周琳華、ここに極まれり (1)
同日の夜、姿見の前では綿の詰まった枕を抱えてムスーっとした表情のまま座っている琳華がいた。
「お嬢様ぁ~行きましょうよぉ~」
「こんな状態で夜市に……小梢と二人で行くなら、いいけれど」
「だからこそ、って冬の御方がお誘いしてくださったのにぃ」
琳華はゴネにゴネていた。
偉明の計らいもあって愛霖との接見後からはもう自由に行動をして良いと言われており、何だかんだですぐに日は暮れて……夜市も最後、と外はとても賑やかで。
「絽梢の最高傑作の髪型なのですからぁ~」
「小梢、そもそもこの結い方はどこで覚えて来たの」
「宮女の方と仲良くなってぇ、ぐふふ~使い古しの髪結いの写本を頂いちゃったんです~」
「ちゃんとお礼はしたの?」
抜かりはない、と胸を張る侍女に琳華は少し多めに溜め息をつく。彼女を立派に、抜かりなく育てたのはまさしく周家だ。
「お嬢様、とてもお綺麗ですよ」
「本当……?」
「皆様が憧れる秀女筆頭を裏付けるお美しさです」
「周家の者はお世辞を受け取らないような器の小さい者じゃない……」
「そしてみだりに心無い事も言いません」
ね、と笑いかけてくれる梢に琳華も小さく頷く。
既に琳華は化粧も衣裳も全てが完璧な状態に仕上がっていたのだが本人がどうにも渋っていただけ。
確かに気分転換をした方が良い。この後宮内であったことは、ここで発散をして屋敷に帰った方が後々、心の健康に響かない。
秀女担当の鶴女官からも正式に夜市を楽しんできて良いと許可が下りているのだが琳華がここまでゴネていた理由は偉明から何故か「一緒に」と誘われていたせいもあった。
行きましょう、と梢に手を引かれるように琳華は抱いていた綿の詰まった枕を置いて部屋から出る。
「ああ、やっとお出ましになられたか」
今夜は明かりが多く灯されている後宮内。お祭り騒ぎとまでは行かないが雰囲気が浮き足立っているのは分かる。
そんな中で立派な宮から降りて来た琳華を出迎えたのは偉明と雁風と……もう一人。
どう挨拶をすべきか。今の琳華はもうよく分かっていたので秀女筆頭として最敬礼をする。
「周琳華殿、少し我々親衛隊と散策に付き合ってはくれないか」
偉明の言葉に顔を上げた琳華はどこまでが不敬にならないのか、とそろりと彼に目配せをしたのだが次に口を開いたのはその横で温和な笑みを浮かべている上品な兵士の方だった。
「話は全て聞いている。私のことは気にするでない」
掛けられた言葉に対し琳華の肩も流石に驚いた猫のように跳ねあがった。
それを見てついに笑ってしまった兵……ではなく宗駿皇子に再び最敬礼をしてしまうが今から偉明どころか皇子と一緒に夜市を回らなければならなくなった琳華は今夜、盛大に着飾ってくれた梢に心の中で何度もお礼を言う。
紗の布越しではないし、声まで掛けて貰うなど畏れ多い。
「欲しい物があったら言うと良い。この親衛隊長殿の財布の紐は私が緩ませてある」
皇子のたおやかな声音に王の風格を感じてしまう。
鶴女官が言うには今日はずっと、皇子は秀女の相手をしていた。それなのに微塵も疲れた様子など見せていない。
「さあ、侍女殿も是非!!」
雁風の力強い声に琳華の後ろで小さくなって控えていた梢が「ぴゃ」と鳴いた。
案内役は偉明であったがその隣にいるのは皇子。その身を守るように雁風は楽しんでいる雰囲気は纏っていても眼光は鋭く、時折辺りを警戒するように視線だけはくまなく周囲を見渡しているのを琳華は見る。これが皇子の為の親衛隊の勤めなのだ、と。
二夜に渡る夜市の賑やかさと独特な雰囲気に流石の琳華も圧倒された。
いくら都の中枢に住んでいるとは言え、この夜市に集っている客人は大半が女性。外からの通いではなく、この後宮に住まう宮女たちだ。それに今夜は無礼講なのか上下の隔たりは緩くなっている。なにより部署が違えばそこまで強く干渉もしないようで、大勢の女性たちが今夜だけは官服姿でも派手な髪飾りなどを髪につけたり、華やかな色合いの紅を唇にさしていた。
当の琳華も、渋い濃灰色の衣裳に件の派手な紅。
長い髪は梢、渾身の作で豪華に結い上げられ、後宮にやって来る前に買った真新しい髪飾りもかがり火にちらちらと輝いている。
偉明は琳華から返却された長羽織を身に着け、いつもと変わらない姿ではあるがやはりどこか気品がある。皇子と親しげに話をしている姿など夜なのに眩しいくらいだった。
そんな夜市の雰囲気に圧倒されていた琳華の歩みが少し遅くなる。
ゴネてはいたが行くともなれば梢の慰労も兼ねて何か髪飾りや手巾など買ってあげようと思っていたのだが……宗駿皇子と一緒ならそう選んでもいられない。
(また後日、家に帰って日を置いてから小梢には)
煌びやかな装身具が松明に光っている。
艶やかな玉石の指輪や光沢のある織りの布。細工の美しい小箱や紅入れ、細筆、刺繍用の糸もそこかしこで売っている。
どうやら下級の宮女の給金でも少し貯めれば買えるような価格帯の物は既に出払っている様子。残っているのは女官たちでも頑張らないと、と言うような言わばその店でも売れても売れなくても良い看板商品たち。最終夜はどういった品揃えをしているかを見せているようだった。
確かに、皇后付きや側室付きの女官などの目に留まれば買い上げも無くはない。今後も後宮に呼ばれて出入りが出来るかもしれない商戦の場でもあり、どの店も自慢の一品を並べている。琳華も上級貴族の娘。普段あまり関心はなくとも質の良い品については目利きであった。
そんな彼女の目に留まるのは赤みの強い、今夜の彼女の唇を彩る紅と同じ大玉の紅玉の付いた髪飾り。
「そちらの御方、もしやどこぞの御国の公主様で?」
琳華の視線に目聡く気がついた商売人が調子の良い言葉を投げかける。確かに、今の琳華なら外交で滞在している他の国の姫と言っても差し支えは無い佇まいをしていた。ふ、と思わず吹き出している偉明に見えないように唇をむっ、とする琳華だったが皇子も足を止めてその露天の台を覗き込み始める。
「い、いえ……そんな大層な……」
謙遜と否定の言葉を言い掛けたが今の自分はその台を覗き込んでいる兵に扮している尊い人物の正室候補(仮)なのだと思い直し、姿勢を正す。
「わたくしは今回の秀女選抜における筆頭秀女にございます」
「秀女……ああ、皇子様のお妃様候補の!!いやあ、なんてお美しい!!」
その皇子様は今、しげしげと商品を眺めながら店主の言葉に笑っている。既に琳華は周家から出向された仮初めの秀女だと言うのを皇子は知っており……皇子は少し身を引き、雁風を目配せだけで呼ぶ。
「縁と言うものは不思議だと思いませんか、偉明隊長。雁風殿、我々はひと巡りをしたら“大人しく”仕事に戻りますゆえ」
さらりと言って立ち去ろうとする皇子に珍しく慌てたのは偉明で、雁風も「そうしゅ」まで声が出たが思い切り飲み込んだ。
いくら事前に安全対策や確認が取れていても外部の者が多い場所。兵に扮しているとは言え雁風だけを付けて皇子をうろつかせるのはなかなかの大事である。




