「エピソード48 賢闘士編:『神は信抱者/神抱者(しんほうしゃ)を求める』」
≪それで? 信抱者/神抱者とは?≫
ヴァルの声が私に諮問を投げかける。
【さぁ? 君が思っている事が答えかもね。いい加減、大人なんだから。君自身でどちらであるか決めたらどう?】
私は当たり前のことを口にする。
≪また、『そうかもしれないし。そうじゃないかもしれない』ですか? その論理は意地悪ですよ。いい加減、大人なんだから。君自身でどちらであるか決めたら、如何でしょう?≫
ヴァルの返答は私の表裏の裡を貫く。
【そうかもな? 君の名の由来と同じく。私達は常に一つを見抜こうとして、表裏の裡を貫く。それは、いつまでも不変的にあろう様に見える。然し、俯瞰してみると、変位の中で変異的且つ変移していく。人という器がある限り。それは異動していく。移動している様にも見える】
私は空と海を交互に指差した。
【どちらも海原に見える。この日中に於いて。然し、夜中に於いては、どちらも宙になる。どちらも表裏の裡に揺蕩っている。どちらも表裏の裡に息づいている】
ヴァルは私の隣に佇んでいた。
【だから、ヴァル。お前は私の常に隣にいる。其処が”定位置”である】
ヴァルは少し呆れた眸で海原という宙を眺めた。其処には境界が無いように思えて。実質的には、オゾンの層が一枚挟んでいる。その表裏の裡に私達が佇んでいた。地球という地標の表に張り付いて、息づいている。
≪僕等はナニを眺めているんですか?≫
【それは勿論。宇宙の地標の表を眺めているんだ。常に臨んでいるだろ?】
私達は空と海に交互に映えた。それらが揺れ動いているように思えて、佇んでいる。
≪もう……。おしまいに致しませんか? この旅路を≫
ヴァルは私を眺めて、そう口にした。
――その何とも言えない飽きが滲んだ。ヴァルの顔に苦悶が張り付いている。焼けに入ったフィルムの様だ。
––––私はそれが、気に入らない。
【僕は未だ善いって決めてない。この海原だってその上を奔って往ける筈なんだ】
私が境界面、その喫水線の上へ足を延ばしても、ヴァルは止めようとはしない。
≪未だ往かれるので?≫
ヴァルは私に背中越しに、そう寄越した。
【『そうかもしれないし。そうじゃないかもしれない』。私に行ける資格があるのか? それを確かめる】
唯一無二の神を信抱者/神抱者は求める。
唯一無二の信抱者/神抱者を神は求める。
どちらも交わる様に見えて、常に表裏の裡に或る。
人と神という器がある限り。それは異動していく。移動している様にも見える。
変位の中で、変異的且つ変移していく。
時間と世代が写り変わり、人という層位が異動していく度。それが或る限り。
人とは常に、器というものに限りなく近く、いつまでも不変的にあろう様なモノ。俯瞰し変位の中で変異的なモノを求める。
『人とは常に、神という信抱者/神抱者を求めている。それは数多に有りて、唯一無二の存在なるモノ』
作者は唯一無二でそれを口走る。観測者として。信抱者/神抱者を求めている。それは基本的概念である。
『それは或るから、前提だから。諦めるとか飽きるとか、此処で観測を辞める理由にはならない』
《その北極点しかないでしょう? 貴方様は常に其処に還るのだから……。何時になったら南極点に至るのですか?》
【南極点にまっすぐ行ったら、面白くないだろ。だから少し惑わせてるんだ。そろそろ──君自身で選べ。北極点に留まるか、南極点へ向かうか。行けるか、行けないか。決めろ】
どうせ、皆見ていないのだろう。作者なりに懸念である。
(これから徐々に、余計に難しくなっていくこと。――私自身が薄ら寒い)
『神は信抱者/神抱者を求める』のプロットとプロセスを開示していきたい。読みたいなら読めばいいさ。君には選択権がある。
【これから、もっと『こちユル』を知りたいのか。それとも負け犬の様に回れ右するか。其れともけたたましく慟哭するか】
(どうでも良いか。君が選ぶ事だし。私には興味はないね。私は観測すると決めたこと。君に強制する事では無かったな)
さて、説明していこう……。どうせ長くなる。君の人生と同じ様に長くなるんだろうな。とっとと始めよう。
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【『神は信抱者/神抱者を求める』のプロットとプロセスについて】
『神は信抱者/神抱者を求める』のプロットとプロセスについては、凄く単純だ。
それを箇条書きにする。
⓵「魔術師は賽を手では振らない‐終章編‐:阿吽なる定め‐」からのあらましをフィーネとアヴェーラに伝える。
※ここで、喪われた三枚銅貨の日誌要素を一度配置する。ナーレの回想という形で日誌を書いていることを、読者達に忘れさせないようにしている。
②ヴァルを現実へと登場させるという意図として、フィーネとアヴェーラに紹介する。
※ここでは自己紹介として、「ヴァルという神が存在している」という形と、フィーネとアヴェーラにも守護神が居るのだということを朧げに出している。
③フィーネとアヴェーラの力についての説明。
※途中で、フィーネとアヴェーラの力についてヴァルが懇切丁寧に説明している。しかしながら、こちユルでは「スキル」という概念がないのだ。
本文中では以下の様にヴァルが説明している。
≪フィーネ、君は中級神として、危険や不正を瞬時に察知する力を持つ。だが、その力は不安定で、全ての事態を察知できるわけではない。さらに、使用には限界がある。力を使い過ぎれば、まるで**老婆のように頭を垂れることになる**だろう≫
≪アヴェーラ、君は上級神として、知識と情報を扱う力を持つ。過去や未来の一部を読み取ることができる。しかし、連続して読み取れば力は不安定になり、**手の甲を流れる水**さえ追えなくなるだろう≫
ヴァルが懇切丁寧に、まるでスキルが守護神から授けられたものであるかのように説明している。しかし、よく文章を読み込むと、それが偽りであることが分かる。一つずつ分解していこう。
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【ヴァルが指し示すスキルの概念】
こちユルでは、スキルは存在しない。魔法らしい魔法も存在していない。この事だけは、念頭に入れておかなければならない。しかし、ヴァルはスキルが存在していると明言している。こちユルではスキルという概念そのものが存在しない。これは、明らかに矛盾している。
では、作者が嘘を言っているのかというと、そうではない。確かに嘘の様に思える。然し、ヴァルが指し示す「スキル」というのが、神からの視点だったらと考えるのが筋だと思う。
こちユルの神々は、基本的に「信奉」という信力によって神として存在している。それが失われると、神は死に、別の神へと入れ替わるという設定がある。
しかし、ここで重要なのは、こちユルの神々は基本的に精神体であるということだ。
彼の言っている「スキル」というのは、人の力や自然の力である「オド」や「マナ」といった概念ではないということを意識せねばならない。また、この力は人の六感を介して発生している。
つまり、これは人間や自然そのものが持つ力ではなく、人の認識そのものに根差した力なのである。
彼のスキルは、人間が知覚している領域において力が顕現する。そのため、人間側からは、その有用性が目に見えない状態となっている。
人にとっては、それは常識的な力として発生している。然し、神から見れば、それは「スキル」として貸与されている状態なのである。
フィーネとアヴェーラの能力は人間の人の認識そのものに根差した力をそのまま説明している。
フィーネの場合、「危険や不正を瞬時に察知する力を持つ。だが、その力は不安定で、全ての事態を察知できるわけではない。さらに、使用には限界がある。力を使い過ぎれば、まるで**老婆のように頭を垂れることになる**だろう」とヴァルは説明している。
しかし、要するにこれは、直観力を説明しているだけに過ぎない。
直観は、推理力や洞察力にも直結している。それを繰り返し、連続して働かせていれば、誰だって疲れてしまうだろう。つまり、これは特殊な「スキル」を説明しているのではない。普遍的な人間の能力を示しているだけなのだ。
アヴェーラの場合はその反意であり、こちらは論理的推論による未来視を指している。
≪アヴェーラ、君は上級神として、知識と情報を扱う力を持つ。過去や未来の一部を読み取ることができる。しかし、連続して読み取れば力は不安定になり、**手の甲を流れる水**さえ追えなくなるだろう≫
**「手の甲を流れる水」さえ追えなくなるだろう**というのは、バタフライエフェクトを指している。
論理的思考を積み重ねることで、そこから導かれる未来を読み取ることはできる。しかし、それを繰り返し、連続して未来を予測しようとすればするほど、僅かな変化が別の結果を生み、予測そのものが不安定になっていく。
つまり、「未来視」という超能力を説明しているようで、実際には論理的推論を極限まで拡張したものとして定義しているだけなのだ。
だから「スキル」という神側の認識では成立するけれど、人間側から見れば、知識・観察・推理・洞察を極端に高度化した能力として成立する。
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【最終的な神々の答え】
≪選択の儀では、君達はこの力を神から授かった。蝋燭に火を灯すようにして選別され、上級神、中級神の座に就いた――その詳細は、君達が体感した通りだ≫
そういう風に、ヴァルは儀式の意図を最後に回答してくれる。
此処で分かるのは、能力をゼロから与えた儀式ではなく、既に人間の中にある力を顕現させ、神の側から「スキル」として認識・貸与するための選別だったということだ。それが、後から開示される。
つまり、選択の儀で選ばれる者と、神の側からスキルとして認識・貸与される者は、予め定められているということになる。
「選択の儀」と呼ばれてはいるが、選択されること自体は、既に決定されている。何故なら、その者自体がスキルであるという意味だから。
つまり、神々からすれば「わざわざありがとうございます」とでも言うように、既に定められた者へ蝋燭に火を灯すだけの行為だったということだ。
それこそが、「選択の儀」という大仰な名称に対する意趣返しの描写だった。
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(はい。そこまで読んだところで「後出しが多い」と思ったでしょう? でもまだあります)
えっとですね? これって作者のミスなんですね。
「どういうこっちゃねん」って思ったでしょ?
【君達が『作者が嘘を言っている。確かに嘘の様に思える』という感覚は正しかったということだ】
それはですね? ナーレだけには、ヴァルとの念話によるサポートがある訳です。
では、他の人々には一体どういう力があるのだろう。読者もそう思うだろうと考えた結果、スキル付与という設定が先行してしまったんですね。
ところが、後から考えてみると、こちユルにはそもそも「スキル」という概念が存在していない。「これはどういうことだ?」となった。
そこで、後からその矛盾を反転させて、神の側から見れば「スキル」として認識されているのだと繋ぎ直した。言ってしまえば、後から設定をひっくり返して誤魔化した訳です。
そして気が付けば、その「誤魔化し」そのものが、『神は信抱者/神抱者を求める』というストーリー全体の構造へと繋がっていった。
【ね? ――私自身が薄ら寒いって思う状態でしょ? 私はずっと、書きながら後から誤魔化しているんだ……】
こちユルが厄介なのは、作者が誤魔化そうとする度に、反転による意趣返しを連発してしまうところだ。その結果、読者達は別の解答を見つけてしまう。
『ああ! そういうことね。なるほどね』そうやって一度は納得する。然し、それすらも後から別の意味へと反転していく。
つまり、作者が矛盾を誤魔化そうとする度に、その誤魔化し自体が新たな解答として成立してしまう。そして読者は、その解答を「本当の答え」だと思ってしまうのだ。
それが『こちユル』の正体だ。
その解答を「本当の答え」だと思っても、時間が経てば、「それは違っているのではないか」と読者達は勝手に考察していく。
そして、考察を重ねるほど、最初に提示された「本当の答え」が何だったのかを忘れていく。作者が矛盾を誤魔化したという事実さえ、次第に薄らいでいく。
読者自身が別の解答を生み出し、最初の解答を過去へ押し流していく。それが、『こちユル』で何度も伝えている「拐す」や「誑かす」の正体なのだ。
皆様、最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
『第四十八話「神は信抱者/神抱者を求める」』において、プロットや物語の進行意図を少しでも感じ取っていただけたのであれば幸いです。
【だから、言ったじゃん。道化師であり、魔術師だって。私は常に嘘を吐くから、ちゃんと見張ってないとダメなんだから。……ちゃんと見てないと】




