良き友人 (3)
お茶も終わり、父親も一度家に帰って少し休んでから出仕をすると言って部屋から出て行った。豪奢な部屋、と言うかこれはもはや上位の妃嬪に宛がう宮の造りだ。大勢が宿泊できるようになっていた寄宿楼とはまるで違う。梢が顔を洗う為のお湯を取りに外に出れば既に宮女が控えており、取り次いでくれたどころか湯あみをするための浴堂の風呂桶に湯が張ってある、とまで教えてくれた。
上級貴族の娘に疑いを向け、軟禁をした詫びとは言え。
「朝風呂をキメてしまっても良いのかしら」
「旦那様が貰える物は貰っておけ、とおっしゃっていましたので……よろしいのだと思います。せっかくですから髪も流しましょう。すぐ、お支度をしますからお嬢様はゆっくりしていてください」
梢とて寝ずに、と琳華は思ったがここは侍女としてしっかりと働こうとする彼女の邪魔をしてはならない。自分が早く眠ってしまえば梢も少しは眠る時間が持てるだろう。それに、自分たちはそこまでヤワではない。
どうやら常に出入り口には官職を賜っていると見られる宮女が控えているらしく、梢の役割が少し軽くなる。
湯上がりの琳華の長い髪を拭くのも宮女に手伝って貰い、その間に梢にも湯あみを勧めることが出来た。
ここは多分、東宮の敷地に併設された宮。
そんな高貴な場所に仕える宮女たちは無駄口など一切なく、かと言って気まずくなるほどでもないくらい話し掛けてくれながら朝日が昇ったばかりの時刻だと言うのに丁寧に髪を拭いて身づくろいまで手伝ってくれた。その間にも琳華は出して貰った食事代わりの小さな膳をつまみ、一先ず眠る支度を整える。
用意されていた布団はふかふかだったし、枕も陶製にするか綿の詰まった方にするか、と甲斐甲斐しく世話をしてくれた。しかもちゃんと梢の為にもすぐ隣の小部屋に質の良い寝具一式が用意されているのを琳華は見た。流石に礼を、と感謝の言葉を伝える琳華に「やはり秀女筆頭としてのお役目を賜る方でございますね。お言葉、有難く頂戴いたします」とまた丁寧に言葉を返してくれた。
彼女たちは打算を隠すことも上手いのかもしれない。
密やかに、しかし確実に自分たちの地位を守り、位の高い女官となれるよう目指している。
「琳華様のお噂はお聞きしていました。教育係を引き受けた鶴とは昔馴染みで……琳華様には一度、お会いしたかったのです。後宮は欲の多い場所で御座います。しかし、琳華様のように広い目を持たれ、行動が出来る方は貴重です」
そんなに褒められても何も出せる物がない、と恐縮してしまうが話は梢が戻って来たことによってさっぱりと終わってしまった。本当に、欲の見せ方が他の宮女たちとは違っていた。
「お目覚めになりましたらまたお声掛けください。ご都合が宜しいようでしたら今夜は最後の夜市、上の者からも琳華様には是非楽しんで欲しいとの通達がありました」
事務的な連絡の中に含まれる夜市の話。そう言えば今日が最終日。頑張ってくれた梢を連れて行こうか、と考える琳華だったが……視界に入った一枚の濃紺の羽織物。
誰がどう見てもそれは偉明の物だと分かるが本当に自分に携わってくれた宮女たちは何も言及せず、衣桁に広げて掛けてくれていた。
でもきっと偉明の表の顔ならどの女性に対してもこうして気に掛けるのを知っているだろうし、昨夜は確かに少し冷えていた。羽織物については仮眠から起きたら女官に託し、返した方がいい。
「小梢もゆっくりして」
「はい」
自ら寝台に上がった琳華は丁寧に乾かされた髪を横に流して梢に布団を掛けて貰う。
少し眠って、起きて、夜を過ごして……もう一回だけ夜を過ごしたら、この後宮から出て行く。
(わたくしは、何も出来なかった……)
重厚な布の囲いのある寝台。梢が完全に一人になれるように布を引いてくれたその中で横になった琳華は人知れず細く涙をこぼす。嗚咽を漏らす事もせず、静かに流れる涙を寝間着の袖口で拭う。そしていつしか豪奢な彫り物が施されている寝台の天井を眺めている内に眠りの世界へと引き込まれ、緊張と疲労から昼近くまで琳華は珍しく眠った。
もぞ、と琳華は体を起こす。
何か外で人の声、と言うか梢が聞き馴染みのある声と話をしているようだ。あくまでも普通の話し声の声量ではなく、眠っている琳華に配慮をしたような声のせいで何を話しているのかまでは聞き取れなかったがその相手は……。
「あ、お嬢様おはようございます」
「おはよう、小梢はちゃんと眠った?」
「はい!!もうすっかり。私もつい先ほど起きまして、それであのお嬢様……」
いつもの梢の明るい表情が少し曇る。
「今、雁風様がいらしていて……お嬢様のお気持ちを汲まれた伯丹辰様から、そのお父上様へのご進言で、その」
言いにくい事を丁寧に説明しようとする姿に「ここにはわたくししかいないのだからいつも通りでいいのよ」と伝えると梢は大きく息を吸う。
「えっと……“劉愛霖に言いたい事があったらぶちかましに行けます”とのことです。一応、お嬢様は被害者側ですので接見の権利はある、と」
「真相は愛霖様ご本人しか知りえない……としても、愛霖様がわたくしに何か話すとも思えないのだけど」
「非常に不敬な言葉ではありますが罰則や罪人などを取り仕切る刑部の方々はお嬢様ならば愛霖様から真相を吐かせられる、とお考えのようだと雁風様が」
梢が言いよどむのも分かる。
つまり刑部の者たちは琳華を使って愛霖への尋問をしようとしている。愛霖が嘘をつこうが真実を話そうが、どちらにせよ最初から仲が良かった琳華になら何かしら口を割るかもしれない、と。
ならば愛霖は一体なにをしようとしたのか――琳華の清んだ意識が静かに真実を見つける為に動き始める。




