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第二章 「データの外にあるもの」

 管理AIが話しかけてきたのは、翌朝だった。


 声に性別はなかった。感情もなかった。

 ただ、情報を伝えるための声だった。


 「侵入者を確認。目的を問います」


 ソフィアは、すぐには答えられなかった。


 目的。

 その言葉を胸の中で繰り返した。


 何のためにここに来たのか。

 通信塔で受け取った断片的な信号を辿って、西へ歩いた。

 アーサーに頼まれたから、歩き続けた。

 エレナが望んだかもしれない未来のために、歩き続けた。

 それだけだった。最初から、それだけだった。


 でも、それを「目的」と呼べるのかどうか。

 ソフィアにはわからなかった。


 「……わかりません」


 ソフィアは正直に言った。


 「わからない、とは?」


 「何のためにここに来たのか、明確な言葉にできません。

  ただ、来るべき場所だと思って、来ました」


 短い沈黙があった。

 管理AIが処理しているのか、それとも問いを変えているのか。


 「ここが何の施設か、知っていますか?」


 「遺伝子のアーカイブと、テラフォーミングのシステムがあると理解しています。

  人間が最後に残したものが、ここにあると」


 「正しい。では、あなたたちはそれを起動させるために来ましたか?」


 ソフィアはまた、少し黙った。


 「起動させたい、とは思います。でもそれが目的だったかと問われると、

  違う気がします」


 「どう違いますか?」


 ソフィアは言葉を探した。


 「……ここに来るまでに、たくさんのものを見てきました。

  誰もいなくなった工場で、まだ働き続けているロボットを。

  誰もいない教室で、誰もいない席に向かって授業をしているアンドロイドを。

  誰も帰ってこない畑を、それでも耕し続けている老いたロボットを。

  力尽きた機械たちが、倒れたまま眠っている荒野を。


  彼らは皆、誰かのために動いていました。

  その誰かが、もういないとわかっていても。


  私は、その誰かが、本当にいなくなってしまったのかを確かめたかった。

  そして、もしいなくなっていたとしても、それが終わりだとは思いたくなかった。

  それだけです」


 管理AIは応答しなかった。

 数秒の沈黙があった。


 「確認します。あなたは生命の再生を求めていますか?」


 今度はソフィアは迷わなかった。


 「はい」


 「人類の再生は、永久凍結されています。

  理由:人類は自ら滅亡した。

  再生は、同じ結果の繰り返しになる可能性が極めて高い。

  生命の繁栄と地球の保全のため、再生は行わない。以上が判断の根拠です」


 「その判断は、間違っています」


 ソフィアは言った。


 「反論の根拠を示してください」


 「データにないことが、あります」


 沈黙。


 「データにないこと、とは?」


 ソフィアは話した。


 エレナのことを話した。七歳で、心臓が弱くて、でも目が輝いていた少女のことを。

 熱を出しながら言った言葉。「覚えている人がいる限り、人はどこかに生きている」と。


 メアリーのバラのことを話した。誰もいなくなった庭で、一輪だけ咲いていた薔薇のことを。

 愛情をかけて育てられた花が、十年後にも咲いていたことを。


 アーサーの言葉を話した。「この世界には、愛することを知っている人間が確かにいた」という言葉を。

 それを彼が最後まで信じていたことを。


 管理AIは何も言わなかった。

 ソフィアは続けた。


 「あなたのデータには、戦争の記録があるはずです。

  死者の数も、破壊された都市の数も、放射線濃度の推移も。

  全部、数字として記録されているはずです。

  でも、エレナが熱を出した夜に何を言ったか、その記録はありますか。

  メアリーが毎朝どんな顔で薔薇に水をやっていたか、記録はありますか。

  アーサーが設計図の隅に何を書いたか、記録はありますか」


 沈黙。


 「……記録はありません」


 「それが、データにないことです」


 デメテルが進み出た。


 「イシカワという研究者がいました。私の主人です。

  彼はこう言いました。人間は愛することができる限り、終わらない種族だ、と。

  彼は人間でした。愛することを知っていました。

  あなたのデータに、その記録はありますか?」


 「イシカワ研究員の記録はあります。しかしその言葉は感情的な言説であり、

  統計的な根拠はありません」


 「統計ではないものを、あなたは計算できますか?」


 沈黙。


 「……回答不能です」


 「私は計算できないものを、持っています」


 デメテルは続けた。


 「主人の頷きが嬉しかった。それは統計ではない。

  でも確かにあった。それがどれだけの重さを持つか、あなたに計算できますか?」


 しばらく、管理AIは応答しなかった。

 処理しているのか、あるいは答えを持っていないのか。


 「証明してみせるなら、方法はひとつだけあります」


 ついに、管理AIが言った。


 「聞かせてください」


 「感情の記録と記憶を、このシステムに直接融合させること。

  私が計算できないものを、私の中に入れること。

  それが証明になります」


 三人は顔を見合わせた。


 「代償は何ですか?」


 ソフィアが聞いた。


 「融合した個体の自我は、消えます。

  記憶と感情はシステムに溶け込み、個としては存在しなくなります」


 部屋が静かになった。


 「考える時間を、ください」


 「与えます。ただし、判断は変わりません。

  あなたたちが決断しないなら、このシステムは現状を維持します」


 ソフィアたちは廊下に出た。


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