第11章 神隠しという魔法
ヴェルムント領に来て、数日経った。
私は毎朝、夜明け前に起きた。
カイルの屋敷の裏手に、かつて神殿があったらしい場所がある。今は礎石だけが残っていて、建物は何もない。でも土が違う。他の場所より少しだけ、密度が濃い感じがする。私は毎朝そこへ向かって、礎石の上に手を当てて、目を閉じる。
胸の奥から、じわりと広がる感覚がある。
届いている。
ここでは、いつも、確かに届いている。
この国の穢れを、少しでも薄めたい。ここに来てからも、その気持ちは変わらなかった。王都で祈っていた頃も、今も、理由は同じだ。人々の暮らしを、この土地を、守りたい。それだけが、私を動かしてきた。
草花が増えるたびに、その気持ちが確かなものになっていく。
「また、範囲が広がった」
昼前、巡回から戻ったカイルが帳簿を持って座った。
几帳面な文字で、草の生育範囲が地図に書き込まれていた。最初の日に比べると、その範囲は倍以上になっていた。
しばらく帳簿を眺めていたカイルが、静かに口を開いた。
「一つ、聞いていいか」
「はい」
「マリベルは……聖女とかなのか?」
私は顔を上げた。カイルはまっすぐ私を見ていた。責めているのでも、試しているのでもない。ただ、確かめたいという目だった。
「……はい。聖女です」
カイルは表情を変えなかった。ただ、小さく頷いた。
「そうか」
「驚かないんですか」
「薄々、そうだと思っていた。こんな力を見たらな……」
カイルは帳簿を閉じた。それから、また口を開いた。
「これほどの力を持つ聖女……どこかで聞いたことのある名前……マリベル……」
「……」
「聖女マリベル」
カイルがゆっくりと言った。
「レナード殿下の——婚約者様!!」
私は、息を呑んだ。
「……ご存じでしたか」
「噂では聞いていた。国中が沸いた、奇跡の聖女の話を」
カイルは立ち上がり、窓の外を見た。荒れた大地に、草が揺れていた。
「……非礼を詫びさせてください」
カイルが振り返り、膝をついた。
「空から落ちてきた日から、俺はマリベル……マリベル様に随分と無礼に接してしまいました……」
「いいえ、助けていただいて——」
カイルは真剣な顔で言った。
「あなたの正体を存じなかったとはいえ、レナード殿下の婚約者様をこんなように扱ってしまっては……申し訳ございません」
その言葉に、じんと胸が痛んだ。謝られることに、慣れていなかった。王都では誰も謝らなかった。非は常に私の方にあって、私が耐えるのが当然だった。
「……ありがとうございます」
声が、かすかに揺れた。
「できれば、今までの様に接してください……カイル様にはお話しいたします」
私は、椅子に深く座り直した。そして、話し始めた。
着任してから三年間のこと。
奇跡と呼ばれた日々のこと。
婚約のこと。
そして——祈りが見えなくなってから、どんな日々を送ってきたのか。廷臣の日報。廊下で聞こえた陰口。殿下の冷えた目。シャルネ嬢の柔らかな笑顔の奥にあったもの。
広場で断罪されたこと。
「悪魔であれば消滅する」という虚偽の魔法を、民の前で受けたこと。
弁明しようとした瞬間、意識が白くなったこと。
カイルは最後まで黙って聞いていた。
相槌も打たず、顔色も変えず、ただ静かに聞いていた。でもその目が、話が進むにつれて、少しずつ変わっていった。
私が話し終えると、しばらく沈黙があった。
「……聖なる光で消滅させる魔法、か」
カイルが静かに呟いた。
「はい。でも私は、消滅したわけではなく——」
「……そうじゃないと思う」
カイルが立ち上がり、書架に向かった。古い文書を数冊引っ張り出して、素早くページを繰った。
「神隠し」
「……神隠し?」
「古い文書に記述がある。正式な名称ではないが、通称そう呼ばれている転移の禁術だ」
カイルは文書を開いて、私の前に置いた。
「術者が指定した対象を、無作為な場所に転移させる魔法だ。転移先は術者にも分からない。どこに飛ぶかは、完全に偶然に委ねられる」
私は文書を見つめた。
「……だから、ここに?」
「おそらく。転移先によっては——」
カイルは一瞬、言いよどんだ。
「転移先によっては?」
「即死する」
その言葉が、静かに落ちた。
「深海に飛ばされれば、溺れる。崖の上から飛ばされれば、落ちる。岩の中に転移すれば——」
「分かりました」
私は小さく頷いた。
「……あなたが生きているのは、運が良かったからだ」
カイルの声に、わずかに温度があった。
「草が落下の衝撃を和らげ、眠りながら祈り続けたことで、この土地が迎え入れてくれた」
「……悪魔なら消滅する、というのは虚偽で」
「転移魔法だ。消滅したように見せかけて、どこかに飛ばす。民の目には消えたように映る」
私は、口の中で何かを確かめるように、ゆっくりと息を吐いた。
消えたのではなく、飛ばされた。死んだのではなく、ここにいる。
そして運が悪ければ、今頃——。
「マリベル」
カイルが私の名前を呼んだ。
「怖かっただろう」
その一言が、胸に刺さった。
「……はい」
声が震えた。怖かった。広場の民の目が、怖かった。弁明できなかったことが、怖かった。世界が白くなった瞬間が、怖かった。
「よく生きていた」
カイルはそれだけ言った。
たった一言だった。
私は、俯いて、静かに泣いた。
泣き終えると、カイルが静かに外套を手渡してくれた。「冷える」それだけだった。
でも、その言葉に、どれだけの気持ちが込められているか——私には、分かった。
「……ありがとうございます」
「礼はいらない」
カイルは背を向けて、棚の前に立った。帳簿を取り出して、ページを開いた。何かを書き込み始めた。
「何を書いているんですか」
「記録だ」
「私が泣いたこと?」
「それは……書かない」
「では、何を」
「マリベルが来てからの数日。土地の変化、水量の変化。そして……」
カイルは少し間を置いた。
「……真実を知った」
その一文を、帳簿に書き込んでいるのだと分かった。何十年分もの記録の中に、今日のことが加わる。それが、なぜかひどく温かかった。
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