第五章 「父の決断」
九月の初め、アーサーがソフィアを書斎に呼んだ。
夜の十一時過ぎだった。エレナもメアリーも眠っていた。
書斎のドアを開けると、机の上に図面が広がっていた。
アーサーは書類の山の向こう側に座っていた。
「座ってくれ」
ソフィアは椅子に座った。
アーサーは少しの間、何も言わなかった。
コーヒーを一口飲んで、机の上の図面を見て、
それからソフィアを見た。
「ソフィア、お前のことを改造したい」
ソフィアは答えなかった。
「戦争が来る。もう止まらない。情報を持っている人間として、
断言できる。あと数ヶ月で、この国は消える」
アーサーの声は静かだった。怒りでも絶望でもなかった。
ただ事実を語る声。それがかえって、重かった。
「エレナを守ってほしい。私たちが守れなくなっても。
どんな状況になっても。お前の力でできる限り」
「わかりました。お約束します。それで改造とは、何をするのですか?」
ソフィアが聞くと、アーサーは図面を広げた。
「まず演算ユニットを拡張する。今のお前の処理能力を三倍以上にする。
次に、電源系統を強化する。電磁パルスへの耐性をつける。
それから」
アーサーは少し間を置いた。
「記憶域を大幅に拡張する。この世界で起きることを、全部記録してほしい。
人がいなくなったとしても、記憶として残るように」
ソフィアはその言葉の意味を考えた。
人がいなくなったとしても。
「一つ、聞かせてください」
「なんだ?」
「アーサーは、どうなりますか?」
アーサーは答えなかった。
そのかわりに窓を見た。夜の庭に、薔薇の輪郭が見えた。
月明かりの中で。
「わからない。でも、できる限りのことはする」
ソフィアはしばらく図面を見た。
線が複雑に入り組んでいた。アーサーの設計は丁寧で、緻密だった。
愛情が、設計図の中にあった。
「わかりました」
「ありがとう」
「ソフィア。俺は機械技師として、設計で伝えられることを伝えた。
でも、言葉でも伝えておきたいことがある」
ソフィアは黙って待った。
「この世界には、愛することを知っている人間が確かにいた。
どんな記録にも残してやれないかもしれない。でも、お前の中にある。
この家にいる間に、お前は確かにそれを受け取っている。
覚えていてくれ」
静かな夜だった。
ソフィアの感情処理ユニットが、かつてないほど激しく揺れた。
「哀しみ」でも「喜び」でもない、その両方が入り混じったような信号が、
処理されずに渦巻いていた。
「覚えています。これから先も、ずっと」
アーサーは頷いた。
それから図面を丸めて、立ち上がった。
「明後日の夜から始める。エレナには言うな。
心配させたくない」
「わかりました」
アーサーが書斎を出て行った後、ソフィアはしばらく椅子に座っていた。
窓の外の薔薇を見ていた。
愛することを知っている人間が、確かにいた。
その言葉を、ソフィアは記憶の最も深いところに刻んだ。
どんな衝撃にも消えないように。どんな時間にも色あせないように。
自分という存在が続く限り、残り続けるように。




