
「はい」
「本当に……」
神殿の奥から、殿下が出てきた。
レナード殿下だった。以前と同じ黒髪、同じ顔つき。
でも、その右手が外套の中に引っ込んでいた。目の下に影があった。
殿下は私を見た。
私は殿下を見た。
言葉は、なかった。ただ視線だけが、重く絡み合った。
殿下の目に、怒りでも安堵でもない、もっと複雑な何かがあった。
私は視線を外した。
「神殿の中を、見せてください」それだけ言って、中に入った。
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