「エピソード47 中世編:観測編(リウィウス・セラニウス視点)『主は侮られず──苔岩穿つ』」
【さてと、アフターストーリーで一番厄介極まりない話しが来ちゃったな……】
私は常々思うのだが、設定の中に宗教的な概念が混ざってくると、それを読者の皆様にどう説明すればいいのか、どうしても悩んでしまう。
【基本的に『こちユル』では、ギリシャ神話およびキリスト教における思想・概念が、度々登場します。特に、一部の台詞にはキリスト教の聖書から引用している箇所もございます。そのため、各章に登場する聖句については、可能であれば一度目を通して頂けますと、より物語を楽しんで頂けるかと思います】
さて、宗教的な概念については一旦置いておきましょう。今回は、アフターストーリーである「主は侮られず──苔岩穿つ」のお話をしたいと思います。
メイン連載の前書きでも説明しておりますが、改めてこちらのサブ連載でも、今回描かれる場面について少し説明していきます。
本作では、アウローラ神聖国を舞台とした政治劇が描かれています。かつて祖父が築いた基盤の上に、若き皇帝リウィウス・セラニウスは立っていた。しかし、国庫は疲弊し、民衆の不満は鬱積し、さらには周辺国からの脅威も迫っている。父王マルカスの理想主義は国を弱体化させ、その失敗の記憶は、今なおリウィウスの胸に重く刻まれていた。
彼は学び、そして悟る。――理想だけでは国は動かない。現実を制する情報こそが、国を支えるのだと。物語は、そんな若き皇帝リウィウスと、摂政タキトゥスによる密談から始まる。
今回のアフターストーリーでは、このような場面が描かれていました。
此処一度だけ改めて、読者の皆様には「アウローラ神聖国:バックボーン設定資料」にも目を通して頂きたいと思います。
時代は中世5世紀。かつてのイギリス本土では、七王国が存在していた時代です。
『こちユル』では、アイルランドを本国としており、アウローラ神聖国についても「実在する国家ではなく、あくまで架空の国である」と説明していたかと思います。
ただし、この時代背景については、改めて留意しておいてください。詳しくは、以前のエピソード、「エピソード17 中世編:それでは本気と行きましょ? 『観念と理念』」こちらも、宜しければ再度ご確認ください。
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【アウローラ神聖国:バックボーン設定資料について】
https://syosetu.com/userblogmanage/view/blogkey/3496975/
※確か、「夢境監察局の構成、目的、思想について」の設定を考えた六日後、七時間ほどかけて、かつてのイギリス本土に存在した七王国の領土を調べ、それぞれの領域を見比べました。
その上で、実際に存在した国々の領域を参考にしつつ、国名などを変更してアウローラ神聖国の設定へ落とし込んでいます。……とはいえ、実際の七王国がどのような国家であったのか、あるいは、それぞれがどのような文化や政治体制を主としていたのかについては、私自身もまだ詳しく理解しているわけではありません。
あくまで史実をそのまま再現したものではなく、歴史上の地理や領域を参考にした創作上の国家設定である、とご理解いただければ幸いです。
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――――では、私が説明すると長くなってしまいますので、後は皆様ご自身でご確認下さい。皆様の眦に憂いが残らぬように。……必要な資料への道筋だけは、此処に置いておきますね?」
『主は侮られず──苔岩穿つ』のプロセスとプロットは、一体なんなんだよ!……読者の皆様も、もう何が何だか全く理解不能になっていると思います。
【大丈夫、前書きは序章だぞ? 「聖書を調べて来てね? お願いね?」って俺が言っても、結局は説明するってことを、そろそろ早く理解した方が良いぞ】
まあまあ、善い!一旦、何で『主は侮られず──苔岩穿つ』を描いたのか、その目的から話すわ……。この話をアフターストーリーに挟んだこと自体が重要なんだよ。
【主は侮られず──苔岩穿つの目的について】
『主は侮られず──苔岩穿つ』の目的については、すっごい複雑な状態のまま、勢いで書いたんだ。
その理由については、『喪われた三枚銅貨』に準拠しています。……なので、まずは『喪われた三枚銅貨』から説明したほうが早い。
『喪われた三枚銅貨』では、アウローラ神聖国の城下街を描きました。
その際、読者の皆様はナーレと共に、港町の波止場にある「ネァド・ナ・グクレフ(クレイトの巣)」と呼ばれる場末の酒場へ向かったことを覚えているかと思います。
このサブ連載をここまで読んできた方なら理解していると思いますが、実はもともと、城下街に港区なんて存在していなかったんですよね。
つまり、『主は侮られず──苔岩穿つ』の目的とは――即興で生えてきた設定を、さも最初から存在していたかのように成立させるための話です。
……はい。如何にして城下街に港区が存在しているのか。
そこを考えた結果、「船を利用した商業も存在していることにしよう」となり、その後の理由付けとして、中世5世紀の七王国を一つの架け橋として利用した。ただ、それだけなんです。……いや、本当に。
(読者の皆様、即興で生えた設定に後付けで強度を付与していく速度に、理解が追い付いていませんね?)
その延長線上として存在しているのが、ep.57「城下町の市場調査-冒頭篇ー」から、ep.62「城下町の市場調査-調査編Ⅴ 白灰亜の堰屑ー」までの一連の話です。
あのストーリーは、城下町における市場と商い、そして、それらに付随する工業の新興を読者の皆様に見せるためだけの「イントルーダー」でした。
つまり、これもまた本筋へ何か大きな事件を起こすために挿入した話ではありません。城下町にはどのような市場があり、何が売買され、商業がどのように成り立っているのか。そして、商業が発展すれば、その周囲にはどのような工業が生まれてくるのか。それを見せるために、途中へ割り込ませた話だったわけです。
(此処まで一つ一つ石を積みながら、即興で書いていたんだなぁ……)
さて、この論理体系を理解して頂けたことを信じて、次の議題について説明していきます。なろう系作品を読んでいる皆様なら、このくらいの設定資料集、理解できるだろ?……頼むぞ?
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【『主は侮られず──苔岩穿つ』の目的と、その象徴について】
さぁ~て、皆が大好きであろう『こちユル』名物、「象徴」のお時間です。……説明するぞ。結局、このストーリーを説明するために宗教思想や概念まで挟んだのが、マズかったな……。……いや、挟んだのは私なんだけどさ。
説明する内容は、以下の通りです。
もう、ここまで読んでも「一体何を指していたんだ?」と、読者の皆様には全く理解不能だったと思いますので、ここから改めて説明していきます。
今回は、本文中の描写と合わせて見て頂いた方が分かりやすいと思いますので、実際の描写も併せて説明していきます。
【説明内容】
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① 新約聖書:ヨハネの福音書 4章44節
② 新約聖書:マタイの福音書 13章57節
③ 新約聖書:ガラテヤ人への手紙 6章7節(ガラテヤ 6:7)
④ 「苔岩も穿たれる」とは?
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【① 新約聖書:ヨハネの福音書 4章44節の説明】
①新約聖書:ヨハネの福音書 4章44節は、いったい何を言っている話なんだ、というところから説明していきます。
多分、多くの読者の皆様は、「聖書なんか読まねぇよ!」 と思っていることでしょう。うん。分かる。いきなり聖書を読んでこいと言われても、「頭タコスかよ!」、って話ですよね。
此処は一旦、若き皇帝リウィウス・セラニウスの立場を理解してやる必要がある。
先王である父マルカスは、学問を重視していました。学士を数多く輩出し、文学などの知識や文化を他国へ広めることで、文化面から他国を支配しようと意図していたのです。これは『シヴィライゼーション』を遊んでいる方なら、イメージしやすいでしょう。
しかし、先王である父マルカスは、学問を重視しすぎました。学士を数多く輩出したものの、彼らを密偵として用いたのです。彼らは自らの知識を誇るばかりで、実際の世俗における情報収集には無能でした。机上で得た知識と、街中を歩いて得る生の情報は、決して同じものではなかったのです。
宰相であるタキトゥスは、こうした問題を指摘します。
先王マルカスの治世によって、アウローラ神聖国には、必要以上に建てられた学校や各種機関が数多く存在することになりました。
先王はそれらを整理することなく、そのまま維持していたのです。そして最終的に、それらが国庫へ牙をむくことになります。
理想を実現するために積み上げられた施設は、理想が破綻した後も維持費だけを要求し続ける。その負担が、疲弊した国庫へ重くのしかかっていたのです。
皇帝リウィウス・セラニウスは、現実を慮り、乱立していた学校や学院を統合し、一つの統括機関の下にまとめることを決断します。それを実行するためには莫大な費用が必要でした。そのため、改革のための財源を確保するべく、彼は税を二倍に引き上げなければなりませんでした。
此処で、ヨハネの福音書4章44節の意味合いが発生します。
ヨハネの福音書4章44節では、「預言者は自分の故郷では敬われないものだ」と、イエスが言葉を遺したとされています。
この言葉には、「故郷では敬われない」というだけではなく、身近にいる人ほど、その人物の本質や価値、尊さに気づきにくいという意味合いがあります。
実際、皇帝リウィウス・セラニウスは、民を慮って行動しているわけです。その結果として彼が選ばざるを得なかったのは、民衆から矛先を向けられることになる増税でした。
国を立て直すための改革であっても、それを受ける側からすれば、ただ税負担が増えたという事実にしか見えない。
ここに、ヨハネの福音書4章44節における「身近な者ほど、その本質や価値に気づきにくい」という意味合いを重ねています。
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【② 新約聖書:マタイの福音書 13章57節の説明】
「新約聖書:マタイの福音書 13章57節、なんまんじゃらほい?」
【あ! 大丈夫です。説明するから。そのまま席に座って頂けて……】
マタイの福音書13章57節は、先ほど説明したヨハネの福音書4章44節とは、異なる意味合いとして配置しています。
どちらも「故郷では受け入れられない」、「敬われないことはない」という方向性を持つ言葉ではあります。
この描写は、皇帝リウィウス・セラニウスが修道女たちを密偵として利用する際、貴族や資産家に対して、出資に応じた関税の軽減や港湾使用料の減免、さらには領地内での市場運営権を与えようと画策している場面を、抽象的に示したものです。
貴族や資産家にとっては、修道女たちを自らの領地内へ受け入れたり、船や馬車に乗せたりすること自体が、商業活動の邪魔になりかねません。
いくら皇帝から利益を提示されたとしても、彼らにとって修道女たちは、自分たちの商売に干渉する存在でもある。ここに、マタイの福音書13章57節の意味合いを重ねています。
つまり、修道女であれ、貴族であれ、資産家であれ、あるいは子爵であれ、彼らにとって皇帝の権能による命令というものは、大抵の場合、不条理な指令として受け取られるわけです。
しかし、その命令は単なる強制ではありません。皇帝は遠回りに、貴族や資産家たちへ温情を掛けようとしている。
関税の軽減、港湾使用料の減免、領地内での市場運営権など、彼らが商業上の利益を得られるような「資本的な有利」を与える。
つまり、表向きには「皇帝の命令に従え」と迫りながら、その実、彼らに利益を与えることで受け入れさせようとしているわけです。
傍から見れば、新約聖書・マタイの福音書13章57節にあるような、「こうして人々はイエスにつまずいた。しかし、イエスは言われた、『預言者は、自分の郷里や自分の家以外では、どこででも敬われないことはない』」という状態に見えませんか?
リウィウスは、決して彼らを苦しめようとしているわけではありません。増税も、修道女たちを密偵として送り込むことも、貴族や資産家へ一見すると不条理な命令を下すことも、その根底には「国を立て直す」という意図があります。
関税の軽減や港湾使用料の減免、市場運営権の付与なども、彼らに利益を与えようとしている。つまり、全ては良かれと思って行っているのです。
ですが受ける側からすれば、その「良かれ」が必ずしも善意として伝わるわけではない。むしろ、自分たちの生活や商売へ介入してくる、不条理な命令として映ってしまう。ここに、リウィウスが「敬われない」理由があるわけです。
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【③ 新約聖書:ガラテヤ人への手紙 6章7節(ガラテヤ6:7)の説明】
「すいません。まだあるんですか?」
【? 何を言っているんだ? まだ半分しか説明してないぞ】
ガラテヤ人への手紙6章7節(ガラテヤ6:7)は、現在のリウィウスの置かれている状況そのものを説明しています。
ガラテヤ人への手紙6章7節には、「思い違いをしてはいけません。神は、人から侮られることはありません。人は、自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです」という意味の言葉があります。
つまり、自らが行ったことは、巡り巡って自分自身へ返ってくる。リウィウスが国を立て直そうとして行った政策も、彼の意図とは別に、やがて彼自身へ何らかの形で返ってくることになる。
この「蒔いたものを刈り取る」という構造こそが、『主は侮られず──苔岩穿つ』におけるガラテヤ6:7の意味合いです。
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【④ 「苔岩も穿たれる」とは?】
「苔岩も穿たれる」というのは、キリスト教の思想概念を踏まえた表現になります。絶え間ない祈りや信仰の継続が、硬く閉ざされた心を動かし、ときには奇跡を起こす。そうした思想を、「岩をも穿つ」という形に置き換えています。
そして、ここでは聖ペテロの名の由来である「岩」を象徴として用いています。岩とは、容易には動かないものです。しかし、たとえ一滴の水であっても、長い時間をかけて落ち続ければ、やがて岩を穿つ。
つまり、「苔岩も穿たれる」とは、絶え間なく続けることによって、どれほど硬く閉ざされたものでも、やがて動かすことができるという意味合いです。
これは信仰そのものだけを指しているわけではありません。リウィウスが国を立て直そうとする意思もまた、幾度となく障害にぶつかりながら、それでも継続されていく。その「継続する意思」と「岩を穿つ」という象徴を重ねているわけです。
そして最終的に、リウィウスとタキトゥスの口から、「打ち砕かれた心を、主は侮られない」という言葉が残ります。これは旧約聖書の『詩編』51編17節に由来する、有名な聖句です。
詩編51編は、いわゆる「ダビデの悔い改め」として知られる一篇です。ここまで説明してきた『主は侮られず──苔岩穿つ』の象徴は、最終的にこの言葉へと収束します。
敬われないこと。
躓かれること。
自ら蒔いたものを刈り取ること。
それでもなお、歩みを止めないこと。
そして、最後には「打ち砕かれた心」に至る。だからこそ、ここでいう「主は侮られず」という言葉は、単純に「神を侮ってはいけない」という意味だけではありません。
打ち砕かれ、悔い改め、なお主へ向かおうとする心を、主は侮られない。その思想を、リウィウスとタキトゥスの物語へ重ねています。
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さて、最後までお読みいただいて、ここまでの論理構造についてご理解頂けましたでしょうか? これにて『主は侮られず──苔岩穿つ』の説明を終了します。
最後まで内容を理解できた方だけに、とっておきの「象徴」の答えをお教えします。……ここまで来たんだ。最後の一つくらい、見せてもいいでしょう。
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『実は、「黒子」という意味は、作者自身のことでもあるんですが……。同時に、上階位としての「神々」のことも指しています。そして最階位として――「家政服」の意味があります。どうでしたか? きちんと想像を膨らませながら、『こちユル』を読んでいただけていますか? あ……まだ、メインストーリーの五分の一程度しか進んでいないのに、こんなにグダグダと説明していますからね?』
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皆様、最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
『第四十七話「主は侮られず──苔岩穿つ」』において、プロットや物語の進行意図を少しでも感じ取っていただけたのであれば幸いです。
「お前な? 情報量多すぎるよ!」
【何言ってんの。古典文学なんだから多いよ。むしろ、これでも抑えてるぞ?】
【商業小説としては、全く情報量不足です。こんなんで金が取れるわけがねぇだろ、こんなので! まだメインストーリーの五分の一だぞ?】
「だから怖いんだよ!」
【君達は一度、商業小説を読んだ方が良いよ。『こちユル』が如何に温いか、よく分かるぞ?】
『こちユル』作者は、常に「情報量が足りない」と考えています。
そして、『こちユル』が如何に温い作品なのかについて、いつも悶々としていることを、ここで申し上げておきます。
自分の作品を「クソ作品だ」と思ってしまうくらいで丁度いい。
そう思いながら、「では、何が足りないのか」「どうすれば設定に厚みを持たせられるのか」を考え続けることこそ、私にとって設定を組み上げるために必要なことなのです。




