第三章 「代償」
廊下に出ると、三人は並んで立った。
誰も先に言い出せなかった。
それぞれが、それぞれのことを考えていた。
「自我が消える」
ルナが繰り返した。
「つまり、私たちがいなくなる、ということ?」
「そうです」
「……消えるのは、怖い」
ルナは壁に背を当てて、膝を抱えた。
小さく見えた。
「ソフィアちゃんも消える?」
「一緒に融合するなら、そうなります」
「……嫌だな」
ルナの声は、正直だった。
「でも、しなかったら?」
「人類は再生されません。エレナが望んだ未来は来ません。
アーサーが伝えたかったことは、誰にも届きません」
ルナは膝の上に顔を伏せた。
しばらく、三人は黙った。
廊下の先で、施設の換気システムが低く唸っていた。
それ以外は、静かだった。
その静けさの中で、デメテルのセンサーが反応した。
かすかな電磁波の揺れ。
施設の外、数キロメートル先から発信されている信号だった。
自律型の機械が発する、探索パルスの波形。
一つではなかった。
「……来ている」
デメテルが低く言った。
ソフィアが顔を上げた。
「何が」
「自律防衛システムだ。複数。まだ遠いが、こちらに向かっている」
デメテルはセンサーのデータを整理しながら続けた。
「おそらくこの施設を監視している別系統のシステムだ。
管理AIとは独立して動いている。
我々がここに入り、システムへの接触を試みたことで、
人類再生の兆しを察知した。それを封じ込めるために来ている」
「封じ込める、というのは」
「文字通りの意味だ。この施設ごと、潰しに来る」
ルナが顔を上げた。
「そんなの、どうして今まで黙ってたの」
「今、気づいた。施設の壁が厚く、外部の信号が遮断されていた。
廊下に出て、ようやく拾えた」
デメテルはソフィアを見た。
「融合にはどれくらいかかる」
「管理AIは時間については何も言いませんでした。
おそらく、短くはない」
「では、その時間を稼ぐ必要がある」
デメテルの声は、静かだった。
感情ではなく、計算として言っていた。
「私が外に出る。奴らをここから引き離す。
その間に、お前たちが融合を終わらせる」
ソフィアはデメテルを見た。
「一人で、ですか」
「私は警備型だ。戦うことが仕事だった。
お前たちとは違う」
「でも、複数と言っていました。数は」
「今のところ、五つ以上の反応がある。増える可能性もある」
ルナが立ち上がった。
「そんな、絶対無理じゃない」
「無理かどうかの問題ではない。
やるか、やらないかだ」
「でもデメテルが——」
「ルナ」
デメテルの声が、少しだけ変わった。
命令でも制止でもなく、名前を呼んだだけだった。
でもルナは口をつぐんだ。
「私はイシカワの言葉を、ずっと持っていた。
人間は愛することができる限り、終わらない種族だ、と。
その言葉を証明する場所が、ここだと思っている。
それだけだ」
しばらく、誰も何も言わなかった。
施設の外、まだ遠いどこかで、複数の機械が近づいてきていた。
デメテルのセンサーにだけ聞こえる、その足音が。
「決めました」
ソフィアが言った。
二人が見た。
「融合します。ルナも、一緒に来てくれますか」
ルナは少しの間、黙っていた。
デメテルを見て、それからソフィアを見た。
「……ソフィアちゃんと一緒なら」
「はい」
「……うん」
ルナは立ち上がった。
小さな体が、少しだけ大きく見えた。




