「エピソード43 中世編:道化編『魔術師は賽を手では振らない‐終章編-:阿吽(あうん)なる定め-』」
≪それでお一つ、お尋ねしたいことがあるのですが……≫
【なんだ……急に?】
ヴァルはきょとんとした表情のまま、上目遣いで私を覗き込んできた。
≪以前はタイトルを『』で括っていましたよね?≫
【ああ、それね。Xって文字数制限が厳しくてさ。ハッシュタグまで付けると、あっという間にオーバーしちゃうんだよ】
≪課金。為されば宜しいのでは?≫
【そんな、課金要素を増やすためだけに財布を開ける余裕は無い】
主は、資料を増やすためだけに、せっせと財布を軽くしていく。それこそが瑕瑾であり、人は精神までも家禽のように飼い慣らされてしまうのだろう……。
──閑話休題。
『魔術師は賽を手では振らない』という、作者すら「何を書いているんだ」と首を傾げたカオス回。それをどうにか正常なレールへ帰還させた私は、ようやく安堵できる……はずだった。
だが、一つだけ問題が残っていた。
そう……困ったことに、『ep.27「ナーレとヴァルの日常」』の時点で、私はこんな設定を与えてしまっていた。
(何? 信奉者さえいれば、実際に会話できるの?)
≪まずは十人くらいは欲しいですね。そうすれば、多少なりとも姿を現すことはできると思います。とはいえ、力はまだ弱いので、せいぜい極小でしょうが≫
【……待て。この設定、全然活かし切れていないぞ……】
「魔術師は賽を手では振らない‐終章編‐:阿吽なる定め‐』というエンディングロール。
あれは単なる後日談でも、お遊びでもなかった。
ヴァルが現実へと姿を現し、ナーレと対面して言葉を交わすための設定を回収する、そのためだけに用意された舞台だった。
そう、これは最初から仕掛けられていた。盛大な欺瞞。
読者にはエンディングロールだと思わせ、その実、物語はまだ終わっていなかった。
いわば、「終わりました」と見せかけて、ちゃっかりお菓子を奪いに来るトリック・オア・トリート。
エンディングだと思っていた場所こそが、新たな始まりだったのである。
唯、その設定を回収するまで、実に五〇話以上も要してしまった。しかも困ったことに、現時点でもなお、回収し切れていない。どうやら私は、伏線を張る才能と、回収を後回しにする才能だけは一級品だったらしい。
≪『魔術師は賽を手では振らない‐終章編‐:阿吽なる定め‐』の構想と制作過程≫
作者の視点では、ナーレを含む三人は洞穴を抜け、ノルド村へと凱旋していく。物語の舞台は夜の帳を閉じ、明朝へと静かに幕を開ける。
ただし、この場面は『ep.42「魔術師は賽を手では振らない‐封印編Ⅲ‐」』の直後を描いたものではない。その点だけは、先にお伝えしておきたい。
作中では42話から43話までの間に数日ほどの時間が経過しており、本エンディングロールは、その空白期間を経た後の出来事として位置付けられている。
ノルド村では今、祭りの準備に追われる村人たちの姿があった。
香ばしい料理の匂いが風に乗り、子どもたちの笑い声が広場に弾む。太鼓と笛の軽やかな音色が重なり合い、村全体が生きていることを祝福している。
その光景を眺めるだけで、張り詰めていたナーレの心は静かにほぐれていく。この平穏は偶然ではない。彼女が選び、彼女が歩み、そして守り抜いた先に辿り着いた、確かな今日。生きているという実感と、明日への希望は、村の賑わいとともに、静かに彼女の胸へと満ちていく。
この場面を描くにあたり、作者である私が強く意識していたのは、『指輪物語』の冒頭である。
大きな冒険を終えた直後ではなく、穏やかな日常の息遣いから世界を感じさせる。そんな空気感を、このノルド村にも宿したいと考えていた。また、この場面では青年となったカイルとナーレを並ばせ、ともにこの晴れの日を祝う光景を描きたいという意図もあった。
幾多の困難を乗り越えた末に迎えた平穏だからこそ、二人が肩を並べて祭りの賑わいを眺める。その何気ないひとときこそが、この物語における一つの到達点なのだと考えている。
二人が村の広場へ足を踏み入れると、そこには簡素ながらも色とりどりの屋台や露店が軒を連ね、村人たちは祭りの準備に笑顔で忙しく立ち働いていた。
焼きたての羊肉の串、大麦の香りが豊かに漂う焼きたてのパン、熱々の野菜煮込み、香ばしく燻された川魚。次々と並べられていく料理の数々からは湯気が立ちのぼり、焼けた肉の香りや煮込みの芳醇な匂いが広場いっぱいに広がっていく。
祭りを待ちわびる人々の笑い声と、立ち上る湯気。広場には、平穏を取り戻した村の日常が、何よりも鮮やかに息づいていた。
屋台の周囲では村人たちが手際よく料理を並べ、子供たちが小さな木製の神像を手にして飾り付けを始めている。神像は、前もって大人たちが彫ったもので、草や小さな花を添え、色鮮やかな布で包んでいた。
藁ぶき屋根の小屋の前には、焼きたてのパンや燻した肉の香りが漂い、軒先では小さな木の神像に花や布を飾る子供達の笑い声が響いていた。
村の若い女性達は鮮やかな藍染めや朱色の布で簡素なドレスを仕立て、髪には野花を編み込んでいる。男性達は麻のチュニックに革のベルトを締め、手には祭りのために作られた小物を持っていた。
ノルド村は晴れの日を迎え、村全体が祝祭の熱気に包まれていた。
少女たちは花冠を髪に戴き、あどけなさを残した笑みを浮かべながら、軽やかな足取りで輪になって踊る。その無邪気な姿は、長く続いた戦いの終わりと、ようやく訪れた平穏を何より雄弁に物語っている。
無論、本人たちは殊更に誇ることもなく、いつもどおり振る舞っている。しかし、村人たちの眼差しには深い感謝と敬意が宿り、その姿は自然と人々の輪の中心へと導かれていく。
「ナーレ様の勇気に、村は救われたようなものじゃ!」
「きっとヴァル様がお導きくださったに違いない」
村人たちは、カイルやヴィネリから断片的に聞いた話をもとに、「ヴァル」という神が三人を導き、この地を災厄から救ったのだと半ば信じ込んでいた。
さらには、ナーレ、カイル、ヴィネリの三人はヴァルに選ばれ、その加護を授かった英雄であるとまで語られるようになっていた。
もちろん、それは村人たちが抱いた一つの解釈であり、事実とは少し異なる。しかし、人々が平穏を取り戻した今、そのような物語が語り継がれるのもまた、ごく自然なことだった。
村の広場は依然として賑やかだ。子供達は木像を飾り付けた後、走り回って笑い声を響かせ、村人達は屋台の隅で煮込みの鍋を混ぜながら微笑む。
なお、本文では『子供達は木像を飾り付けた後、走り回って』という描写になっているが、当初のプロットでは少し異なっていた。
元々は、**『両親とともに子供達は木像を彫り上げ、それを家に飾り付けた後、走り回っていた』**という流れを想定していたのである。
しかし、描写のテンポや文章量との兼ね合いを考慮し、木像を彫る工程は省略し、「飾り付けた後」という形に簡略化した。
昼近くになり、私はそろそろ家路につく時刻が迫る。
屋台から立ち上る香り、子供たちの笑い声、軽やかな笛や太鼓の音が胸に少し哀愁が漂う。楽しい時間の終わりは、いつもこんなに寂しいものなのだ。
「そろそろ、行かなくちゃ……」私は小さく呟く。
カイルは静かに頷き、村人たちに気づかれぬよう、背後で見守ってくれる。彼の表情には感謝と温かさが混じり、祭りを楽しむ村人たちの中で、私たちの小さな別れの瞬間を見届けていた。
私はヴァルの存在を胸に抱き、祭りの残響の中で、生きている喜びと希望を確かに感じる。村人たちは笑い、踊り、食べ、語り合う。その光景は、昨日の恐怖を忘れさせるほどに力強く、そして柔らかく、私の心を満たした。カイルとヴィネリに見守られながら、私は村の出入り口へ向かう。
後ろを振り返ると、村人達はまだ祭りを楽しんでいる。
村人達は祭りの喧騒に夢中で、私が去ることには気づかない。笑い声と笛の音が遠ざかる中、私は小さく頷く――。
村人達は太鼓の音に合わせて踊り、笑い声が広場いっぱいに広がっている。私の胸には別れの哀愁と、今日も生きている喜び――小さな希望――が入り混じった。
ストーリー後半では、場面はナーレが独り祭りの席を離れる場面へと切り替わる。
もっとも、この一連の描写におけるナーレは、祝祭の中心人物でありながら、どこか蚊帳の外にいるような心境で描かれている。
村人たちが笑い、祝い、平穏を謳歌する一方で、彼女だけはその輪に完全には溶け込めない。歓声の中に身を置きながらも、一歩引いた場所からその光景を見つめているのである。
その微かな心の距離感こそが、この場面で描きたかったナーレの心理でした。
彼女は光と音、祭りの香りに包まれながら、胸に宿るヴァルの力とともに、静かに家路へと歩き出していく。
祝祭の喧騒は背中へ遠ざかり、彼女の前には穏やかな望郷への道が続いている。
その一歩一歩は、戦いを終えた英雄の帰路であると同時に、新たな物語へと続く、静かな始まりでもあった。
≪視点移動について≫
ナーレがノルド村を後にしたところで、物語の視点はヴィネリへと切り替わる。
これは単なる視点変更ではなく、「祭りの喧騒から離れたナーレ」と「祭りの中に残されたヴィネリ」を対比させるための演出でもある。
ナーレが静かな余韻を抱えながら歩みを進める一方で、ヴィネリは祭りの賑わいの中に身を置き続ける。同じ時間を過ごしていても、それぞれが見つめる景色と心情は異なっている。
その対比を描くため、本エンディングロールではこのタイミングでヴィネリ視点へと移行する構成とした。
ヴィネリのシーンには、「人々の意識や物事の契機は決して固定されたものではなく、時とともに意味を変え、更新され続ける」というテーマを込めている。
同じ出来事であっても、それを受け止める人が変われば意味も変わる。そして時間の経過とともに、その出来事は新たな解釈や価値を帯びていく。
ヴィネリの視点は、そうした「意味の更新」を象徴するために配置したものである。
ヴィネリは、一冊の古びた文献を手にしていた。
何気なく暖炉の火へと文献をかざすと、微かな焦げの陰影が羊皮紙に浮かび上がり、それまで見えなかった文字が静かに姿を現す。
かつての巫女たちは、火の光にのみ真実が顕れるよう、この文献へ細工を施していたのだろう。
――「運命は常に流転し、新たな運命を形づくるであろう。」
その言葉は、死と狂気に覆われたこの村にも、なお生きる希望が息づいていることを、静かに物語っていた。火の揺らめきを見つめながら、ヴィネリは思う。たとえ古き宗教が失われようとも、古い概念が時代とともに姿を変えようとも、人々が運命へ託す願いは決して消えはしない。
ここは、おそらく非常に分かりづらい描写になっていると思う。
本文では「文献をかざす」とだけ記しているが、ではその「文献」とは何を指しているのかという疑問が生じるだろう。
結論から言えば、これはヴィネリが以前から所持していた古びた文献のことであり、この場面で新たに登場したものではない。
本文ではあえて説明を省略したため、初読では「どの文献のことなのか」と戸惑われるかもしれない。その点は、作者として補足しておきたい。
それについては、『ep.39「魔術師は賽を手では振らない‐調査編Ⅱ‐」』で登場した、ヴィネリの祖先たちが遺した羊皮紙を指している。
当時、その羊皮紙には、『汝、忘るることなかれ。運命は常に──』という一節だけが判読でき、その先は読み取ることができなかった。
そして本エンディングロールで初めて、羊皮紙を暖炉の火にかざすことで隠されていた文字が浮かび上がり、文章の続きを読むことが可能となる。つまり、この場面は新たな文献が登場したわけではなく、39話から張っていた伏線を回収するための演出なのである。
これにて、『魔術師は賽を手では振らない』で張り巡らせてきた伏線と設定は、一通りの回収を終えることとなる。
もっとも、物語そのものが終わるわけではない。
ここから先は、本編で描き切れなかった登場人物たちの心情や、その後の歩みを綴るアフターストーリーへと移行していく。
・ep.44「誰ぞ彼女時、英雄とて処女なり」
ナーレ視点(メインストーリーへの橋渡し)
・ep.45「翠影、幽翠に揺蕩う」
カイル視点・ヴィネリ視点
・ep.46「緋と山吹の螺旋綴織」
ルサリア視点・夢境レーヴ監察局視点
これら三話は、本編の伏線を回収するための物語ではない。
『魔術師は賽を手では振らない』という一つの旅路を終えた登場人物たちが、それぞれの未来へ歩み出すための後日譚として配置することになった。
最後に、舞台をアウローラ神聖国へ移し、政治劇として描かれるアフターストーリーを配置した。
・ep.47「主は侮られず──苔岩穿つ」
アウローラ神聖国/皇帝リウィウス・セラニウス視点
本編では語り切れなかった国家の思惑や、事件が世界へ与えた影響を描くことで、物語は一人の英雄の視点から世界全体の視点へと広がっていく。
そして、この第47話をもって、『魔術師は賽を手では振らない』という物語の"裏蓋"を静かに閉じる構成としたのである……。
皆様、最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
『第四十三話「魔術師は賽を手では振らない‐終章編‐:阿吽なる定め‐」』において、プロットや物語の進行意図を、少しでも感じ取っていただけたのであれば幸いです。
……えぇ。
実を申しますと、この一連の構成は第三十七話~第四十七話に至るまで、ほぼ即興で積み上げた設定です。
伏線を張り、回収し、「ここは最初から計算されていたのだろう」と思っていただけたのであれば、それは作者として何より嬉しいことです。
もっとも、その裏側では「この設定、どう回収する!?」「しまった、五十話越しの伏線になってしまうな……」などと頭を抱えながら書き続けていました。
そうして試行錯誤を重ねた末に、『魔術師は賽を手では振らない』という一つの物語を、最後まで紡ぎ切ることができました。
改めまして、ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました。




