周琳華、ここに極まれり (3)
――それからの話。
周家屋敷へと帰された琳華はまたいつも通りの日常に戻りつつあり、梢に与えていた休暇……と言っても二人で遊びに出掛けていたので一緒に今回の事を軽く振り返りつつも穏やかな日々を送っていた。
屋敷には一度、伯丹辰が遊びに来た。あの日から数日後、残っていた秀女たち全員が帰されたらしい。結果はまだ分からないが多分、自分は家の事もあるし駄目だったと思う、と丹辰は恥ずかしそうに笑っていた。
そんなことないと思うけれど、と琳華は思ったが決めるのは宗駿皇子だ。政に関わる者たちの思惑も多く入るだろうが琳華も丹辰に自分がなぜ、秀女として入り込んだのかを正直に伝えた。多分、丹辰の父親は初めから分かっていただろうが琳華から聞かされた丹辰は神妙な面持ちで「そんな大役を琳華様はお持ちになりながら、わたくしたちのことも見ていてくださったのですね」とごく真っ直ぐな思いを話してくれた。
そして劉愛霖の事を実際どう思っていたのか二人だけの秘密として聞いたところによると……丹辰の目にはどうにも愛霖の口ぶりが気になっていたらしい。言いたい事をはっきりと言うような丹辰が“目を付けていた”と言うのはまさしく監視の為だったそう。
自分たちは選び抜かれた秀女。宗駿皇子の為に入宮をした者としての矜持を皆がそれぞれに持っている筈だと言うのに、愛霖はまるで琳華に依存しているように見えたらしい。
自分のように戦略的に徒党を組んでいるような気配でもなかった、と丹辰は鋭い指摘をしていた。
琳華が近くにいない時は他の秀女に対して酷く無愛想で、はたまた後宮側の下女には異様に丁寧で本当に何を考えているのかも分からない感じで……と、語る丹辰が今さら嘘をついているようには感じなかった。
武闘派である伯家の娘らしく、丹辰は全てを計算した上で振る舞っていた事についても話してくれたので琳華も「実はわたくしも」と猫の皮を何枚も被っておしとやかに振る舞っていた事を告白し、二人でくすくすと笑いあった。
それがつい二日ほど前の事。
「お嬢様、お綺麗です」
今日の昼、琳華にはひとつ予定が入っていた。
「ねえ小梢、王宮殿の使者様がいらっしゃると言っても顛末についての報告だけなのだからこんなに完璧に着飾らなくても」
「旦那様が仰っていたのでこればかりは」
「それなら、しかたないけれど……」
鏡の前でどうにも腑に落ちずにむすーっとしている琳華の髪を丁寧に結っていた梢は最後に大玉の、あの夜市で偉明から贈られた髪飾りを差し込んだ。
凛とした琳華に似合うその深い色合い。口紅もそれに近い濃い色にした。
「それにしても小梢は本当に髪結いが上手ね」
「えへへ……これも全てはお嬢様の為でございますからねぇ」
「でもちょっと派手過ぎないかしら」
「いいんですよぉ、旦那様からの発注通りなのですから」
「さっきから父上からのお達し、発注って……なんか、変」
「ぎくり」
鏡を前に最後の調整をして貰っている琳華の疑いの瞳に梢はあからさまに視線をそらす。
「でも、そうね……使者様が正式に愛霖様がどうなったのか報告をしに来てくださるのだから周家の者としてきちんとした格好であるべきよね」
「そ、そうです!!ね、もし機会があったら通いでの後宮のお仕事のお話にも繋がるかと」
これ以上、梢に疑いの目を向けても父親から何かしらの口止めをされていては相当な賄賂を積まなければ彼女は口を割らないだろう。
王宮殿からの使者が屋敷に訪れるまでもう時間は無い。寄宿楼などにいた時にもこのはっきりとした化粧をしていたがそれでもかなり特別な事情の時だけで……なんか変、と疑心を抱きつつも琳華は外の空気を吸おうと部屋から庇のある廊下に出る。それと同時に梢もお茶の支度の為に部屋から出て行ってしまった。
「琳華」
衣擦れの音も足音もしなかった、と急に名を呼ばれて猫のように目を見開いている娘にやはりこちらもなぜか気合いの入った衣裳を身に着けている母親が背後から姿を現す。
「は、母上……っ」
この後、馴染みのご婦人たちとお茶にでも行くのだろうか。
「これが本当の玉の輿、ね」
「え……え?」
「さあ客間にいらっしゃい。使者の方が着きましたよ」
呼びに来たにしては今、母親は「玉の輿」などと言ったが……嫌な予感がする。すごく、胸騒ぎがする。
琳華はどう会話をしたらいいのか分からず、黙って母親の後ろをついて歩くも大きな屋敷とは言えここは後宮の何十分の一か。
扉を手ずから開ける母親は短い間にさらに凛と美しく成長した娘に目を細める。
「さあ、母はここまでにしておきましょう……母親らしいこともあまりしてあげられなかったけれど」
「え、ちょっと、母上?!」
そっと背中を押されてしまった琳華の目の前、周家屋敷の豪華な客間の卓についていたのは濃紺の……今日は柄の入った上質な織りの衣裳に身を包んだ男性。
そして見たこともない従者が背後に二名控えていたが琳華が姿を現してすぐに深く最敬礼をしてから出て行ってしまった。
「……え、い……め……っ」
どうしてこの屋敷に、しかも正装に近い姿の張偉明がいるのか。
慌てる琳華をよそに彼の切れ長の双眸は彼女の髪にある大玉の紅玉に一度、向けられる。
「周先生にしてやられた」
「ち、ちうえ、が?そう、父上は一体どちらへ」
同席するはずだった最重要人物がいない。
「いえまず、あの、ご挨拶を……えっと」
珍しく取り乱し、あわあわとしている琳華だったが席から立った偉明がつかつかと琳華の目の前にやって来ると自らの手を合わせ、浅く礼をする。
「ひゃ……」
それは身分が上の者に対する時の礼儀作法だった。
「ご息女……いいえ、琳華殿」
さらりと名を呼ぶ声に琳華はどうしたら良いのか分からず、胸の前で手を組んで身を竦ませてしまう。
「正式な御挨拶も無しに申し訳ありません。事は急も急……いや、あるいは私が先生の手から離れたあたりから計画されていたことなのか本当にしてやられたと……」
浅く礼をしたまま偉明は流れるように言葉を紡ぐ。
「此度の件についてすら、全ては先生の計略だったのかと疑いたくなるような事態ではありますが」
言葉の端々で妙に父親の事を風刺しているが偉明はふ、と顔を上げるとやはり琳華の髪にある紅玉とその美しい顔立ちを見比べる。
「女人に対し恋しい、と本気で思ったのはあなたが初めてだった」
「な゛っ、何か……変なものでもお口に」
「してない」
「ではご禁制の」
「馬鹿を言うな」
腕を下ろした偉明は「すぐに返事は要らない」と言う。
これはつまり、アレである。
「これって、きゅ、きゅう……こ、ん……?」
「後にも先にも、俺が女人に髪飾りを贈ったのはご息女だけだ」
その言葉に偉明の人を想う心が込められているなど琳華には……分かってしまった。人を突き放すような冷たい物言いをする筈の男の血色が良い。良いどころか、赤い。
「わ、わたくし、だって……家族以外の殿方から、贈り物をいただくのは初めて……でし、た……」
琳華の語尾は消え入り、その膝はふにゃりと力が抜けてしまった。崩れ落ちてしまいそうになる身に腕を回して軽々と支えた偉明は「骨太……」とぼそりと言ってしまう。
ここは周家の屋敷内、応接の間。こんな所で偉明に腰を抱かれ、しかも何かとても恥ずかしい事を言われてしまった琳華のきりっとした目元に涙が滲む。頬紅をあまりさしていなかった頬も赤く、体温が上がる。
「この件は宗駿様からのお墨付きでな」
「皇子さま、の……?」
「尊く、聡い御方の眼を信じぬようでは親衛隊長などしていられない」




