泣こうが喚こうが (5)
暮れてゆく夕方の涼しい風が琳華の頬を撫で、寄宿楼に戻るころにはすっかり熱も引いていた。
「お帰りなさいませ、周琳華様。お夕食の前にお茶をするようでしたらお湯が沸き立てですのでお声掛けくださいませ」
廊下を抜け、部屋に戻って来た二人は布団部屋がすっかり他の秀女と同じ仕様になったと下女から伝えられる。どうやら宮女たちも当初から噂をしていたらしい。最年長かつ上級貴族の娘なのにどうしてあんな隅っこの埃っぽい部屋にいるのだろうか、と。
そんな噂話はつい先ほど、部屋の調度品が入れ替えられたことによって「きっと何かの手違いだったのよ」で終結した。
部屋に入った琳華と梢は見違えるように整えられている部屋に顔を見合わせる。
「あのね、小梢……さっきの、聞こえていたかしら」
「いえ、風の流れでお二人の声はほとんど」
「この調度品、皇子様のお下がりだそうよ」
「ひぇっ」
ぴゃっと梢の細い肩が跳ねる。
「よ、よろしいのでしょうか……なにやら私にも良いお布団があるようで」
梢は琳華の寝台の隣に衝立を挟んで据えられている簡素な方の寝台を見る。質素な布団だった筈が、今朝まで琳華が使っていた方の布団に変わっていた。そしてその琳華の方の布団はさらにふかふかの、新品にさえ見える物に変えられていた。
卓に備えられている椅子も幅が広いゆったりとした物に変えられている。座面や背面にも綿が詰まっているし、一緒に置かれている円柱状の肘置きも柔らかそうだった。
とりあえずその椅子に座った琳華は肘置きを胸に抱えてぎゅっと抱きしめる。
「偉明様なんて……偉明様なんてこうしてっ、こうよっ!!」
「お、お嬢様?!」
「もうっ、ほんとうにっ!!わたくしは!!恥ずかしかったのっ!!!!」
むぎゅう、と琳華に潰された肘置き。よほど恥ずかしい思いをしたのだと梢は悟るがあの時の偉明は心から笑っているように見えた。琳華は俯いていたので多分、知らない。
「一体、何があったのですか?」
梢の人懐こい柔らかな声音に肘置きを抱き締めたままの琳華は自分が普段、実家で相当なヤンチャをやらかしているのを偉明に知られてしまった、と梢に伝える。しかも二人で勝手に屋敷から抜け出して夜市に遊びに出掛けていることについても知られていた。上手いことコソコソとやっているつもり、父親は知らないはずだったのにそれは悲しくも当の昔にバレていたようで……と、それはとりあえず置いといて。
「でも、こんなことをやっていられるのも今の内だけなのかしら」
明日の朝には帰ることになってしまった秀女もやっと泣き止んだのか廊下は静かになっていた。戻って来た時は下女たちが夜の支度の為に行き交っていたのでそれなりに騒がしくもあったが人の通りがなくなれば静かなものだった。
ふう、と琳華はため息をつく。
今日は誰が見ても一番美しい秀女だった、と梢は胸を張って言える日だったが寝食をする場所に戻ってくれば現実がある。
「ねえ小梢、このままだと最後に何人が残るのかしら。もちろん、わたくしが最後まで残るわけにはいかないし」
「そうですね……最終日もそう言えば通達されていませんね」
「ええ。それでね、小梢……少し頼みたいことがあるのだけど」
梢は琳華から頼られることに喜びを感じる感性の持ち主だったので一段と今日は美しい主人からの『頼みごと』に機敏に反応する。
「わたくしが午前の座学を受けている間、寄宿楼を管理する下女の方々に探りを入れて欲しいの。わたくしたちが作って持って来た甘い物があるでしょう。全て渡し切っても構わないわ」
「承知いたしました。その探りの内容は」
琳華は最終的に秀女の人数がどれくらい絞られるのかについて、そして他の秀女の滞在の様子を噂話程度でも構わないし、他にも梢の思いつきでも構わないから全体的な状況を把握する為の情報収集をして欲しいと頼む。
「そうね……特に利発な方に見える伯丹辰様あたりが気になるわ。何か行動をしようとした時、味方や擁護してくれる人物は多い方が良い。けれどそれはご自分の手で負える範囲で、と随分と詳しく存じていらっしゃると言うか……手慣れてる」
琳華はあまり自覚していないようだが、彼女は他人の機微によく気がついている。
ただ琳華自身、その高い能力を自覚していないのでそばにいる梢が支える役割をよくしているのだが……先ほど、偉明にからかわれたのか憤慨していた主人は肘置きを抱いたままだったがすっかりいつもの冷静さを取り戻したようだった。
「偉明様はわたくしのあれやこれやをご存じみたいだけど……でも、本当の偉明様はどのような御方なのかしら」
「ではそれについても探っておきますね」
「ええ、頼みま……っ?!わたくし今、何を言って」
「この絽梢にまるっとお任せくださいませ」
「え、ちょっと」
「ぐふふ~、お嬢様の為ならばぁ~……うふふ~」
琳華からのお下がりで譲り受けた衣裳の裾を揺らすご機嫌な梢がぴた、と動きを止める。
「あ、思い出しました!!」
急な言葉に琳華も不思議そうな表情をするが梢は「表立って言えない時の秘密の言葉を作るんでしたよね」と問う。
確かに、本当なら昨日の内にでも梢と話し合うつもりだったのだが偉明が窓越しに立ち寄ってしまい、頓挫していた。
「確かに……皇子様のお名前と、偉明様についても」
「どうしましょうか」
「皇子様は東宮様、あるいは春宮様とお呼びになることもあるから……春の御方、は安直すぎるかしら」
「お嬢様と私が分かれば良いだけですから……扉や壁一枚を隔てた立ち聞き程度なら多分、問題はないかと」
宗駿皇子が春だとすると偉明は――冬だ。
温和そうな面立ちや優しそうな気質が伺えた宗駿皇子と相反するような偉明の冷たさ。冷たいと言うか、痛い。彼は時に肌を刺すような冷たさがある男性だ。
彼のことを考えるとまた先ほどの恥ずかしい話を思い出してしまい、少しだけ唇の先を尖らせた琳華は「やっぱり分かりやすいから冬にしましょう」と安直な提案をあげてしまう。
「大体、わたくしは私生活など他の方にお話ししていないのに一方的にあれこれと」
思い出し、再び憤慨している琳華はまた弾力のある綿が詰まった肘置きをぎゅうぎゅうと腕でシメ……抱いていた。




