「エピソード50 賢闘士編:『湛えて宿れ、女神達(ムーサ)の光よ!』」
≪今度はコモディティーに手を出すんですか? とっかえひっかえ、躊躇いもなく。乙女に為さるのでしたら、厳重注意の領域を超越しますよ?≫
ヴァルは、私が証券口座で行った注文状況を見て、揶揄した。
【とっかえひっかえ? ヴァル、君はコレを乙女と称するのは辞めてくれ給え。確かに皆、己の乙女たり得る女神へ投げ銭を投じている訳だ。いつか無垢なる時、報われる時を眺めて。必要に応じて売る、その瞬命を囀る】
板に張り付く投資家が、聲を張り上げる。
『一八〇〇円で乞う!』
『否! 二五〇〇円で獲る!!』
とっかえひっかえ、乙女を左右へ、上下へと揺らして……。
【成り行きを見守るか? それとも指を差して、指名するか? 彼女は、どちらに靡くと思う?】
乙女は円盤の上で踊り出て、踊る。
≪九時から十五時半までの遊戯ですか? では、彼女は誰に微笑むのでしょう?≫
【さあ? 誰に乞い、誰に指名して欲しいか……彼女が囀ることは無い。その時になれば分かる】
――――至上の時間だけ彼女は舞台に立つ。
そして、誰もが彼女に微笑む。
そこに集まる者達が彼女の値を競っては、売購入を繰り返す。
【彼女の値段は幾らだろう。今日はこの値段、明日はこの値段で売られる。まるで奴隷さ。ポールダンスの柱で踊る女神だ。――――何時になれば救われるんだろう?】
乙女は女神の箱庭で踊る。
金の上に寝そべり、男達に憂いを宿す。
そして微笑み、幾許かの溜息。
――――皆、彼女を侍らせて、こう言った。
『もっと! もっとだ! 俺達に夢を魅せてくれ! もっと金が欲しい!!』
脂ぎった貌。
豚のイチモツに等しき指。
愉悦に歪んだ口。
誰も彼れも金の上で踊り。
何時しか、崩れる時を待ってる。
≪醜いですね……≫
【あぁ……そうだな。とても醜い。視難いからこそ、人は金が一番見やすいのさ】
主は、はした金で彼女を指名する。
彼女は一瞬だけ此方に視線を投げ、接吻を寄越した。
【さて、君を必ず堕とす。その時を俺は待つ】
「……次は君が堕ちる番だ」
主は待った。囀る時は一瞬である故に、主は二度目の視線を投げず。
テーブルに置かれた骰子を弄び、手持ち無沙汰を憂いた……。
『女神達の光よ! 湛えて宿れ……』
九柱の女神達に縋っては、金を投げ飛ばした。
詩歌、文芸、音楽、舞踊、学問を得るために。
──市場の揺らぎは、古代の戦士達が海を越えた時の鼓動に似ている。
そして主は、遠い昔の海を思い描いた。
最初に岸を離れた者が、風を裂き、歌を生んだあの瞬間を。
金の男達が、己の運命を賭して“物語”を始めた時を。
トロイヤの岸を最初に離れた者を。
荒ぶる風を裂き、海を越え、己の武器と魂を掲げた者達を。
――――彼等の歩みは、今もどこかで賛歌となり、世界の底を震わせている。
「私もいづれ、殿堂に至れるのだろうか? 其処に至るには? 何を賭せば善いのだ?」
彼女は囀ることも無く、微笑み、憂う。
人類史が終末を遂げて、明星が空ける頃。
彼女はやっと、安らぎを得るのだ……。
『湛えて宿れ、女神達の光よ!』について、そのプロセスとプロットを明示する為に、改めて本編を復習している。
【とりあえず、当時の私は後先考えずに、このシーンを挟んだと言っても過言ではない。――では、このシーンは一体何をやっているのか。今回はそこを説明する。いつもの通り、引用が多発しているので、読者の皆様におかれましては、引用元も併せて確認してくださると幸いです】
【引用元リスト】
出典:ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ著『ファウスト』より
出典:ウェルギリウス著『アエネーイス』より 第1篇
……といった要素が、ちょこっと挟まる。
さて、前向きは良いとして……説明していこう。
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『湛えて宿れ、女神達の光よ!』のプロセスとプロットについて。
『湛えて宿れ、女神達の光よ!』を挟んだ目的は、四十九話『羅甸と羅点のテンポ(典歩/転歩)に乗って』にて、ネル先生が「ラテン語の発表会をする」と宣言したからである。
皆も学生時代、班での発表会とか経験しただろう……。
『湛えて宿れ、女神達の光よ!』では、ラテン語を学ぶ上で、ギリシア文学や古典文学を切り捨てることはできない。
そのため、中世五世紀という時代設定を踏まえ、ギリシア神話そのものではなく、ウェルギリウス著『アエネーイス』を引用した。
これにはもう一つ理由がある。主人公達を、「トロイアの英雄:アエネーアース」として位置付けているからである。アエネーアースの「避難・出発・旅立ち」が、ここでは象徴的な記号として置かれていると思ってくれればいい。
出典:ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ著『ファウスト』。
こちらはメインストーリーでも説明している通り、「ああ、二つの力が魂の中で揺れている……肉体は迷い、精神は真理を求める」という、ファウストがメフィストフェレスとの契約前後において、肉欲と知識欲の狭間で葛藤する場面を引用している。
これは、ナーレ達が学問を学ぶことで叡智を求める一方、その過程で肉体は苦痛に喘いでいる、という構図を抽象的に抜粋したものに過ぎない。
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【タイトルの命名について】
『湛えて宿れ、女神達の光よ!』の命名理由だが、これはギリシア神話に登場する女神達、ムーサイから得ている。
ギリシア神話におけるムーサイは、九柱の女神達である。ところが、タイトルを見て頂きたい。
『女神達』としている。
ここで配置している「ムーサ」は、ギリシア語の複数形ではなく、ラテン語の Mūsa、すなわち単数形である。
本来、九柱の女神達を指すのであれば、複数形を置くべきだろう。では、なぜ敢えて単数形を置いたのか。――ここが、『こちユル』で脚を引っ掛けるために配置した部分である。
語学に秀でた方ほど、「あれ? ムーサではなく、複数形では?」と一度立ち止まることになる。これは誤りではない。
むしろ、その違和感そのものを仕掛けとして置いている。ギリシア神話におけるムーサイは九柱の女神達であり、本来であれば複数形として扱うべきだろう。
しかし、今回登場するキャラクターは三人のみである。ナーレ、フィーネ、アヴェーラ。それぞれに宿る柱は、一つの柱である。
そして、人一人が信奉するものは唯一無二である。だからこそ、ここでは単数形の「ムーサ」を使用している。九柱のムーサイを一括りにしているのではなく、一人の人間が一つの柱を信奉し、一つのムーサに焦点を置く。
語学的には「ムーサイではないのか」と脚を引っ掛けられる。だが、その違和感こそが、この場面における単数形の意味である。
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【『湛えて宿れ、女神達の光よ!』でやっている事】
すんごい簡単に説明すると、文献から引用して、ラテン語を各自で組み替え、新しい文章を作って発表しよう、ということですね。
つまり、既存の文献をそのまま読ませるのではなく、そこから言葉や表現を拾い上げ、それぞれが自分の文章として再構成する。
『湛えて宿れ、女神達の光よ!』では、それをナーレ、フィーネ、アヴェーラの三人が行っているわけです。
※最初は、聖書からの引用をイメージしていました。
しかし、中世の学問を扱う以上、ギリシア文学は切り離せない。さらに、ギリシア文学は後世の哲学や思想にも少なからず影響を与えている。
そのため、当初考えていた聖書だけではなく、ギリシア文学や古典文学からも引用することにした。
『ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ』は十八世紀の著者ではあるが……まあ、偉大な著者であるため、配置することにした。
僕は『エルンスト・テオドール・アマデウス・ホフマン』の方が好きです。浪漫、怪奇、奇譚、幻想小説が好きだから仕方ない。
現在でも、バンベルク劇場前にはブロンズ像が、ベルリンの地には墓石が残されている。
(話が脱線したな……)
とりあえず、ヴァルの力を借りつつ引っ張り出された内容が、実は聖書に基づいているのは内緒だ。
Lux aeterna luceat eis, Fides et sapientia ducant ad veritatem, Gaudium et pax in corde permaneant.
(永遠の光が彼等に輝きますように。信仰と知恵が真理へ導きますように。喜びと平安が心に宿りますように。)
聖体拝領唱や聖歌から引っ張っているのも内緒だ……。
Sic anima semper movetur――
「かくして魂は常に動く」はファウスト由来であり、ナーレとヴァルを隠喩している。
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本文の構成を検めると、そう言う事らしい……。
深い理由も意味も無いのだ。――――ヴァルも最後に口している。
《文字を追い、声に出し、意味を噛みしめる。焦らず、遊ぶように学ぶこと、それが第一歩だ。
すでに積み上げた素材を信じ、自由に組み替えよ。魂の動きは、文字と声と心の中にある》
皆様、最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
『第五十話「湛えて宿れ、女神達の光よ!」』において、プロットや物語の進行意図を、少しでも感じ取っていただけたのであれば幸いです。
「Lux aeterna luceat eis――」が、迷う心に、貴女様に小さな光を届けることを願っています。
《文字を追い、声に出し、意味を噛みしめる。焦らず、遊ぶように学ぶこと、それが第一歩だ。
すでに積み上げた素材を信じ、自由に組み替えよ。魂の動きは、文字と声と心の中にある》
巡礼の地は未だ遠い……だから信じた給へよ。
己が切り啓く途を。
金の男達が、己の運命を賭して“物語”を始めた時を。
トロイヤの岸を最初に離れた者を。
荒ぶる風を裂き、海を越え、己の武器と魂を掲げた者達を。
――――彼等の歩みは、今もどこかで賛歌となり、世界の底を震わせている。
≪Musa, virum multarum artium cano. Si varias sententias coniungeris, litterae plenae resonabunt.≫




