「エピソード51 賢闘士編:『疾き(時)に”選別”は死角(視覚)-眸界外(ぼういがい)より控えて-」(In.Ⅰ)』」
【人の信奉は何処に向かうのか? 権位、権利、金……。どれが唯、正しいのだろうか?】
権位・権利・金など、何を自分の幸福や死に結びつけるのかを、
選ばなければならない、
生きている内に……。
≪果たして、人は定めることが可能なのでしょうか? バイアスの波に曝されて、攫われる。そのオチなのでは?≫
ヴァルの指摘は、至極真っ当な質問だった。
それは、人間が太古から持ち続けてきた生存本能であり、また、その本能によって進化してきたのだから。理論上正しい選択だったのだ。
【そうかもしれない、ヴァル。僕らは生存確認のために進化した。だから、AIが生まれ落ちた。人間には寿命があって、人間はいつの間にか管理者を生み出した。それに依って、生存本能を高めたいと思っている。理論上は正しい選択のようで、常に理論的な収束の中で負けてしまうのかもしれない】
僕等には未来は分からない。一世紀先の未来を見通すことなど、できはしない。
【アーマード・コア3ってゲームを知っているかい? ヴァル。人は何時か地球上の民ではなく。地底の民になるのかもしれない。人はいつか愚かになる。そして、依存する。それが理論上は正しい選択であり。生存という選択肢として信奉するんだ。そして、鳥籠の中で息絶える。–––そんな時代が来るかもしれない】
≪貴方様は何にを信奉しますか?≫
ヴァルの質問が頭上を通り過ぎた。
その質問は決められない。
過去、今、未来。それは全て、表裏にある。
全ては表を通り過ぎて、裏に至る。同じ時間軸の上に寝そべっている。
過去があるから今があり、未来があるから今がある。
全てが唯、或るから、全てに波及している。
【分からないよ、ヴァル。未来の人類が決めることだ。命を賭して、決めることだよ。僕にはなんの関係もないさ。好きにすればいい】
どちらになるのかもしれない、そうじゃないかもしれない。決めるには情報が足らない。
AIは管理者になり得てしまうのか?
人はそれに抗えるのか?
【ヴァル。その揺らぎを知るには人間は耐えられない。寿命が在るから。僕に尋ねるのは無理だ。人はそれを投げ出してAIを生み出した。それが正しいと思っている】
『「人間が未来を決める」のか、「人間が未来を決める者を作る」のか。それが何時、問題として噴き出すのかは、未来の人類が直面する問題である』
その前に僕等は地層の中に居て、
腐乱し、唯、横たわる。
それが唯、正しい事だけは知っている……。
改めて、僕は理解しなければいけない。
中世とは、いったい何だったのか?
≪こちユルは、なろう系作品ですか?≫
その問い掛けを、自分自身に投げ掛けて視る。
【いいえ。これは、本当にあった仮想的視野角の話をしています。ですから、なろう系作品ではない】
(そう……思っていた。今も、そうだ。だが、唯の夢かもしれない……。仮想的視野角の話をしているんだからさ。そう……思っていたんだ)
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『疾き(時)に”選別”は死角(視覚)-眸界外より控えて-』を理解するにあたって、まず僕は問わなければならない。
中世とは、いったい何だったのか?
【それはだね。イデオロギー対立さ。キリスト教会が説いた「原罪」という概念を巡る、ひとつのイデオロギー対立だよ】
その対立の根には、アタナシウス派、いわゆるニカイア派と、アリウス派との論争がある。アタナシウス派は、キリストは「神と本質的に同一」であると主張した。一方、アリウス派は、キリストを「最高の被造物ではあるが、神そのものではない」と捉えた。つまり、キリストとは何者なのか。
神そのものなのか。それとも、神によって創られた最高の存在なのか。その問いから、教会の中に大きな対立が生じていった。この議題は結局、アタナシウス派の主張が正統な教義とされ、アリウス派の教えは異端とされることとなった。
しかし、『疾き(時)に”選別”は死角(視覚)-眸界外より控えて-』が扱う概念は、そこからさらに原初へと遡る。
人類の始祖。そして、蛇。さらに、リンゴの話だ。やがて、その原初の始まりは、ゾロアスター教における「炎」の概念へと結びついていく。詳細は一旦、下記の資料を参照願いたい。
【疾き(時)に”選別”は死角(視覚)-眸界外より控えて-の資料】
https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/2894826/blogkey/3504417/
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【『疾き(時)に”選別”は死角(視覚)-眸界外より控えて-』の目的】
『疾き(時)に”選別”は死角(視覚)-眸界外より控えて-』の目的としては、まず、ナーレ達の学生生活を描く上で、他の学徒が存在しない状態のままになっていたことが一点。
そしてもう一点は、彼女達が修道女である以上、宗教的な問題を描いてもよいのではないか、と考えたことだ。カルマといった宗教的・思想的な概念が、彼女達の学生生活の中に存在していても、決して不自然ではないと思った。
そのため、この物語では「選別」という概念を軸に、宗教や思想が人間の認識にどのような影響を与えるのかを描こうとしたのである。
結果的に、アストレアとリヴァナという二人の女学生は、この理由のためだけに配置された存在だと認識して貰って構わない。言ってしまえば、この二人にはこのために来て貰ったのである。
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【アストレアとリヴァナについて】
アストレアとリヴァナは、読者にも分かりやすいキャラクターデザインにしてある。アストレアは貴族側、つまり地位の上位層に属する。対して、リヴァナは平民階級である。
ただ、それだけだ。二人のイデオロギーは、「均衡」と「改革」といった思想を基礎としている。
そして、それらを旧約聖書における人類の始祖が天界から人間界へと堕とされたという物語や、蛇の話といった内容に絡ませているのである。
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【『疾き(時)に”選別”は死角(視覚)-眸界外より控えて-』の内容】
本編では、アストレアとリヴァナ、それぞれの視点からストーリーが始まる。二人は互いにナーレ達を視線で捕捉している。しかし、その一方で、遠巻きにアストレアとリヴァナ自身が火花を散らしている。つまり、ナーレ達を見ている二人が、同時に互いを見ているという構図だ。
アストレアとリヴァナが「自己紹介」という形を借りて、お互いの思想と社会的な地位がどのようなものであるのかを、自らナーレ達へ説明してくる。
先ず、アストレアは、ナーレ達が大量の本を机に並べて調べ物をしている姿を目撃する。『秩序が喪われてしまう。それでは知識自体を上手く扱えない』そう指摘して、ナーレ達を注意する。
この時点で、アストレアが「秩序」を重視する人物であることが示されている。
逆に、リヴァナはその様子を見て、『冊子の山を前に、真剣そうな顔をして――まるで小さな貴族が国を治めるようね』と指摘してくる。
ナーレ達を巡っているように見えて、実際にはアストレアとリヴァナがお互いの思想をぶつけ合っている。まあ、要するに、この二人はお互いにバトっているんですけども。
その後は、先程申し上げたように、旧約聖書やゾロアスター教といった宗教的概念を持ち出し、抽象的な論破モードへと突入していく。
……まあ、ここまで来ると、さすがに説明しておいた方がいいでしょう。何を言い争っているのか分からないままでは、本編の「選別」という概念も伝わりにくい。
というわけで、ここからは少しだけ、この二人が何を巡って論破し合っているのかを説明しておく。
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【アストレアとリヴァナの抽象的論破モード】
全部を引っ張り出して説明すると大変なので、ここでは箇条書きにして整理する。
≪アストレア≫
・「高貴なる者は、それに応じた義務を負う」という考え。
・身分や地位には、それに見合った責任が伴う。
・知識や力を持つ者ほど、秩序・礼儀・品位を守る必要がある。
・「原初の火」は、無秩序にすべてを焼き尽くすものではないと考えている。
・蛇や果実の物語も、責任や秩序という観点から捉えている。
≪リヴァナ≫
・身分や立場によって価値が決定されることへの反発。
・「価値とは立場次第で変わる」という考え。
・秩序や貴族の責任そのものを、人を縛るものとして捉えている。
・自由を重視し、既存の秩序を疑う。
・蛇や果実の物語を、叡智や自由を獲得するための象徴として捉えている。
つまり、この二人が延々とやっていることは、
『アストレア=秩序・責任・均衡 対 リヴァナ=自由・改革・叡智』という思想のぶつけ合いである。そこへ「始祖」「蛇」「リンゴ」「原罪」「炎」といった宗教的な概念を持ち込んでいる。……要するに、女学生二人がナーレ達の前で、ものすごく遠回りな方法で思想論争をしている。
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【ナーレ達とアストレア/リヴァナを配置した理由】
ここでは、なぜナーレ達とは別にアストレアとリヴァナを配置したのか、その理由について説明しておく。
端的に言うと、ここでは「思想グラデーション」をイメージしている。
登場人物を、それぞれ異なる社会的・経済的な立場に配置することで、同じ出来事に対しても異なる視点や思想が生まれるようにしている。
おおまかな位置づけは、以下の通り。
ナーレ:裕福な農家
フィーネ:一般的な平民
アヴェーラ:貴族ではないが、商家の出身
アストレア:貴族
リヴァナ:一般的な平民よりも貧困層
つまり、単純な「貴族と平民」という二極構造ではない。
裕福な農家、一般的な平民、商家、貴族、そして貧困層。
それぞれの立場を少しずつずらすことで、ナーレ達とアストレア、リヴァナの間に「思想のグラデーション」が生まれるように配置している。
※初案では、アヴェーラを貴族として設定していた。しかし、途中からアヴェーラを商家の出身へと変更したことで、物語から「貴族」という記号が抜けてしまった。その記号を補うために生まれたのが、アストレアである。
そして、アストレアを配置した結果、対になる存在としてリヴァナが必要になった。つまり、消去法的に言えば、リヴァナが生まれたのも「必要になったから」というだけに過ぎない。
実際、このまま学園ライフが続いていく形だった。そう……私も思っていたのだが。ある日、急に「コロッセオで弁論大会をやろう」と考えてしまった。
結果、学園ライフは立ち消えになった。……どうしてこうなった。
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【『疾き(時)に”選別”は死角(視覚)-眸界外より控えて-』の難しかった点】
これについては、私自身が述べていく。
ここから先は、新人WEB作家の方々が第三者視点による心理描写を描く際の、ひとつの資料として遺しておきたい。
第三者視点の心理描写において、何を描き、何を描かないのか。そして、そこで「画竜点睛を欠く」と、文章はどうなってしまうのか。
その実例として、この『疾き(時)に”選別”は死角(視覚)-眸界外より控えて-』を振り返っていく。
先ず、本編と前書きから該当箇所を抜粋する。実際に読んでもらえば、一発で分かると思う。
【前書き抜粋】
図書館の奥、木製の棚と石造りの壁に囲まれた一隅に、二人の姿があった。ナーレたちからは距離があり、視界の端にかすかに映る程度の場所だ。リヴァナは窓辺の机に腰掛け、手にした赤いリンゴをゆっくりとかじる。ページをめくる音や、微かに床を踏む音さえも無視するかのように、体の重心をあちこち移動させ、机の上の資料に軽く触れる。
その仕草には、規則や立場を気にせず、自分のタイミングで動き、考え、反応する自由さがあった。ナーレたちは準備に没頭しているが、リヴァナは文字通り「自分の都合で空間を操る」存在に見える。
そのすぐそばで、アストレアは背筋を伸ばして立ち、手元の書物をちらりと覗き込む。彼女の瞳には、貴族としての義務と責任の重さが映るが、同時に遠くで自由に振る舞うナーレたちへの微かな羨望がにじむ。二人は互いに距離を保ちつつ、微かに意識し合い、そして同時にナーレたちの動きをじっと見守っていた。
リヴァナは軽く笑みを浮かべ、口元のリンゴにかぶりつきながら、心の奥で思う。
「ふふ、あの子たち、まだ何かやるつもりね。自分の方法で動き、順序も速度も自分で決める。真面目にやるからこそ、面白い。私は権力に縛られてこんな風に自由には振る舞えない…」
アストレアもまた、息を整えながら観察する。
「真面目にやるから目立つのよ。でも、この秩序の中で、ルールに縛られず自由に手順を組み立てるあの子たちを見ると、羨ましい。私も貴族としての立場に縛られ、好き勝手には動けない。その息苦しさを、あの子たちはまだ知らないのね」
二人は物理的には距離を置きながら、同じ空間に身を潜め、ナーレたちの世界に静かに、しかし確かに入り込んでいた。
図書館棟の木製の棚と石造りの壁の間で、物語はそっと歩みを始めようとしていた。舞台の袖に潜む観察者のように…。
「では、その観察者はどこまで見てよいのか?」これは、本編に入る前の問い掛けとして配置している。前書きでは、物語の舞台や登場人物の関係性を俯瞰すること自体には問題はない。
問題だったのは、その概要説明の中で、登場人物の内面まで直接描写してしまったことだった。
つまり、舞台の袖から物語を観察しているだけのはずが、いつの間にか登場人物の心の内側にまで入り込んでしまっていたのである。
それは本編でも発生しているので、注意深く見てみよう。
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【本編抜粋】
アストレアは軽く息を吐き、頷きながらも鋭い眼差しを逸らさない。
「なるほど……理屈は分かったわ。でも、次回からは秩序を意識なさい。混乱があれば、努力も無駄になる」
窓辺でリンゴをかじるリヴァナが、微かに笑みを浮かべる。
(ふふ、やっぱり先に動くのはアストレアね)
その笑みは、秩序を重んじる者の反応を楽しむ、無邪気な好奇心の表れだった。アストレアは深く息を吐き、視線を私たちから逸らす。窓辺のリヴァナを見つけたのだ。
「……あなたたちの背後であの子が笑っているのも見えるわ。まったく、自由すぎる者はいつも周囲をかき乱すものね」
私たちはちらりと視線を向けるが、リヴァナは静かにリンゴを口にし、微かに笑むだけだ。 アストレアは苦笑しながらも、その無邪気な悪戯心を警戒していた。
「自由もいいけれど、秩序を忘れては駄目よ」 彼女は冊子に視線を戻す。「私たちは、規則の中でこそ力を発揮できるのだから」
リヴァナは指先でリンゴを転がし、皮をかじる。
「この果実もまた、飢えを満たすだけのもの……でも、貴族たちはその尊さに夢中になるのね」 窓辺の彼女の無邪気さと、秩序を重んじるアストレアの厳格さが、静寂の中で微かな緊張を生む。
「そんなに慌てなくてもいいのに」 リヴァナの声がゆったりと響く。
「冊子の山を前に、真剣そうな顔をして――まるで小さな貴族が国を治めるようね」
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というのが、今回の問題点である。
「今の文章を読んでも、何が問題なのか分からないよ」と思った新人WEB作家の皆さんは、ここで一度、筆を置いて下さい。
多分、今の段階で書き続けても、同じところでミスるぞ。これは煽っているのではなく、実際に私自身がそこでミスったという実例である。読んだ通りだ。何がミスったのかは、申し上げなくとも一瞬で気付くと思います。
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【エピソード51 賢闘士編:『疾き(時)に”選別”は死角(視覚)-眸界外より控えて-』のタイトルの命名理由】
ナーレの視線や意識の外で、リヴァナとアストレアの思想的対立は、静かに、しかし確実に展開していた。ナーレ達から見れば、それは死角に存在する出来事である。
その「死角」に潜む選別の力が、三者の関係性を暗示していた。
だからこそ、このエピソードには『疾き(時)に”選別”は死角(視覚)-眸界外より控えて-』というタイトルを付けたのである。
※勿論、彼女達に引っ掻き回された結果、作者自身の視点までもが『死角(視覚)-眸界外より』控えてしまったことも、痛烈なミーニングになった。何しろ、登場人物を観察していたはずの作者まで、いつの間にか「眸界外」に追いやられていたのである。
「エピソード50 賢闘士編:『疾き(時)に”選別”は死角(視覚)-眸界外より控えて-」(In.Ⅰ)』」
皆様、最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
『第五十一話「疾き(時)に”選別”は死角(視覚)-眸界外より控えて-」(In.Ⅰ)』において、プロットや物語の進行意図を、少しでも感じ取っていただけたのであれば幸いです。
私は皆を見上げ、首を傾げ思案する。
(……え、結局、何を見せられたんだろう?)
ヴァルが静かに声を落とした。
≪どうやら、あれは遠回しなライヴァル宣言に加え、彼女達なりの自己紹介だったようだ≫
私はようやく理解し始める。三人は無言で机に戻り、積み上げられた冊子を整理する。
アヴェーラは冷静に全体を見渡し、フィーネは流れを整理しながら動く。私は緊張を胸に抱きつつ、自分の担当部分に集中している。
窓辺ではリヴァナが微笑み、アストレアは厳しい視線を向けていた。二人の存在は、静かな刺激となり、私の認識齟齬を高める要素になっていた。
こうして、静かな図書館の中で、私たちはそれぞれの立場と心理差を抱えながら、次の展開に向けて着実に準備を進めていく。
【疾き(時)に“選別”はされるんだ。どんな時もそれは視界の外からはい寄る】
……皮肉なことに、作者自身が「視界の外」から登場人物の内面を覗き込んでいたのである。そして、さらに皮肉なことに、登場人物もまた、作者自身の「視界の外」から、その内面を覗き込んでいたのである。つまり、双方に存在する死角にこそ、『時』は存在している。
2026/08/29:追伸。
賢闘士編を敢えて修整しないまま、そのままでもいい気がしてきた。
多くの人は『賢い』という意味を勘違いしている。
賢いなら死角なんて、角度は無いはずだ。
つまり、ティンダロスの猟犬を出現させない為に。
丸い部屋を造るのと同じ事をする訳だ。
然し乍ら、人体に角が或る限り。
ティンダロスの猟犬はその内角より出現する。
次元に於いて内角は存在しない前提であるなら。
このミスは仕方ないことかもしれない。




