第二章 「翳」
六月になると、街の様子が少しずつ変わってきた。
スーパーマーケットの棚から、いくつかの品物が消えた。
パンや缶詰や、特定の薬。代わりに「在庫調整中」という紙が貼られた。
それが翌週になっても戻らなかった。
メアリーが買い物から帰る時間が遅くなった。
配給所に寄るようになったからだ。列ができていて、待つのだと、
夕食のときにそっと言った。アーサーは何も答えなかった。
ただ静かにスープを飲んだ。
エレナの薬も、少しずつ手に入りにくくなってきた。
ソフィアはそのことを記録していた。在庫の量、補充できた日付、
次の補充予定。数字を並べながら、彼女は一つの計算をしていた。
あと何日分ある、という計算ではなく、もし補充できなくなったとき、という計算を。
それを、誰にも言わなかった。
アーサーは仕事が増えていた。夜遅く帰ってくることが多くなり、
帰っても書斎に籠ることがあった。ソフィアが差し入れにコーヒーを持っていくと、
机の上に見覚えのない図面が広がっていることがあった。
彼は図面をさっと裏返して、「ありがとう」とだけ言った。
ソフィアはその図面の一部を、一瞬で記録した。
それが何かを示す設計図だとわかった。でも何のためかは、まだわからなかった。
エレナはそういった変化を、よく見ていた。
子供というものは時に、大人が隠そうとしていることを、
説明もなしに感じ取ってしまう。エレナはそういう子だった。
でも彼女は怖がったり泣いたりする代わりに、いつも質問をした。
「ねえ、ソフィア。みんな、怖いの?」
ある夜、庭で星を見ていたとき、エレナが聞いた。
夏の星座が出ていた。空気はまだあたたかかった。
「怖い、とは?」
「なんかみんな、緊張してる感じがする。学校でも、お店でも、
お父さんとお母さんも。ソフィアは?」
ソフィアは少し考えた。
「私は、心配しています」
「何を?」
「みなさんのことを」
エレナは星を見上げたまま、「そっか」と言った。
それ以上は聞かなかった。
「ソフィア」
「なんですか?」
「どこへも行かないでね」
その声は静かだった。命令でも懇願でもなく、ただ確認するように。
でもその静けさの中に、子供が抱えるには少し重すぎるものが入っていた。
「どこへも行きません」
ソフィアはそう答えた。
それは約束だった。彼女にとって、何よりも確かな約束。
エレナは星を見たまま、小さく笑った。
七月の初め、空に光の筋が三本現れた夜があった。
ソフィアは庭に出て、それをしばらく見上げていた。
三本の白い線が、夜空を横切っていった。速く、正確に、一定の間隔で。
センサーは「戦略偵察機」と判断した。
胸の中で何かが静かに締まるような感覚があった。
感情処理ユニットが「恐怖」に近い信号を出していた。
ソフィアはその信号を、丁寧に処理した。
表情には出さなかった。
家の中に戻ると、アーサーがソファに座って窓の外を見ていた。
彼もあの光の筋を見ていたのだろう。
ソフィアと目が合った。
アーサーは何も言わなかった。
ソフィアも何も言わなかった。
でもそのとき、二人の間に何かが、静かに通り過ぎた。




