周琳華、ここに極まれり (2)
「行ってしまいました……ね」
呆気にとられてしまった琳華の呟き声に偉明は渋い表情をしながら大きな溜め息をつく。
「いつもそうだ」
そのひと言だけでああ、と琳華は理解する。どうやら宗駿皇子は良き“遊び心”を持っているらしい。
「雁風が途中で仲間を拾うだろうから問題ない。他の者にも警備を兼ねて夜市を回るよう言ってある」
こそこそと店の前で話をしていた二人だったが琳華が再び台の上の紅玉の飾りに目を遣った時だった。
「店主、これを貰おう」
今、なんて?との表情を浮かべた店主は一応、値段をしっかりと提示する。それはボッタクリなどの阿漕な値段では無く相応だと琳華も思ったのだが結構な値段。彼にはこれを渡すような女性がいるのだろうか、と琳華が思うのと同時に何の異論も戸惑いもなく高額貨幣が偉明の財布から店主にじゃらりと手渡される。代金を受け取った店主は慌てて髪飾りを包もうとしたのだが偉明の指先の方がそれを早く手に取り――紅玉の髪飾りは高く結ってある琳華の髪に深く挿しこまれた。
「っ、あ……え、え?!」
「行くぞ」
すたすたと歩き出してしまう偉明に琳華はどうしたらいいのか本気で分からずに狼狽えて、立ちすくんでしまう。
今、そこの台の上にあった大玉の紅玉が……恐るおそる指先で確認すると確かに、存在している。
「もしやあの御麗人、お忍びの」
違う、そうじゃない。
先に行ってしまったもっと温和な顔立ちで優しい言葉遣いをする方がお忍びの御方で、と言う訳にも行かない琳華に羨望の眼差しと畏敬を籠めて深々と挨拶をする店主に弁解する間もなく、仕方なく偉明の背を追いかける。
息が切れないくらいの速さだったが人の気配が少ない場所までしっかりと付いてこれてしまう健脚の琳華についに偉明は眉を下げて笑い出してしまう。
「ご息女たる者、男から幾らでも貢物はあったのではないのか?」
「な……っ、そんな」
いいえ先ずは御礼を、ともう秀女筆頭として取り繕わずに琳華は素の状態に戻っていた。
「ご息女、侍女殿も……すまなかったな」
美しい女性と可愛らしい女性の二人を前に偉明はゆっくりと、大きく息を吐くように謝罪の言葉を口にする。
「結局は我々が振り回したも同然。それは心ばかりの詫びだ。黙って受け取って欲しい。侍女殿にも後で雁風に何か選ばせて贈ろう」
「そんな、何故……悪いのは多分、わたくしたちを遣わせた父では」
「いや、これは多数の人間の総意で行われた。責任の所在は確かに周先生がご自身にあると言われていたのだが今回のお陰で色々と調査が捗り、秀女の中で不穏な動きをした者を無事に排除出来た」
だがやはり、と麗人の涼やかな表情が翳る。
「人を動かす、ましてや年頃の女人を……俺もまだまだ、青い。立場に対して驕りがあった。二人とも、体などは大事ないか?」
こんな丁寧な事を言う人物だっただろうか。ましてや紅玉の髪飾りを詫びの品として贈るなんて。
「雁風の幼馴染が医女でな……劉愛霖を診たのも彼女なのだが体は相当、あの粉末香に蝕まれている」
「わたくしが初めてお話をした時にお加減が悪かったのも」
「そのせいだろう。そしてあの香は人を惹きつけ、依存させる」
「では愛霖様はその香を身に沁み込ませ……だからいつも甘い香りが」
頷く偉明に琳華の視線も下がってしまう。
そこまでして彼女は後宮に入りたかった。そして宗駿皇子に取り入ろうとした。彼女は劉家の家長の娘ではあるが母親は正妻でも正式な側室でもない。そして劉家にはついぞ子供が生まれず貴族社会とは関係の無い外で育っていた愛霖は引き取られ、何かしらの重圧がかけられ続けていたとしたら。
「憶測で物を語るな、と父は言います」
「そうだな。私もよく聞かされた」
「ですがそれを承知で言うのは」
琳華は背後に控えている梢を気遣うように言葉を選ぶ。
「困っている方の全てを助けられるわけではないとわたくしも承知しています。わたくしの手なんて小梢ひとりすら……でも、それもまた身分による驕りなのだと考えてしまえば延々と悩んでしまいます」
「ご息女はそう考えることが出来る……世の流れに抗う心があるのだな」
「大層な物ではけっしてありませんが、だからこそ今を一生懸命に……それにわたくしたちは一筋縄ではいかない周家の娘です。ね、小梢」
絽家、梢も一家離散の憂き目にあった不遇な下級貴族の娘だった。周家に迎え入れられ、普段は元気に振る舞っているがその内心を琳華は深く覗く事はしなかった。
梢が何を思い、考え、ついて来てくれているのか。朗らかな、鈴を転がすような声で「お嬢様」と呼ばれるのは嬉しい。
だからこそ、二人だけで盃を交わした。琳華は梢の行く末に責任を持つ。未だ厳しい階級社会の中でも不自由が無いよう、読み書きや礼儀作法も全て自分と同じ事を学ばせた。それを父親は、周家の家長は良き行いとしたのだ。
もし愛霖も周家に来ていたなら彼女も違う道を歩め……そこまで考えた琳華だったが言葉にはしなかった。
「わたくしたち女人は誰かの捨て駒などではありません。愛霖様もきっと……最後まで抗っていた、と勝手に思う事にいたします」
「そうだな……今は、まだ」
ままならぬ世を憂いながらも琳華は梢に向き直ると「今回の件は小梢にもとても助けられたから、わたくしからも何か贈らせて」と主人らしく笑いかけた。
「うぐぅ、おじょうさまぁ~」
琳華の優しくも気高い姿に梢は瞳をうるうると潤ませる。
「髪紐とお菓子と、あとは何にしようかしら」
「ならば私も付き合おう」
琳華の提案に偉明も乗ってくれる。その後三人はもう品物も残り少なくなっていたが夜市の店をゆっくりと見て回った。




