良き友人 (2)
「ようこそおいで下さいました。御達しの通りに手筈は整っております」
早朝にも関わらず女官としては最高位の衣裳を纏った年配の、自分の母親よりも明らかに年上に見える女性が周家一行をとある場所で出迎える。
どこに属しているか、大体が帯や髪の装飾品で分かるのだがこの女官は――東宮の女官だ。東宮は皇子が住まう場所。ほとんどが高官の女性しか出入りをしていない場所で、滞在していた琳華もそこに属する女官は数えられる程度しか見たことがない。
「御疲れでしょう」
通された部屋は入り口の扉からして通常とは異なっていた。
まだ夜も明けぬかどうかの朝とも言えない薄暗い中、その部屋だけは煌々と明かりが灯されている。
途端に部屋の奥からぱたた、と小さな足音がして扉が開いた。その足音と急に開いた扉に女官は「あらあら」と優しく笑ってくれているが、部屋の中から子猫のように飛び出して来たのは今にも泣きそうな表情をした梢だった。
「お嬢様!!」
飛びつきそうになるのを堪える梢に気づいた琳華は片腕を伸ばす。
たまらず飛びつく小柄な梢を抱き締める琳華は「あなたが無事で良かった」と心からの思いを伝えた。
「もう、どうなることか……絽梢は、お嬢様を御守りすることが使命だと肝に刻んでっ」
周家の家長と準ずる者を差し置いている梢だが、その家長本人は何も気にせずにうんうん、と深く頷いている。そうやって梢にも人として適切な教育をし、周家の教えを覚えさせた。
「う゛ええ……ふええ」
言葉にならない感情をどう表そうか、変な鳴き声になっている梢だが琳華は偉明の羽織を掛けていない方の手で小さくもしっかりとした背中を撫でる。
「お嬢様ぁ~旦那様ぁ~」
部屋の奥から周家の次兄も出て来て、息子二人と娘、そして娘同然の総勢四名が父親の前に出揃う。
「名門である周家の皆様がお揃いになる場にいられるとは女官冥利に尽きますね。奥方様とも昔、少しばかり部署が同じで……ああ、懐かしい。珍しい跳ねっ返りで、でも真っ直ぐな女性で……ふふ。似てらっしゃる、かしら?」
引っ付いて離れない梢の背を撫でる琳華に向けられる慈愛ともとれる女官の眼差し。なんだか恥ずかしくなってしまった琳華は小さく「ありがとうございます」と礼を言う。
「さあ、お入りになって」
女官に通された部屋は秀女たちが集う寄宿楼の個室よりも、周家の屋敷の私室よりも幾つも格上な豪華な部屋だった。例えるならばお姫様が使うような部屋。調度品の意匠もあの布団部屋に下賜されたとても上等な品と変わりない。
目を丸くさせている琳華に後ろからついて入って来た琳華の父親は息子二人に「お前たちはお母さんに連絡を。私も一度、屋敷に戻るつもりだと伝えてくれ」と伝える。
「あ、あの、私は廊下におりますので」
ひとしきり琳華に撫でて貰った梢はおずおずと申し出るが「お前もいると良い。ああ、そうだ。どうやら茶も三人分届いてしまった」と女官の後ろから給仕に来てくれた別の……やはり普通ならば給仕など行わないような立場の女性が膳を用意しに来るのを見やる。出されてしまえば、言われてしまえば、梢はそれに従うしかない。
琳華の父親を上座に次に琳華、梢の格の順で卓につくが出された茶器は全て同じ格の美しい物。幾ら上級貴族の使用人とは言え、泣き腫らした目が今度はオロオロと泳いでしまっている梢だがどうやら王宮殿側としてはあくまでも客人の一人として扱ってくれているようだった。
恐縮しきりで小さくなっている梢を隣に琳華は父親をしっかりとした表情で見据える。廊下を歩いている間に気持ちの整理が少しできたのだ。
「父上、今回の件ですが」
「今日を含めて二日。明日の夕方には家に帰す」
「……承知いたしました」
「反論はないのか?」
「言いたいことは山ほどありますが……それを語り尽くせるほどの饒舌な舌を持っていません。たとえ今回の事が仮初めの行いだったとしても、秀女としてどうあるべきか、ずっと考えて行動をしていましたから」
でも、自分は何もなしえていない。
そう暗に伝える琳華の想いを汲めない父親ではないが「お前のその高潔さが私の誇りだ」と言う。末娘に対する一番の褒め言葉に琳華は帯に挿したままでいた通行証代わりの美しい組紐飾りを引き抜いてそっと卓の上に置く。
「この飾りを賜ったことは、確かに……それだけは」
偉明がこれを渡してくれた時、なんとも言い難い気持ちになった。嬉しかったし、どうしてだろうか恥ずかしくもあった。父親や兄たちから贈り物としてよく髪飾りやちょっとした物なら貰うが本当にそれだけで。
「ああ、その偉明からの言伝だが組紐はまだ持っていて良いそうだ。持ち帰っても良い、と」
「父上……」
「なんだ」
「その、えい……親衛隊長様とはどういったご縁が」
「上司と部下だった。文武両道、器用な者だと関心していたんだがまさか大出世するとはな。年齢と仕えた年数はともかく、お父さんの方が階級的には下になる」
そうだったんだ、と琳華は思うが偉明のあの様子はまるで師弟関係のように濃く感じる。一体、この父親は彼に何を教えたんだろうか。
ふ、と琳華の口もとが緩む。ずっと唇を引き、緊張をしていた頬が痛い。おしろいもとれてしまっているような状態だ。今更、と琳華は自分の頬に手を当ててむにむにと指先でほぐす。
いつもの娘に戻って行く様子を見ていた父親は「さあ、茶を頂こう。お父さんもなかなか頂けない貴重なお茶だ」と言う。つまりこのお茶は――とても尊い方々に出されるもの。
「何事も経験だぞ」
梢は大丈夫だろうか、と隣に視線を向けた琳華だったが茶器を見つめたままカチコチに固まっていた。




